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カテゴリ:取り敢えずの記
和合という言葉がある位だから、通常は合と和は分けないのだろう。
どちらも言葉を使う人自身の向き合い方次第とも言える。 ただ多くの利用シーンでは、合は能動的、和は受動的に使用されるようだ。 あくまでそれに倣って分類するとすれば、だが・・・ 意識に沿った場合、合は意識的、和は非(≠無)意識的。 なので、時間に沿った場合、合は先行して因、和は後行して果。 あくまで便宜的な分類。 どんな自分や自己であっても和しているモノがあるということは、畏れるべきことであると同時に最大の希望と言えるかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.02.09 23:24:56
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