神輿だワッショイ
神輿-武州連↑クリックでビデオ神田祭のとき。子供の頃の祭りの朝と言えば、階下の賑わいに目を覚まし、ドキドキしながら2階の窓から外を覗き、大人たちの動きを見ながら祭りのときを待っていた。もう何十年もの間、それは私が知らない頃から我が家の前が神輿の神酒所になっていたから、朝早くから慌しかったのだ。祭りは本来男のもので、十歳年上の兄は、祭りと来れば気合はモリモリで、日頃ナンパな大学生も、この日ばかりは頭を短く刈り込んで神輿に挑んでいた。この頃はと言えば、まだ女が神輿を担ぐ時代ではなかったから、子供と言えども女の子はゆかた姿で、山車を曳いたり、太鼓を叩いたりして祭りに参加していた。とまぁ女の子にとって祭りはそれなりに楽しくても、それはエキサイティングなものではなく、ましてや大人になったら炊き出しばかりで、逆に面倒な行事になる。男の気合など、わけもわからなかったもんである。自分が小学校も高学年に入った頃だったろうか、近所のひとつ年上のおてんば娘・・・彼女はゴム飛びの名手として、近所の子供たちにも一目置かれていた存在だったのだが・・・ある祭りの日に、ゆかたのすそをたくし上げて男の子たちに混ざっての紅一点、子供神輿を担いだのである。この光景は大人の目にも脅威だったようだが、それは同じ子供としても衝撃的なことで、「女の子でも担げるんだ!」と言う妙な自信を与えてくれたものだった。おかげで私は同級生までそそのかして、一緒になってゆかたのすそを捲り上げて子供神輿デビューとなったのである。それを大人は見兼ねたのか、翌年からゆかたではなく、女の子にも半纏が用意されるようになった。しかしピンクの半纏などというものは、まだ無かった。そんな子供の頃に、一度見た女神輿。どこぞの町会だか何だか知らないけど、女だけの神輿が登場し、それは鮮烈な印象となって残っている。時代はウーマンリブなんてものが叫ばれ出した頃だ。神輿を担ぐ女たちの姿は、時代を反映したものだったのだろう。男たちは色めき立った。私の兄しかり。(笑)ピンクと紫の花柄をあしらった揃いの法被。→江戸の祭半纏は藍染なのに対して、色鮮やかで優雅な羽織りものは、法被と言った方が相応しいと思う。美しくも勇ましい彼女たちの姿は、時代の変化を感じさせ、自分も大人になったらあんなことしたいと思ったものだった。いろんな遊びを覚える中学高校の頃は、祭りに興味も無くなり、出たのか出なかったのかさえも覚えていないが、成人する頃だっただろうか、はじめて大人神輿に参加することになった。この頃は棟梁のようなじいさんが神輿を仕切っていて、先頭で色々指示をする。担ぎ手の背の高さを考えて配置したり、進行のスピードやテンポも指示する。おかげで秩序正しく足並み揃って、美しく神輿は担がれていた。ただ担ぎゃイイってもんじゃない。大人神輿初心者ながら、身をもって学ばせてもらったものだ。神田東松下町の神輿は、うちのじいさんが副町会長だった頃に、じいさんのわがままで(?)、無理矢理新調したらしい。随分お高かったようで。でもそれが、自慢だったりするのが江戸の下町だ。他の町会のより立派だとか、他の町会のより重たいってのが、自慢で仕方ないのだ。(笑)しかしその重たい神輿を担ぐのに、秩序が無いとまるで美しく進行しないのだが、悲しいかな昨今はひどい状態であると言うのが現実だ。オフィスが多い場所柄、元々の地元民は減っているし、その地元民の高齢化も進んでいる。うちの兄とて、数年前に引退してしまった。昔を知らない担ぎ手は、やり方を知らない。前の人を見ないで一人一人が自分勝手にやってるから、まるでバラバラになってしまう。力任せで担ぐ者、ただぶら下がってる者、テンポは合わないし、人の足を踏みまくるは、どんどんスピードは上がるは・・・担ぐというより、運ぶになってる。神輿は前に進むだけのものじゃないんだよ。そもそもワッショイがいつの頃からかセイヤ、ソイヤ、サー、ソー・・・と簡略化され、それが故に放っておくと、どんどんテンポが早くなってしまう。むしろ今、掛け声をワッショイに戻しても良いようにも思う。先日の祭り。祭りも終わり間近、ゆかた姿でのほほんとしていた兄に発破をかけて、久々に担いでもらった。そんな兄の後ろに入って驚いた。兄はチビだけどガッチリ肩が入ってしっかり担ぐ、足の運びも見事で、テンポ良く持ち上げていく。やっぱり上手い!「やっぱ上手いよね~、驚いたよ。」と言ったら、照れながら「そぉか? 子供の頃から祭りを見てるからな。」って。肩にでっかいコブを作りながら必死で担いでいた若かりし頃の兄の姿を、ふと思い出した。私はそれを見て育ったんだから。(笑)膝が悪いからと担ぐことを拒んでいた兄も、いざ神輿を担いだら凄く楽しかったらしい。「もやもやしたものが取れてスッキリしたよ!」と笑っていた。・・・やっぱね、根っからの神輿好きだよ、この人は。近年の担ぎ手の下手さに業を煮やしてか、「お手本を披露して頂きます。こうやって担ぐんですよ。」とのアナウンス。毎回助っ人に来てくれている神輿会の人たちに、祭りの最後にお手本を披露して頂くというわけだ。武州連の皆さんは、一年中各地の神輿を担いでいる神輿エキスパートである。それはもう、見事の一言だ。ここに入ったら、本当に気持ち良かった。こうあるべきだね、そう思うことしきりである。踊りや演奏のような日頃の練習などと言うものは、町の神輿で行うことはないだろう。しかし神輿を担ぐということも、伝統である。祭り騒ぎに惹かれて参加するのであっても、そのやり方は意識してやってもらいたいものと思う。そもそも神輿は神様の乗り物だ。乗り心地悪くちゃ、申し訳ないってもんだ。