星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

2021/10/09(土)11:14

星の国ライフ 「印象派絵画を世に知らしめた男」19世紀パリの画商「ポール・デユラン・ルエル」

シンガポールの美術館・ 博物館・ギャラリー(25)

 今年6月のシンガポールの「アリアンス・フランセーズ」でのイベントは絵画についての ドキュメンタリー映画3本の上映でした。そのうちの1つイギリスのドキュメンタリー映画 「The Impressionists and the man who made them(印象派画家達と彼らを世に知らしめた男)」を見ました。  タイトルが興味深く映画を見る前に簡単な映画紹介を読むと「Paul Durand -Ruel(ポール・ デユラン・ルエル)1831-1922」という初めて聞くフランス人画商の名前が紹介されていました。 ​ ​​ 「Paul Durand -Ruel's brave decision to exhibit the Impressionists in New York in 1886 introduced enlightened, wealthy Americans to modern French painting.」  ​「1886年啓蒙された豊かなアメリカのニューヨークでモダンアート(印象派絵画)の展覧会を開催することを決意したポール・デユラン・ルエルの勇気ある決断」とあります。   パリではポール・デユラン・ルエルが生まれた時代は「サロン」が認めた「官展」が’美術界を牛耳っていた時代で、やっと多数派を占める官展に落選した画家達のクレームを受けて「ナポレオン3世」の計らいで「落選展」の一回目が開催されたのが1863年です。ニューヨークでの展覧会の僅か23年前です。  そして一回目の落選展では「マネ」が描いた「草上の昼食」が堕落した絵画とまた酷評となり、落選展から名前を変えて印象派展としてある程度評価を得始めたのは1870年以降のことです。  映画の中ではポール・デユラン・ルエルが家業である画商を引き継いだ時はあまり絵画には興味がなかったこと、早くに妻を亡くし3人の子供を育てるために堅実な生活を心掛けながらも絵画の購入に関してはある意味博打のような投資をしたことが紹介されていました。  そのきっかけは落選展で酷評を得たマネの絵との出会いだったらしく、何度もマネのアトリエに足を運び「あなたが描いた作品はすべて購入する」と伝え、画廊の経営が危ぶまれるほどマネの絵を購入し、またルノワールやドガ等の印象派画家達から購入した絵画と売った時の値段を記した膨大なメモも映し出されました。   アメリカでの展覧会を決意したのは一枚の手紙をアメリカの美術協会から受け取ったのがきっかけでした。ニューヨークを皮切りにボストンや西海岸でも開催さた展覧会は反響を呼び、アメリカで印象派絵画人気の火付け役になりました。ニューヨークの展覧会は「メトロポリタン美術館」で開催されたのだろうかと期待してそのシーンをじっくり見ましたがたが、名前は出ず実際は小さな会場だったようです。  彼が残した言葉「アメリカはフランスと違って、彼らは絵画を見て嘲笑したりはしない。ただ買ってくれるのだ」というのは正に印象的な言葉です。    映画のポスターに使われた絵は「ルノワール」が1883年に描いた「ブージヴァルのダンス」です。「都会のダンス」「田舎のダンス」と共に「ダンス3部作」と呼ばれています。モデルをつとめたのは自身も画家であり「ユトリロ」の母でもある「シュザンヌ・ヴァラドン」です。  ポール・デュランが特に愛した絵なのか、この3部作は亡くなるまで彼の手元に置かれ、ヨーロッパ各地で展示されたようです。  日本で2足3文で売られていた浮世絵が19世紀フランスで大きな反響を呼んで一大ブームになったように、新天地でその本来の価値が見出されることがあるのだなぁと絵画の運命についてちょっと考えさせられた貴重な映画でした。   

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