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星の国から。ヴァン・ノアール

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2022.06.12
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 「今日は何の日?」の記事を見ていたら今月2日に「本能寺の変」があり、未だ未だ記憶に新しい一昨年の大河「麒麟がくる」を思い出しました。昨年1月に書いた日記を修正してアップします。因みにウィキペディアでは本能寺の変は天正10年6月2日(グレゴリオ暦では1582年6月21日)となっています。



 「麒麟がくる」も終盤になって朝日新聞ネット版で「光秀は本能寺に行かなかった説がある」という記事を読みました。以前に「本能寺の変」を推理、分析する番組で光秀が宿泊した寺から何時に出発しどの経路で本能寺に向かったのかというのを見ましたが、それは光秀と交流があった公家が書いた日記から推測し、その日記も「噂」を書き記した可能性があるということでした。

  記事の内容は本能寺の変の総指揮を任された斎藤利三の3男の利宗が加賀藩の藩士に「光秀は本能寺には行かず京都南方に控えていた」というものです。そして江戸時代の1669年に加賀藩の兵学者「関屋正春」が成立させた資料にもこの件が書かれているそうです。関屋は息子にはきつく口留めをしていたことから信憑性もあると考える学者が少なからずいるようです。

 光秀が本能寺に行ったとしても行かなかったとしても首謀者は光秀には変わりなく、大河の中では信長が室町幕府最後の将軍「義昭」の暗殺や「知の人」として光秀を信頼していた「正親町天皇」の譲位を画策するシーンに苦悩する光秀の姿が印象的で、苦悩の末に決断というのは私には説得力がありました。

 余談ですが、最終回で光秀は生き延び「南光坊天海」として「徳川家康」の側近として仕えたという説に従ったようなシーンが流れ、新説も交えた「麒麟がくる」は本当にワクワクさせられました。その後ネットで信長を演じた「染谷将太」さんに是非「南光坊天海」を演じて欲しいという記事を見つけ、思わず笑ってしまいました。来年の大河「どうする家康」にもしかして登場するのかと今から楽しみです!







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最終更新日  2022.06.14 09:22:02
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