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テーマ:政治について(19781)
カテゴリ:シンガポールから日本のこと。
「東京オリンピック・パラリンピック」のスポンサー契約を巡って「AOKIホールディングス」から「組織委員会の元理事」に渡された「賄賂問題」の報道は、あれだけ物議を醸して開催された大会ながら蓋を開けてみれば選手たちの大活躍で大きな感動や元気を貰ったことを考えると残念というより悔しい思いさえあります。
田沼意次(1719-1788) ネットの画像から。 日本の賄賂の歴史は7世紀に「遣隋使」が中国に派遣され「貢ぎ物」を渡していた時代から長く続くものかと思いますが、百田尚樹著「新版 日本国紀 上」の江戸時代の章に「傑物、田沼意次」というタイトルの4ページで彼の偉業が書かれています。私自身は学校の教科書の「賄賂政治を行った田沼意次」という負のイメージが強く記憶に残っていました。 悪化していた幕府の財政立て直しのため徳川第10代将軍「家治(1737-1786)」に側用人・老中として仕えた田沼意次は紀州藩の足軽の出でしたが家治の祖父8代将軍「吉宗」の能力重視方針によって世に出ることになったようです。 著書の中で、彼の一番の偉業として「商人から初めて税金を徴収したこと」を挙げています。長く農民からの「年貢米」が主な税金源であった時代に、当時多くの利益を得、大名に利子を付けてお金を貸していた商人から税金を取ろうと考えた最初の人物で、それ以前に商人から税金を取るということを考えた将軍も老中もいなかったというのは正に「コロンブスの卵」のようです。 それ以外の偉業では「鉱山の開発」「干拓事業」「清との貿易の拡大と専売制」「ロシアとの交易の可能性を探るための蝦夷地(北海道)の天然資源調査」など数々挙げられています。 商人の税金は具体的には「株仲間(幕府から独占権を与えられた商人の仲間)」を奨励し、そこから「冥加金(百田氏によると現代の事業税)を取り経済も潤いを見せるようになりました。もしこの政策がその後長く続いていれば世界に先駆けて日本が「資本主義時代」に入っていた可能性もあったと予想しています。 将軍の死と共に田沼意次の反勢力の「商人と武士を結びつける」等のデマや中傷で失職してしまい、財産も全て没収されてしまいますが、驚くのは彼の私財はほとんど無かったということです。全ては個人の資産を増やすためではなく天下国家のための偉業であったことを知ると、同じ賄賂でもレベルが違うなぁと思わざるを得ません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.08.20 11:43:31
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