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テーマ:ドラマ大好き(4168)
カテゴリ:ドラマ&映画等など。
![]() ![]() 「石川数正」役の伴虚無蔵 「伴虚無蔵」役の伴虚無蔵 今週の日曜から始まった大河「どうする家康」に「松重豊」さんが出演する事を知らなかったので、突然画面に現れた時は「あっ、虚無蔵さん」とまず思いました。朝ドラ「カムカム~」ファンもネット上で随分盛り上がりを見せていました。正直に言うと私には初回は虚無蔵さんの圧倒的な演技の一人勝ちという感じで、もう芸名を「伴虚無蔵」さんにして欲しいと思うほどです。 「石川数正」が古参の「酒井忠次」と共に家康を支えた家臣団の1人ということを今回の大河で初めて知りました。 大河のウェブサイトではその人物像を「家康が最も信頼する常識人。カミソリのような切れ味の鋭い頭脳を持ち遠慮なく正論を進言、外交も務め戦国武将と渡り合う度胸の持ち主」と説明があります。 大河に少しでも長く登場して欲しいと思いウィキペディアで石川数正(1533-1593)の人生を見てみました。出自は清和源氏義時の流れを汲む石川氏です。波乱の戦国時代から安土桃山時代を生き、家康が「関ケ原の戦い(1600年)」で勝利する7年前に肥前の国の陣中で亡くなっています。 人生の中で特に興味深いのは織田信長の死(1582年)の後の豊臣側と織田/徳川側の「小牧長久手の戦い」で家康に和睦を進言した後、主君を家康から秀吉に替えていることです。三河勢の軍事的機密を知り尽くしていた石川数正のこの出奔は正に「どうする家康」のタイトルに相応しいほど三河に激震が走り、その後「三河の軍政」を「武田の軍政」に変えたようです。 1585年秀吉の下に出奔した理由については「豊臣家との和睦派として家中で孤立を余儀なくされた」とか「秀吉に帰順を説得された」等諸説あって、これを大河でどのように描いてくれるのか今から楽しみです。 ところで騎乗のCGシーンは私には何とも違和感があって「これってゲームに慣れ親しんでいる若者受けを狙って?」とか思ったりしましたが、まだまだコロナ禍「戦さのシーン」撮影は物理的に難しいところも多々あると思うので「鎌倉殿~」のようにもっと「心理」にぐぅ~っと迫るような展開に今後なっていってくれればと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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