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星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2024.08.13
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カテゴリ:本帰国で再発見!
  1.  ​​9月26日まで北海道立近代美術館で開催中の「浮世絵のヒロインたち展」は、現在は第Ⅱ期の歌川国貞(1786-1864)「江戸名所百人美女」の展示で、先週の日曜は学芸員による「江戸名所百人美女を読み解く」のミュージアムトーク(30分間)に参加した後、ゆっくりと百人の美女を鑑賞しました。
  2. ​ ミュージアムトークではまず描かれた場所は八丁堀、かやば町、猿若町、駿河町(現在の三越デパートの前身があった所)等など江戸の中心から一日で歩いて行ける距離にあった所である事と100点の中から10点ほど選んで描かれた女性の衣装、履物、化粧、髪型などから推察する身分などの解説があり、その中で一番興味を惹かれたのは1857年に描かれた「​霞が関」です。
    
  1.  理由は描かれた女性のほとんどが芸者(或いは元芸者)だったり市井(庶民)の女性で身元が分かっていない中、この絵に描かれた女性は「赤穂浪士」で有名な「浅野家(広島藩)」の10代目藩主浅野慶熾(よしてる)の正室 利姫(寿操院)と身元が分かっているという事です。下記は解説で聞き逃した箇所を「広島市図書館」のホームぺージで見つけた内容です。
  2.  ​​「天保7年(1836年)に御三卿の田安徳川家当主 斉荘(なりたか)の娘として江戸に生まれる。当主の他界によりこの家を継ぐ養子を迎え婚約したものの養子も早世、同い年の浅野慶熾に嫁ぐ。1858年、その夫も浅野家10代目藩主となった半年後に亡くなり23歳の若さで未亡人となる」​​
  3. ​​​描かれた利姫は、既婚者だが出産していないため振袖を着ている。打掛の袖口は「大名袖」と呼ばれる広口で、袖口が開かないように飾り紐で留められている。柄は雲形の間に桜、杜若(かきつばた)、牡丹(ぼたん)、梅、菊がちりばめられている。髪は「奴(やっこ)島田」という上流の武家娘が結う髪型である」
  1.  左上にある「コマ絵(メインの絵の補足)」に描かれている「霞が関」の橋の両側には浅野家と田安徳川家の屋敷があったそうで、その縁もあっての結婚だったのかもしれません。因みにコマ絵は別の浮世絵師が描くのが通常だったそうです。学芸員の説明がないと江戸の街にある地名は違っても同じような美女が並ぶのを鑑賞するだけという感じですが、解説を聞く事で浮世絵鑑賞も何倍も楽しめた感があります。





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最終更新日  2024.08.13 12:05:27
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