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カテゴリ:本帰国で再発見!
今月13日放送のNHK「知恵泉」は「不屈の画商 林忠正(1853-1906)」で、私は原田マハ著「たゆたえども沈まず」で19世紀にパリで活躍した林忠正の存在を初めて知りました。1878年のパリ万博をきっかけにたった1人の日本人通訳として渡仏し、その後は美術商としてヨーロッパに浮世絵などの日本美術や日本文化を広め、フランス政府からは勲章まで授与された人物が1920年代になって「浮世絵を海外に流出させた国賊」と烙印を何故押される事になったのか・・・。番軍内では林忠正の子孫の何人かは親族関係は隠した方が良いと周りから言われたというエピソードの紹介もありました。
林忠正についてはウィキペデア等で調べて日記にも何回か書きましたが、番組で初めて知ったのは1900年に開催された「パリ万博」の準備に臨む林忠正の決意やその行動力でした。これについては後で日記に書こうと思っています。そしてもう1つ私にとって驚きだったのは林忠正がフランスに根付かせた浮世絵の影響を受けた画家にセザンヌ(1839-1906)を挙げていた事でした。「孤高の画家」とも言われ1880年以降はパリから遠く離れた故郷プロヴァンスを制作の拠点にしていますが、そのプロヴァンスのシンボル的存在のサン・ヴイクトワール山の連作(油絵44点、水彩画43点)を理由に挙げ、セザンヌ以前に連作を残している画家は存在しないという事でした。「山」の連作ですぐ浮かぶのは葛飾北斎の「富嶽36景(1831-1834)」に描かれた46点の「富士山」です。葛飾北斎の富士山を目にしたセザンヌの日々変わる富士山の様子に驚く姿が浮かびます。 番組の最後にゲストから「林忠正の没後120年で国賊という汚名が完全に払拭される」というコメントもあり、改めて海外に影響を与えた日本の芸術や文化についてもっと知りたいという気持ちになりました。 ![]() セザンヌ サン・ヴィクトワール山(1887年) ロンドン コートールドギャラリー蔵 検索して何枚かのセザンヌのサン・ヴィクトワール山を見ましたが、前面の木の曲がり具合が何となく浮世絵を彷彿させる1枚に思えました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.05.21 10:12:56
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