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星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2026.01.05
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テーマ:読書(9885)
カテゴリ:読書 原田マハ
      
本の表・裏表紙の「二菩薩釈迦十大弟子」

 昨年のHBC文化塾の講演者の1人として来道した原田マハ氏のお話しを直に聞いてみたいと思いながら仕事の都合で行けず、参加した友人からいくつかエピソードを聞き昨年発行の「板上に咲く」を貸して貰い昨日読み終えました。

 版画家「棟方志功(1903-1975 青森市生まれ)」の名前は知っていても直に作品を観た事がなく一心不乱に版木を掘る姿は映像で見ましたが、その人となりを私は知りませんでした。「板上~」では冒頭に棟方志功が雑誌「白樺」で見たゴッホの黄色く燃え上がるような「ひまわり」に感動して「ワぁ(私)ゴッホになる!」と叫ぶシーンがあります。原田マハ氏と言えば「たゆたえども沈まず」や「リボルバー」で独自の視点も含めてゴッホの生涯を描きゴッホ研究家としても卓越していてゴッホ好きの私は興味深く読み始めました。

 以前日記に書きましたがゴッホを日本に初めて紹介したのは当時医学のためドイツに留学していた森鴎外
(1862-1922)1910年に「雑誌スバル」の中で「最近ヨーロッパで注目を集めている画家・ゴッホ」とゴッホの人生には触れずにそっけない様子で紹介したそうです。その鴎外の記事から半年後に雑誌「白樺」でゴッホが取り上げられ白樺派を代表する作家「武者小路実篤」等がゴッホの絵よりもその生きざまへの関心、共感、憧れを綴り多くの青年たちの間で「ゴッホ熱」や「ゴッホ神話」が広まったそうです。

 小説「板上~」では雑誌「白樺」の創設者「柳宗悦」が棟方志功に多大な影響を与える人物として登場しています。妻の「チヤ」ももし柳宗悦先生に出会わなければ棟方志功の人生はかなり違ったものになっていたのではと語っています。


       
「芦屋のひまわり」1888年       ​1921年「中央美術」に掲載のゴッホの記事

 そして白樺派が中心となって美術館建設計画の協力を依頼されたパトロン的存在であった大阪の実業家「山本顧彌太」の名前も「板上~」に登場します。1919年に7万フラン(現在の価格で約2億円)で「5本のひまわり」購入を実現させます。美術館構想の挫折後、東京と大阪で「ひまわり」は3回展示され、その後は芦屋の
山本顧彌太宅で保管されていました。この「芦屋のひまわり」を見るために柳宗悦の口添えで棟方志功が山本宅に向かうシーンは私にとっては圧巻でした。あともう少しで・・というところでチヤから子供の危篤が電報で伝えられ東京に引き返す棟方志功・・。この絵は第二次世界大戦中の芦屋空襲で焼失してしまいます。

 晩年世界的な「ムナカタ」になり初めて「ひまわり」を雑誌で見てから約40年後に妻のチヤとアメリカやフランスで直にゴッホの絵を見、そして弟のテオと共に眠るオーヴェールの墓に詣でるシーンでこの小説は終わります。

 自分を信じ、運を引き寄せ、その芸術性を突き詰めるエネルギー、そして家族(妻)を最大限に愛した人間「棟方志功」はチヤにとって「太陽」のような存在で自分はそれに寄り添う「ひまわり」であったと原田マハ氏の最後の最後の一行には感涙です。


私も気に入っている北海道近代美術館2階のロビー。入場券無しで自由に座って外が眺められます。

 余談ですが、友人から講演で原田マハ氏が自ら発信した「ミュゼ活(美術館に行って元気を貰う)」という言葉や札幌に到着してまず行った場所が北海道近代美術館で2階ロビーの大きな窓の前で記念撮影をしたという話を聞いてとてもホッコリしました。



       

 









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最終更新日  2026.01.05 12:23:55
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