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星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2026.02.28
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カテゴリ:本帰国で再発見!
 

 

 今月札幌の映画館「シアターキノ」で見た「モディリアーニ!」では新たな「ユトリロ 1883-1955」像やロシア(現在のリトアニア)出身の画家「スーティン 1893-1943」の個性
が印象深く描かれていました。ユトリロと共にモディリアーニの友人として登場したスーティンは「エコール・ド・パリ(パリ派)」を代表する画家です。第一次世界大戦後の1920年代に好景気に沸くパリの主にモンマルトルやモンパルナスを拠点にシャガール、パスキン、藤田嗣治、キスリング等の外国人画家が多数パリにやって来ました。そして「ピカソ 1881-1973」もその1人に数えられています。

 エコール・ド・パリで思い出すのは一昨年北海道近代美術館で見た「どこに行ってもよそ者だった:エコール・ド・パリの貴公子パスキン展」でその時パスキンがユダヤ系のスペイン人である事を知りました。自分がユダヤ系の血を引く事と葛藤した画家で預言通りに45才で自殺をしています。モディリアー二もまたユダヤ系イタリア人で、パスキンほど血筋の葛藤は無かったようですが最愛の内縁の妻でありミューズだった「ジャンヌ・エビュテルヌ」との結婚は彼がユダヤ系である事を理由に彼女の両親によって頑なに反対されていました。

 映画を見た後にアサヒグラフ発刊の「モディリアーニ」の解説のページの中に「.エコール・ド・パリと呼ばれる画家の多くはユダヤ人であった。その大半はロシア、ポーランド。リトアニアなどの東欧圏からでモンパルナスのカフェ・ドームはドイツ語を話すユダヤ人のたまり場とみなされていた」と書かれています。

 そしてピカソが「アヴィニョンの娘たち」を完成させたモンマルトルの共同アトリエ「バトー・ラヴォワール(洗濯船 1970年に全焼)以外にモンパルナスの貧しい画家たちの共同アトリエ「ラ・リューシュ(蜂の巣箱)」の存在をこの映画で知りました。モディリアーニ、シャガール、キスリング等もこのアトリエで制作活動を行い現在もパリ15区に現存しているそうで出来る事なら訪れてみたいものです。

 以前にパリは懐の深い街という言葉を聞きました。どんな人種であれ温かく迎え入れるけれど後は本人の努力次第。結果を出せなければ冷たく突き放される。パリを離れた「ゴッホ」はその1人だったのかもしれません。そして日本の浮世絵を高く評価して世界の浮世絵に育て上げてくれたのもパリだと思うとその街の奥深さを改めて感じます。。

 





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最終更新日  2026.02.28 10:56:48
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