「原爆裁判」判決主文の前に述べられた判決理由「政治の貧困を嘆く」@朝ドラ「虎に翼」
NHK朝ドラ「虎に翼」で初めて民事裁判としての「原爆裁判」を知りました。1955年(昭和30年)4月に広島と長崎の被爆者5人が国を相手に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて東京地裁に訴訟したこの裁判は8年後の1963年12月に判決が下り、その判決の放送が今日でした。 裁判官が通常は判決主文を先に読み上げるところ、後半5分ほどで判決理由を先に述べるシーンが流れた事に裁判官の被爆者と同じ心情と辛さが表れていたと思います。裁判官の言葉の1つ一つは重みがあり、一番印象的だったのは「政治の貧困を嘆く」でした。判決では原爆投下を「国際法違反」と結論付けながらも、アメリカに損害賠償を求めるのは裁判所ではなく、行政である「国会」や「内閣」の職責で(1951年のサンフランシスコ条約では日本はアメリカに損害賠償を求めない事に調印しています)また戦後高度経済成長を遂げている国は十分に被爆者への賠償が可能であるのに原告の提訴を「棄却する」という判決にはただ「政治の貧困を嘆く」と結んでいます。この判決時は昭和39年まで任期を務めた池田隼人首相でした。ドラマでは「この裁判を早く終わらせろ」と政治家から圧力がかかっているというシーンもあり、行政が司法に与えた影響もあったのかもしれません。 原爆投下が国際法に違反する戦争犯罪なのかどうか改めて検索すると、1945年8月9日の長崎への投下の翌日に日本政府(鈴木貫太郎内閣)がスイス政府を通じて米国に対して原爆投下が国際法に違反するとの講義をし、非人道的兵器の使用放棄を申し入れていました。結局この2点については1951年締結のサンフランシスコ条約には何の影響も及ぼさなかったという事になります。 理想論を言えば原爆被害の実態を徹底的に調査したと言われる加害国であるアメリカが世界中に核兵器の怖さを発信し「このような恐ろしい兵器は二度と使いません」と宣言していれば、世界情勢は大きく変わっていたのではと想像します。そして現在もある意味引き継がれている「政治の貧困」から脱却するには国民1人1人のこれではいけないという意識が一番大切なのではと「虎に翼」を見てしみじみ思った事です。裁判記録に佐田寅子のモデル「三淵嘉子」の名前も。