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2017.11.29
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クリスマスが、大好きでした。 
今も好きですが、この季節がやってくると、ちょっと切なくなるのも事実です。

亡き父と、最後に一緒に出掛けたのが 11年前のクリスマスの日、だったから。

父は、ガンでした。 末期の胃ガンです。(膵臓やリンパにも転移がありました)
ガンが分かってから亡くなるまでの1年ちょっとの間に、2度の大きな手術をしました。 

1度目にお腹を開いてくれた執刀医の先生は、思った以上に転移の範囲が広かった病巣に・・・ 
もう、摘出は諦め、そのまま閉じようか、と 思ったそうです。

けれど、外科医魂が発動したのでしょう。 諦めず、摘出できる限り取り出してくれた。


それが 良かったのか。 どうだったのか。
術後の予後が思わしくなく・・・3週間後、まさかの追加再手術。 約半年間の入院。 
定年退職のあと、元気いっぱいで野山を歩き回っていた、健脚自慢の父が・・・
あっという間に歩けなくなりました。









父は、たとえば 吐血して倒れて病院に担ぎ込まれた、とか 全くそういうのではないのです。
分かった時にはすでに「ステージⅣ」でしたが、ちょっと疲れやすいかな、以外、
全くといって自覚症状がありませんでした。

隠居の毎日を 心底楽しんでいた。 
趣味の卓球や畑仕事。児童の登下校を見守るボランティア。 本当になんともなかったのです。
ただ、近ごろ妙に顔色が悪いよね、ということで 念のため、病院に行った。


そしたら、人生が、変わってしまった。


2度の大手術を経て、何とか1度は退院できたんです。 家に帰ることができた。
1ヵ月ごとに1週間入院する、という・・・あのキツい副作用と、本当に意味があるのかどうだか分からないことでしか有名でない「抗がん治療」を受けながら、ではありましたが。

リハビリも、人の3倍頑張って、退院の直前、遂にひとりで歩けるようになった 父。
「退院できても、恐らく車いす生活ですよ」と言い放っていた若い担当医を たいそう驚かせた。

リハビリの訓練室で 父が初めて歩けたとき・・・
そこに居合わせた全ての人たちが 一斉に拍手をしてくれたこと。 
拍手の音。額に汗した父の笑顔。そして窓の外に見えた満開の桜景色は・・・ 一生 忘れない。





特別なことをしなくても「赤」と「緑」さえあれば・・・もう 気分は「クリスマス」。





退院した年の クリスマスの日のことでした。 
塩息子は、年長さん。 次の春にはピカピカの1年生となる 2006年のクリスマスでした。

今日、この子のランドセルを買いに行こう、って 急に父が言うんです。

こんな寒いし、クリスマス商戦の人混みで なにか風邪とかウイルスとかもらったら大変だし、
いいよ、お金だけ預かって、わたしと息子で買いに行ってくるから、と言うわたしに・・・


「いや、行く。一緒に行く。お金だけ渡したんじゃ・・・誰に買ってもらったのかなんて、
 きっとコイツ、すぐに忘れてしまうだろ?」 と・・・  ちょっと淋しそうに 笑った。

おじいちゃんがランドセルを買ってくれたんだ、ってことを、
父は、この子(塩息子)に、ずっと憶えていて欲しかったのでしょう。







温めたアップルパイとバニラアイスの組み合わせ。アリよりの・・・いや、神よりの神!




年が明け、2月28日に、父は亡くなりました。 享年66歳でした。

塩息子の入学式まで自分が生きられないことを、父はもしかしたら知っていたのでしょうか。



あの時 病院へなどいかなければ・・・ と 今も 時々思うのです。

さんざんな苦しい手術、治療をして、何ヵ月も入院をして、延びた命は ほんのわずかだった。

ほんの ほんの ほんの わずか だったのです。


それなら。 


あのまま、毎日、楽しく暮らして・・・ 好きな野菜作りやボランティア活動に励んで・・・
或る日パタリと畑で倒れたほうが、どんなにか有意義な余生を送れたのではないか、と。
幸せだったのではないか、と。


長い長い入院生活は、動くことが大好きだった父には・・・ 死ぬより苦しそうに見えたから。


自分自身の健康診断についても・・・ 最近は 正直考えてしまうところがあります。
受ければ、何かしら見つかる年齢です。 
毎年バリウム飲まされて、台の上でひっくり返されて、そんなに目くじら立てて病気の兆候を探す必要なんて、本当にあるのかな。 



健康診断は受けてはいけない (文春新書) [ 近藤 誠 ]
 






モノがいっぱいあるころは、生きること、「命」に対する執着も、凄かったんですよ、わたし。
絶対に長生きしてみせる!! 100歳までだって生きる!!  ってね(笑)

けれど、モノをたくさん捨てて、それこそ「生前整理」並みか それ以上に片付けて、
自分の持ち物も家の中も、どこもかしこも「がらーん」って なったら・・・


なんか、もう、わたし、いつ死んでも大丈夫だな、って。 
自分にいつか必ず訪れる「死」というものをね、悲観ではなく、明るく意識できるようになった。

いつまでも生きられると思わなくなってからの方が、そして「がらーん」になってからの方が、
1日1日や、自分自身のことを とても大切に思えるようになったのは、不思議なことです。




孫を・・・ 初めての、念願の「男の子の孫」だった塩息子のことを・・・
それこそ目に入れても痛くないほど、ものすごく、ものすごく 可愛がってくれた父。



父が亡くなったことは、思いのほか、引きずることはありませんでした。父をとても好きだったし、最後まで仲が良かったし、わたしなりに「充分親孝行をできた」という自負があったから。
そういう意味では・・・母が亡くなった後のほうが、わたしは引きずるのかもしれない。
なぜもっと優しくできなかったのか・・・と 自分の振る舞いを悔やみ、苦しむのかもしれません。



息子の成長を・・・ 見せたかったな、父に見ていてほしかったな、と、 いつも思う。


そんなときは 堪らなく寂しくなってきたりもするんだけれど・・・
父はどんなにか、もっと生きたかっただろう・・・と  胸の奥がギュッと痛むのだけれど・・・


そんなときは、いつもあの日の光景を、思い出す。

「必ず、歩く。おじいちゃんは、必ず、もういちど 歩けるようになって見せるからね。」

幼い息子に、そう約束をした父。 気迫と信念。 父が見せてくれた、人間の本当の強さ。


父が本当に再び歩けたときの、あの震えるような感動は、今、父を失った悲しみにも、勝る。


あの春の日の光景に・・・ あの「拍手」と「笑顔」と「満開の桜」に・・・  


10年以上の歳月を経た今もなお、 わたしは  救われている。







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↓ 気の早いすずひ。 早くも迎春の支度。いつもは「無印良品」のお飾りだったけれど・・・ 
   今年は ミニマルデザインがとっても素敵な こちらのしめ飾りにしてみようかなー。






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最終更新日  2017.11.29 17:14:52



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