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2018.11.12
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カテゴリ:捨て部
今日は 前回の「足りている」のお話の ちょっと続きです。
捨て業にまつわるとても大切なところだと思うので、もうちょっと このお話をさせてください。

「もっと欲しい!もっともっと!」 そんな強烈な人だったわたしが、
「足りている」という・・・ いまの心境・境地にたどり着くまでの 心の変化のお話。

  ************************************


溢れかえってしまったモノを、自分が気持ちよく暮らせる適正量にまで減らそうとする時。

初期には どなたさまにも「ひたすら捨てる」の時期があります。 例外なく。
ながーい ながーい 時期です。  捨てるものが まだいっぱいあります。
わたしも そうでした。 黙々と ひたすらに 捨てました。





食器全出しの途中。 ある日の様子。 これが、すずひ家の、今、ちょうどいい数。





今は「足りている」のです。 あんなに捨てて 減ったのに、 足りている。


減ったのに、足りている。  実に不思議な感覚なのです。 本当に、自分でも不思議。


不思議ついでに ふと考えたのです。
とにかくモノを減らしたら、誰でも彼でも「足りている」の境地に いつか必ず達するのか。


それはない。  達しない人も、残念ながら いると思う。

減っちゃった! 足りないっ! ってなってしまう人も、やはり 存在するのだと思う。


何故なんだろ。  どこで「捨ての道」が ふたつに枝分かれしちゃうんだろう。





ある日の1日1捨。南京錠(笑) こういうものを、なぜか、まだ持っていたりするの。
「ミニマリスト・すずひ」のくせに、可笑しいでしょう?(笑)






「捨てている」から 「足りている」への 進化には。 
多くのミニマリストさんが きっと どなたも辿った この進化には。


その狭間(はざま)に とある 大切な過程がある。 


その大切な過程とは・・・ そう。 「絞り込み」の行為。 絞り込んだか、どうか。





保温のお弁当箱の季節になったので、常温のお弁当箱も捨てました。欠けてたお丼ぶりと一緒に。
朝、2人分のお弁当を作る3年間も・・・ あと、本当に もう少しです。 





無駄なものを捨てて、モノが少なくなった時、それを「足りている」と感じられるか。
少なくなっちゃった!これじゃ全然 足りないよ! って 逆に 不安や不足を感じてしまうか。


その違いって、多分、「絞り込み」の段階が  その人に あったかどうか。 


自分の好きなものをきちんと選び、残し 絞り込んだかどうかで・・・その後の暮らしの満足度、捨ての達成感は びっくりするほど大きく左右されてしまう。



捨てることって。 
最終段階に到達すると、それはもう 単に捨ててるんじゃなくって 
無意識にしろ 意識的にしろ 自分自身の好みに「絞り込んで」いるのです。

「何を捨てようか」だったのが。
「何を残したいか」「何を選びたいか」。  思考が 完全に 真反対を向き始める。

誰かの真似じゃなく、「自分の価値観で絞る」ということ。 

               モノだけじゃない。 服も、人間関係も、何もかも。





絞り込んだ食器には、使わないものは1つも紛れていません。全てが必要。全てがスタメン。






捨てただけ、で終わっちゃう人。 かたや、自分らしい、新たな暮らし方を 確実に掴む人。


前者は、おそらく。
他人の暮らしの見よう見まねでちょっと捨ててみて、不完全なところで終わってしまうケース。
大きな変化を感じられることのないまま、自分の考え方や習慣も全く変わらないまま、
がらんどうになった部屋の中で、虚無感やわびしさばかりを感じる羽目になったり、
その反動でいつの間にやらリバウンドして、元どおり。 「挫折経験」という名のオマケ付き。

後者は。
モノの少ない暮らしを自分らしく発展させて行くために どこかの段階から「絞った」人。
モノさえ減れば何でもいい、ではなくて・・・自分の考えを持ちながら、自分らしく絞った人。

暮らしに「自分の心地よさのこだわり」を 見つけた人。






捨てた引き出し、じゃなくって 絞り込んだ引き出しって、こうです。何年もずっと崩れない。



せっかく捨てたのに。 それが「挫折経験」に終わってしまうなんて。
訳も分からず捨てただけ。その後悔で終わってしまうなんて、とてもとても惜しいと思うのです。

どうか、その1歩先の景色を見て欲しい。 どうか、自分の変化を感じて欲しい。

捨てたけれど、運気も暮らしも何にも変わらない。 そこで終わってしまうと。
なんか「捨て損」だった気しか 捨てて損した気持ちしか残らないことでしょう。
暮らしが変わる!とか 運気向上!とか あんなん全部嘘やん!損したわ!もうやめよ! と。


足りない! 足りない! 捨てちゃったから、余計に足りないわさ!!! と。


その気持ちも わかる。そのままだと、確かに足りないでしょうし「挫折」です。(;_;)

でも、惜しい!! (;_;)

ああ、あとほんの少しで がたん!って なったかもしれないのに! (((;_;)))



がたんと ?   「がたん」とは?


シーソーや 天秤が 水平になったところから がたんと どっちか側に傾くあの瞬間。


均衡が破られる瞬間。

「捨てている。 ああ、わたしは 買ったものをこんなに捨てている。」

捨て始めた時は。
手放して目の前から無くなるものの方に とにかく常に気持ちがフォーカスされているから、
悪いことをしているような、勿体無いことをしているような気持ちになります。
精神的に 一番しんどく苦しい時期。  
何か理由つけてやめたくなる時期。(旦那のモノが、子供のモノが、など家族や他人のせいにするパターンが極めて多い)


こんな苦しい気持ちは いったいいつまで続くの (;_;)
わたしは いったいいつになったら 先輩ミニマリストさんたちのような すっきりとした
暮らし・迷いなき捨ての境地に たどり着けるんだろ。

捨てていても、何となく 不安。このやり方であってるのかな、って。
わたしはずっとこのままなんじゃないか、というような 先の見えない気持ち。


「もう、こんな買い方、絶対にしない」って。 心に刻み込む。 けれどそれは大切な時期。



そして、その苦しさに くじけずに。 1歩1歩 進むうちに・・・



そう。  ある時、ふっと 逆転の日がやってくる。

捨てが平気になる訳じゃないのだけれど、何となく ちょっとそれまでとは違った心境になる。


捨ての苦しみが・・・ 選んでいる、という やり甲斐に 変わる。


これからの人生も共にするもの、愛せるものだけを 今、自分は選んでいるんだ、という
どこか生き甲斐にも似た気持ち。


それが、「がたん」の時。


この「やりがい感」は、捨て初期のうちには そう簡単に感じられるものではないです。
結構な量を捨てて がたん の段階まで到達しないと。

端から見て やけにサクサク決断できているように見える人って、
きっとすでに「選んで」いて、そして同時に「絞って」いる段階。

初期の頃とは もう 見ている方向が違うのです。 焦点が移行しているのです。

ゴミ袋の山の方を 恨めしく、未練がましく見つめているか。

スッキリと整い、輝き始めた部屋や・・・
そう、我によって絞られた、我に選ばれしモノたちとの「新しい暮らし」の方を見据えているか。


判断に自信が持てる。 

これいつか使うかも、とかいう・・・意味のない、無駄な迷いの多くが 俄然 吹っ切れる。


決断する力が 飛躍的に伸びるのは この頃。
自分らしさに覚醒し、他の人の捨て方に闇雲には共感できなくなってくるのも この頃。 
 (片付け本・ノウハウ本などに対し、疑問を感じ始めます。自分とは異なる価値観だから。)

何を捨てるか、ではなく どういう暮らしを目指したいか。 何を大切にしたいか。
あなただけの「捨て方」「持ち方」が 確立される時。 足りている、を 実感し始める時。




まだまだ たくさんのものに囲まれている状態で、なかなか捨てられない方からご覧になると、

ミニマリストってすごい決断力だな、って そんな風に感じる方もいらっしゃるかもしれません。 自分には とてもじゃないけれどできそうもないよ・・・と。



どんなミニマリストさんも。 みんな。 最初からそうだったわけではないと思うの。


わたしも 最初の頃は グダグダに悩んだし、いちいち迷ったし、捨てを ためらった。
  (それを証拠に意味も用途も不明な「南京錠」を未だに残してしまっていたりする・笑)


でも。  変われた。


がたん を 経験した。 がたん以前と以後とでは。 捨てのモチベーションは大違いでした。


南京錠だけでなく、ちなみにね、こんなものも わたしは 捨てずに持っているのです。
「松岡修造カレンダー」です。
これを 実は すずひは 4年間も 大切に持っているのです。 (驚くだろ・笑?)


この 「21日」の言葉が・・・ わたしは とても、とても 好きだから。








「次に叩く一回で、その壁は破れるかもしれない」

本気で取り組んでいても、
上手くいかなくて、壁の厚さにくじけそうになって、途中で諦めたくなる時ってあるよね、と。
次に叩く1回で その壁は破れるかもしれないのに。
その壁を破れるかどうかは 自分を信じ切れるかどうかにかかっているんだよ、と。


これって、 捨ての「がたん」と どこか似ている気がしませんか?


あと一撃で。 次に叩く1回で。 あと1個の「捨て」で。  
あなたの均衡は破られるのかもしれない。 あなたは 覚醒するのかもしない。


だから、どうか。  心地いい暮らしを目指すのなら。

決して諦めないで、くじけないで「自分を信じて」進んで欲しい!と 思うのです。

モノの多い暮らしや、捨ての行き詰まりに悩んでいる全ての人に・・・ 

「足りている」を感じてほしい。 この思い、届け! と。 強く、強く、そう思うのです。






                                      おわり







南京錠を今まで捨てられなかった理由は・・・こんな細モノこそ、買い直す羽目になるのが
超・嫌だったから(笑)。同様の理由で 安価なものほど捨てられないところが 実はあります。


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ちなみに27日の修造の言葉も大好き。このお話もまたいつかの機会に。(えっ、もういい?)
今日も最後まで読んでくださって、ありがとう!  すずひも、こつこつと、がんばるね!




 ↓ もふもふの Mofua を いよいよ装着!お布団と離れがたいこの季節がやってきた(;_;)






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最終更新日  2018.11.12 19:23:11



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