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テーマ:暮らしを楽しむ(388826)
カテゴリ:ミニマルに暮らす
物まみれで暮らしていた頃のわたしを思い出し 今、振り返りますと・・・
あの頃って、ちょっと恐ろしいよな 全くもって勘違いな、謎の「万能感」に まみれてて。 まるで、「モノの数 = わたしの能力・魅力・財力」 みたいな(笑) それは悪いことばかりではなくて、たしかに、一瞬。 モノがいっぱいあることは、力を得たような、装備を得たような「強い気持ち」「良い気分」に 束の間、なることができるのですが。 それは ある種の「ズレた快感」で。 わたしの場合、当時の消費行動のほとんどは「自信のなさの裏返し」であったことが、 今は、わかる。 わたしは、わたしを守る わたしを良く見せるための「装備」が欲しかった。 自信がなかったんだなあ・・・って すごく、すごく わかる。 愚かで情けないとばかり嘆いていたけれど・・・そんな弱さも愛おしい、と今は 思うのです。 だって。 人生において。 そういう 自信のない、不安な。苦しい時期って・・・ 誰にでも あるでしょう? 苦しくても 「助けてほしい」って、どうしても素直に言えない時期。 プライドが邪魔をして、頼ることを恥ずかしく、悔しく思ってしまうような 時期。 ************************************* ベランダのポリペールは、今、新品みたいに ピカピカ・真っ白です。 こないだのお休みの日、おとーさんが これを洗う作業を、初めて 手伝ってくれました。 結婚以来ずっと一人で洗ってきたポリペール。今年初めて「助けて欲しい」って言えたのです。 大きな3個を一人で洗って一人でベランダ運ぶのは、ずっと大変だったから、嬉しかった。 手伝って欲しい、お願い、って 素直に言えるわたしに・・・ わたしは、変わった。 さて。 雑誌というものを、家族全員が、滅多に買わなくなりました。 あ!でも これは買いました! 大好き! しいたけ.占い! 「ソウルカラー」を調べるテストが3つあるんですけどね。 その3つが3つとも、わたし「白」「黒」「ネイビー」「シルバー」のいずれか、 またはその全部、でした。 買った帰り、スタバで読んでて、一人で何度も吹いちゃった。 「白」の人は・・・物事に対する許容範囲が、思春期の中学生並みに 狭いってさ! ぶっ!その通りですけど! どうしてそんなことまでわかるのー(笑) まさに 「ミニマルワードローブ」とリンクしまくる 我が 「ソウルカラー」。 そういう服を愛しているうちに・・・ ソウル(魂)まで そうなっちゃった!ってこと? ミニマルな暮らしを続けていると、単に暮らしが、物量がスッキリすると思われがちですが、 物云々よりも、そういう むしろ 目に見えないものも、「精神世界的な部分」の方に、 実は とっても大きな変化が・・・ 嬉しい変化と効果があるんだよ、ってお話。 今日は、そう、「心」の お話。 ************************************* ミニマリストさんて、みんな 暮らしだけじゃなくて、「心」も片付いているところがある。 わたしはまだまだ発展途上だけれど、みなさん、とても達観されている雰囲気がある。 雑誌買わなくなった代わりに「日経ビジネスオンライン」は 好きで、今もよく読むのです。 ずいぶん前の記事なのですが。 思い出しては 何度もなんども読みに行くページがあります。 「人生を無駄にしたければ、この3つをたくさんどうぞ」の ページ、です。 日経ビジネスオンラインより ものをたくさん抱えていた頃ってね。 モノの数と同じだけ 愚痴があったのです。 モノの数と同じだけ 羨ましさもあった。 そして。 モノの数と同じだけ 誰かから 褒めてもらいたかった。 モノを捨てることが苦しいのは無理もないことだと 今はわかる。 そういうこと引っくるめて捨ててゆくのだから。 自分の嫌なところを 捨ててゆくのだから。 わたしが ものすごく短期間の間に一気に捨てられたのは、 自分の人生をダメにする、そういう全てを手放したい、と 心からそう思ったから。 まっさらに戻りたかった。 一気に片付けて。 なぜ リバウンドがなかったのか。 昔の自分になんて、嫌いな自分になんて、ひとつも 1ミリも戻りたくないから、です。 もう、まっぴらだから、です。 いつも愚痴ってばかりで、自分より幸せそうな人が羨ましくて、いつも褒めてもらいたくて。 そして、そのくせいつも、感謝してもらいたくて。 ボロボロのキズだらけになった3年選手のデュラレックス。新年に向けて、買い替えます。 がらーん な暮らしになってから。 「感謝」って。 求めるものなんじゃなくて、こちらから発露するものだってわかった。 暮らしを豊かにするのに、物質的な量なんて 意外と関係ない。 豊かさは。 心の中に、なんでもない日常の中に、とっくにあったんだって、わかった。 がらーん になってみて、わかった。 がらーん にならないと、わからなかった。 何にもなくても、豊かだってこと。 家族をつなぐものって、押し付けがましい愛情なんじゃなくて、 もっとミニマルで、自分次第なんだ、ってこと。 自分から感謝する、ってこと。 貢献するってこと。 すずひ家の新しいコップは、大好き!DEAN&DELUCAで。 う・・・美しい! 服やモノの量は、そのまま「劣等感の量」だった。持ち続けることが だから、重苦しかった。 苦しかったから、それを 手放した。 苦しさなんて、もう要らないから、手放したんだ。 これが わたしの ミニマルな暮らしが続く理由。 こんなにモノが少なくなった今も 1日ひとつ 捨て続けている理由。 ルールに縛られているなんて意識は、ない。 捨てるものを探して捨てる、というのとも 何か違う。 自分と向き合うことを、変化を、歩みを、成長を、わたしは まだ 止めたくないの。 ただ、それだけ。 無駄なものを捨てると、まずは 当然 部屋が変わる。 引き出しも納戸も 変わる。 そして 続けるうちに・・・ やがて 少しずつ「心が変わる」。 心の「荒み(すさみ)」を手放すから、心が柔らかく、うんと しなやかになるんだよ。 捨てているのは 服やモノようであって・・・本当は 「虚飾」や「劣等感」そして 「不安」。 つまり、「今のわたしにとって無駄になった装備」を捨てる、ということ。 併せて「不安」を手放してゆくこと。 「嫌いなところ」を捨てるから、残されるのは「好きなところ」「好きなもの」ばかり。 嘘や見栄にまみれてぼやけていた、自分の「良いところの」輪郭が、はっきりと浮かび上がる。 ピカピカの暮らしにふさわしい、ピカピカのコップ。「ふさわしい」って、素敵な言葉。 だから 「捨てること」は、もったいなくなんか、ない。 わたしの「捨て」が もったいないかどうか、なんて わたし以外の 誰にも決められない。 自分にとって必要な装備まで手放してしまったりはしません。 もちろん新しく買うこともあるし、そして、大切に持ち続けるよ。 いらないものだけ。 無駄なものだけ、わたしは今日も「1個」捨てる。 劣等感が 完全に「ゼロ」になってしまったら それもちょっと薄ら恐ろしいかもしれない。 けれど 持ち過ぎている限り、人生は 滞る。 人生の大切な瞬間を、無駄にし続ける。 だから、「1日1捨」。 そう、捨てるんだ。 続けるんだ。 おわり 3話連続・「ミニマルな暮らしが続く理由」。 2回目の今日は、「心」のお話でした。 暮らしが片付き整うと・・・心が変わります。 家族との関係も変わります。 間違いなく。 にほんブログ村 次回 第3回目は・・・ わたしの これまで2年4ヶ月のブログの、集大成かもしれない。 大切な読者のみなさまに、今、一番にお伝えしたいお話を お届けします。 どうぞお楽しみに! 第2回目、読んでくださって ありがとう。とても嬉しいです ( ´▽`)ノ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.11.30 21:25:02
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