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2019.02.25
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カテゴリ:すずひの本
住環境は そのまま そこに住まう人の心を表している、とは とてもよく言われることです。

これを 「ほんとそう!その通りな気がする!」と思えるか
「そんなこと関係あるわけ!? そういうこじつけはやめてくれ!」って思うか。


例えば、前回の日記の 為末さんのお言葉「狭い世界に生きる人は、どうでもいいことに悩み、
どうでもいいことにプライドを持つようになる。」に対しても、

「ああ、ほんとそうです。わたしも気をつけたいです。」と思うか。
「狭い世界でしか生きられなくて悪かったな!てめえマジ何様だ!」と思うか(笑)


分かれるところではありますね ( ´▽`)ノ   ( 実際 分かれていました )


同じ言葉を目にしても。
どうして 人によって、こんなに 真逆な受け取り方になっちゃうのか。


個性?  性格?


これは・・・ 
自分自身の それまでの経験や、今現在の心の状態が「投影」されるってことな気がします。


ものの少ない暮らしの快適さを 文章で あるいは写真で 発信されたものを目にしたとして。

へえ、そういうものなのかなあ、と やんわり受け入れることは一応可能だと思うし、
「すっきりとした中で暮らす自分」を なんとなく想像することもできると思うのですが、


やはり 自分で経験することって 異次元です。


心地よいことと、心地よくないこと、両方を知っていることって とても価値がある。
どちらか一方しか知らなければ、何を話したって 説得力は生まれない。
暮らしにくさ、生きにくさの中で 長年もがいた経験は・・・ 苦い思い出、というよりは、
だから、わたしの「宝」だ。


ものを捨てて。


部屋は。  暮らしは。  そして「わたし」は  冷静さを 取り戻した。

そう。 取り戻した。

新しいライフスタイルを始めることというのは、
これまで知らなかった新しい世界、新しい自分との出会い!なのだとばかり思っていましたが、
ミニマルライフって、そういう感じでは ありませんでした。

どちらかというと「戻ってゆく」「本来のあるべき姿に戻る」 そんな感覚。

新しい装備を身につけることの 反対方向。
余計な装備を手放し、本当の自分に 戻ってゆく、の 方向。


がらーん とした部屋は。  

3年半たった今も・・・  わたしに それを 今もなお「新鮮」に 教えてくれる。


    *********************************


さて。



人生は、大きく分けて2種類、なのだ と。 

たまたま訪れたお店のレジ横にあった「名言カレンダー」みたいなのに、書いてありました。

「諦める人生」。 「挑戦する人生」。    ほ、ほう・・・・。



どちらがより素敵な人生なのでしょう。  
ぱっと見、諦める人生に対するダメ出しのようにも読み取れますが・・・本当に、そうかな。

無理して挑戦し続けるのも・・・ それはそれで、なかなかの地獄、だぞ(笑)





ものまみれで暮らしていた頃は、わたしはわたしに対し、いつも、

「このままじゃダメだ」「ここままでは終われない」「もっと頑張らないと」 というような

たいそう厳しい声がけをする「癖」が在りました。   そう、挑戦していた。


もっと頑張らないと、が 脳内変換で大きくズレて もっと買わないと、もっと持たないと、
ここで負けたらこれまでのことが台無しだ! みたいになってしまって・・・


一生懸命 いろんなものを買いました。


わたしが えらく潔く ものを手放すことができたのには

一旦 針が振り切れるところまで買い尽くした、というのがあるから だと思っています。

どんなに買ったって、欲望は 終わらない。 
もの買ったところで、立派な自分になんてなれない。 素敵な別人になんて なれない。
こんなことを繰り返している限り、 
わたしは どこまで行っても ちっぽけで ダサい わたしのまま。 本質は、何も変わらない。


それが わかったから。  本当にわかったから。


これを 書籍の中で わたしは「身のほどを思い知った」と表現したのですが、
これは 悲しい諦めだったかというと そうではなく 
どちらかといえば、「自分が何者なのかが判明した」というような気持ちの方が強かったです。


目の前がひらけたような気持ちの方が 大きかったです。


ようやく 自分のことが ちゃんと 見えた。 自分自身を、正しく見つめることができた。






 \ お手にとって下さったみなさまのおかげで「1日1捨」は、第3刷となりました /

   ***  ありがとうございます。 感謝の思いで いっぱいです。 ***





自分が何者かもわからないまま 生きていたのです。 40代半ばまで。


これまでの人生において、どこかで大きく道を外れたり、放棄したり、ドロップアウトしたことはない。 わたしなりに その時 その時を 精一杯 頑張った。
でも、その いづれのステージにおいても「確固たる自分らしさ」みたいなものは つゆぞ、
育たなくて。 自分の中に「軸」が 育たなくて。
強く意思を持って選択した、というよりは なんとなく流されたことがほとんど、だったように思う。

そんな生き方だったから。
年齢的にはすっかり大人になってはいても、自分が何者なのか 全く わからなくて。 
自分という人間の「空っぽさ」が いつも不安だった。 で、ものを買った。 ものに頼った。


服に頼った。靴にも頼った。たくさんのインテリア雑貨や 高級基礎化粧品に頼った。
中身に自信がないから、外面(そとづら)を ひたすら固めた。 いつも「物質」に頼った。


わたしの、ものやら服やらが果てし無く増えた現象を、いま分析いたしますと・・・
                    おおよそ そんな感じだった、といえましょう。



どんどん減った現象はね、だから、 単純に その 「逆」なのです。


自分を思い知ったら・・・装備のひとつひとつが そのほとんどが 要らなかったとわかった。


余計な装備をすっかり手放した わたしは、びっくりするほど「ふつう」でね。
でも、その「ふつうさ」は、がっかりするどころか・・・ 言葉を失うほど 心地がよかった。


「ふつう」であることは ダメなことみたいに・・・「無能」みたいに 思っていた。


全然違いました。「ふつう」であることは、わたしにとって、最高に幸せなことでした。


そこに びっくりしちゃったのです。 衝撃だったのです。


これまでわたしのしてきたこと、なんだったんだ、と。
買ってきたもの 信じてきたもの、頼ってきたもの・・・全て無駄だとは思わないけれど、
大方みんな幻想だったんだ、勘違いだったのか、と。


手放しても大丈夫なものが ほとんどなんだ、と。



ああ、こうしてこういうことを 心に浮かぶままに 書いていると、
このことも、このことも「本」に書きたかった、と とても 思う。

伝わるように書ききれなかったことが たくさんあった。

今は、きっと。 それを とことん思い知る時なのでしょう。 
これもまた、「己の身の程」を 知る、ということ。 
ひとたび著者を名乗ったなら・・・ 受け止め続けるべき、大切なこと。











素の自分からかけ離れたような無茶をし続けることは 不自然です。 
身の程を思い知ることは だから 悲しい諦めなんかじゃない。
わたしがわたしらしくあるための・・・ とても清々しい「諦め」でした。

みんなと仲良く! みんなと一緒!  変わったことをするな! 優等生を目指せ!
いつも素直で明るく、先生の言うことを黙って聞いていれば それでいい! 

昭和の学校教育は・・・ わたしの性格に まるで合わなかったです(笑)
よく学校行けてたもんだ、とさえ 正直 思います。 優しかった周りの友達のおかげかな。

新しいスカートを買わないと 春は始まらない!  秋も始まらない!
新しいものをどんどん買わないと、周りから置いてけぼりになるかのように メディアは煽る。

世の中や他者からの まこと身勝手な提案や要求は たいそう鬱陶しくもあるけれど、 
それがないと何も決められないほど空っぽだったのは 結局頼っていたのは いつも自分だ。 

世の中に、過剰に、必死に適応しているうちに・・・知らないうちに40歳を超えていました。



そういう人って・・・ 実は、意外と  多いんじゃないかな。 (特に、根が真面目な人)






「諦める人生」。 「挑戦する人生」。  



どちらか一方だけが素晴らしい、ということは ないと思います。
時に諦め、時に挑戦し・・・ みんな 一生懸命  その時 その時を 生きている。

言葉だけ見ると 前者は怠惰で 後者は立派。 そんな風に受け取れちゃいますが。

明るく諦めることって とても美しいです。 凛々しく、前向きです。
諦めきれず執念深くしがみつくよりも・・・ よっぽど 清々しく 爽やかでさえあります。


「諦める」は とかく「挫折」みたいなニュアンスで使われることが多い言葉ですけれど、
「自ら納得し、執着を手放す」ことでもあるように思うのです。 
その時の前向きな「諦め」は 恨みがましく未練を断ち切るのとは まったく異なります。


挑戦し続ける人生を選んでいたら・・・わたしは、あのままの勢いで「もの」を「服」を
一生買い続けることになっていたかもしれない(震)
あの服を買えば、あの家具を買えば、きっと素敵に生まれ変われる、次こそきっと自信を持てる!と ひたすら信じて。
50歳、60歳になっても諦めることなく挑戦し、勘違いなドレスや 履けないほどの数の靴を 次こそ、今度こそ、と  買い続けたのかもしれない。


だったら 諦めて、良かった。 40代で思い知って、本当に 良かった。 


何を選んで生きたとしても、自分でちゃんと納得できていないことには それはとても苦しいことです。


初めて自分の「強い意志」でもって 選んだ、という実感がある。 
流されてばかりだったわたしが、初めて 流れに抗った。

初めてそれをできたのが、今の暮らし。「ミニマルな暮らし」でした。




ミニマルな暮らしは、自分の成長を諦める人生、とは 違う。  
成長するために、勇気を持って、一旦、リセットする。

見当違いなこと、いろいろ間違えちゃったことをちゃんと認め、自らの力で 白紙に戻す。

もういらない過去を。  余計な感情を、無駄な見栄を、がんじがらめの強がりを。


わたしは 一気に「捨て」ました。













ものがいっぱいあったときは 足りない!足りない!と 不安で仕方なかったのに。
ものがこんなに少なくなったことで 逆に安心し、毎日心穏やかに暮らせているなんて
不思議でしょう?  かつての価値観って、なんだったんだ? って 思うでしょう?



これまで、どんな片付け本を読んでも 全く動き出せなかったのに、
わたしの本を読んで、初めて動き出せた、捨て始められた!というお手紙を いただいたのです。


わたしの本は、ものの「具体的な捨て方」には ほとんど触れていない本だったのに。
                 

伝えきれなかったと思っていた気持ちや、「行間に込めた思い」を 深く読み取り、
こうして受け取って下さった方が 行動に移して下さった方が いてくれる。


こんな素晴らしい読者さんが  いてくれる。  こんな幸せ、あるだろうか。 


わたしにはもったいないような 素敵な読者さまです。

本にも。   そして このブログにも。   とても優しい読者さまが、いてくれる。



「捨てることは 生まれ変わること」。



トレンドど真ん中の服や靴。 立派な住まいや最新の家電。
人よりも高価なものや 人がまだ持っていないようなものを 人よりもたくさん。 


新しく手に入れること、所有することだけが「生まれ変わること」と信じていたわたしは


もう どこにも  いないです。







                                     おわり






少なくても足りることを 満足と、幸せと。豊かと思うか。
少なくては足りない。不安で惨めだ、もっと欲しい、と思うか。人は二極化してゆくように思う。

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心の状態が、ものの持ち方に そのまま投影されてしまうのであれば・・・
心の状態を変えられるのって、自分でしかないです。満足して、安心して 暮らしたいですね。

今日も最後まで読んで下さったのですね。 今日も長かった!  ありがとう ( ´▽`)












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最終更新日  2019.06.05 12:20:54



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