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テーマ:暮らしを楽しむ(388569)
カテゴリ:バッグのおはなし
イタリアのコンテ首相は。
COVID-19(新型コロナウイルス)の感染拡大を抑えるためとして、 これまでに打ち出していた全土での不要不急の外出を控えるよう求める措置に加え、 薬局と食料品店といった生活必需品を取り扱う店以外はすべての商店の営業を禁止する、という 新たな対策を発表したそうです。 これはコンテ首相の11日夜のテレビ演説によって、明らかにされました。 薬局と、食料品だけ!? えー!!すごい決断だ!って驚いたんですけれど、 わたし自身、よくよく考えましたら・・・ この新型ウイルス騒動の勃発以降、その2ケ所しか買い物に行ってない。 この2つしか営業しないの!? 無理!!! っていう気持ちよりも、 この2つさえやっててくれるのなら、 ここ最近の日々の暮らしは確かになんとかなってきた、と気づく。 生きるのに必要なお店の種類って・・・ 本当はとっても少ないんだ、と気づく。 ちょっと、呆然となる。 「生活必需品を取り扱わないお店」で生計を立てておられるイタリアの方々のお気持ちは、 一夜明けて、いま。 ああ、如何ばかりか。 ***************************************** このバッグと暮らした1周年を記念して、 今朝、ひととおりのいつもの家事をすませてから記念の撮影をしました。 1年使っても、とってもきれいです。 なんだか嬉しくなります。 最後にバッグを購入した時から、この3月で、ほぼ1年が経過したことになります。 バッグ買ってない記録「1年」です ヽ( ´▽`)ノ 靴も1年いけるかな、と思っていたのだけれど、 前倒しの「備蓄型購入」しちゃったので・・・ 残念ながら、達成ならず。 バッグに関しては、まだまだ余裕さえある気持ちのままでの「1年達成」です。 この先も、買う予定は当分ない気がしてます。 なぜならば。 わたしは、入れる中身がないからね ヽ(;▽;)ノ → ★ ************************************** 本当はもう、いつも「手ぶら」でも大丈夫なのだろう、と うっすら気づいているのです。 けれど人って不思議なもので、完全なる手ぶらって、なんだか歩きにくくないですか? 目のやり場、ではなく「手のやり場」に困る、というか(笑) 中学生の時とか、いつも大荷物なのに、 卒業式とか入試結果の報告とかで、「セーラー服で手ぶら」でたまに学校へ行く時、 なんかわたし手の振り方がわからなくなって、うまく歩けなかったような記憶があるよ (;▽;) ウォーキングとか、登山とか、ガチの歩行の場合は絶対に「手ぶら」がいいのでしょうけれど、 街の中をぶらぶら散策、とか、お店の中をふらりと歩く、とかですと 何にも持ってないと、どこか怪しい、というか(笑) この人手ぶらで何しに来たの? 何してるの? 何にも買う気ないくせに、うろうろしに来たの? バッグどこかに置き忘れてきた?みたいに・・・なんかちょっと怪しまれそうじゃないですか? 服を見ています。 靴を見ています。 お財布もちゃんと持ってきてます!! わたしはれっきとした「買い物客」です! 決して怪しいものではありません!! のために、バッグはあったほうがいいような(笑) お財布ポシェットは、本当にそういう意味では「有能」ですよ。 お財布そのもの、ですからね。 「お財布ちゃんと持ってます!」が、火を見るよりも 明らか(笑) *************************************** バッグ2個と、お財布ポシェット。 こうして「3つ」並べて思うのは。 必需性においても、利便性においても、 ダントツの第1位は、結局は「お財布ポシェット」であること。 支払いの時に、バッグの中から財布を出してまた収める、という一連の動作や、 「バッグの中の財布を探す」という行為が、実はとてもストレスだったことを知るのです。 また、 出先のお手洗いやパウダールームなどにおいて、 「バッグの置き場所」や「バッグの引っ掛け場所」を探さなくていい。 バッグをどこにも置かなくていい。 これが、このちょっとしたことが、わたしにとって実はどれほど快適であるか、ということ。 ************************************** ご存知、わたしは若干の潔癖の気を持ち合わせております人間ゆえ、 お手洗いなどはもちろんのこと、そこらへんにバッグを置くことが、 とても苦手だったんだなあ、ストレスだったんだなあと つくづく気づきます。 今、世の中がこんなことになっていて「一億総潔癖」みたいなことになってますが、 わたしは元々からしてそういう気質でありますゆえに、 暮らし的にも「除菌的」にも、やることも、立ち向かう気持ちも、 騒動の前と今とで、心情的にはあまり変わっていない、というのが正直なところ。 急激に高まった除菌の必要性に対しても、さほどストレスを感じていない自分に驚く。 「もともとそうである」ということの、これが「強み」なのか。 **************************************** そうはいっても この「パンデミック」なのです。 いつかは感染してしまうのかもしれないですけれど、もう、その時は、その時です。 怖がっていても、いなくても。 罹る時には、誰もが罹ってしまうのでしょう。 ************************************ ああ、薬局と、食料品と。 それだけ許可します! あとのお店は営業停止! と。 「経済全体」を一旦あきらめる、というような覚悟。 人命第一! 首相のこの決断。 「ファッションのイタリア」の首相が 堂々とそんな宣言をすると。 バッグ! とか 服! とか、 なんて・・・・ 生活必需度ランキングから言ったら、 もう、下位も下位もいいところなことを まざまざと突きつけられる。 そんなことに悩んだり、喜んだり、一喜一憂していられることが、 どれだけ平和で、贅沢で、ありがたいことなのか、にも 改めて気づく。 3.11 と向き合ったなら。 いつも通りの明日が来ることが決して当たり前ではないことを、何度も思い知らされる。 それに気づきなさい。 そして忘れるな、と。 住むところがあって、食べ物があって、着るものがあって、家族があって。 そして「明日」があって。 行ってらっしゃい!と送り出した家族が、無事に家に戻ってくることを、 当たり前のこと、ふつうのこと思ってしまうのは、本当に間違っているのだ、と気づく。 何よりも感謝すべきことなのだと気づく。 **************************************** バッグや、靴や、お出かけ用の服は、生活を彩るための「お楽しみ」です。 必需品なのではなく、「娯楽」なんだな。 わたしはいつも「娯楽」をどうするかで、いちいち大げさに悩んでいるだけなんだな。 ああ。 わたしの持ち物は、かなり少ないけれど。 それでも実際には「なくてもいいもの」を、まだいっぱい手放せずにいるんだろう。 まだまだ、ぶざまに握りしめているんだろう。 ************************************** バッグ2つでも、もはや多い気さえしてきた。 服9着でも十分に足りているのは、本当は、そんなの きっと「当たり前」のことなんだ。 これまでがあまりにも多すぎたから「少ない!」と自分比において興奮しているだけで、 きっと、当たり前にできて然り、のことなんだ。 わたしは一人だし、体は一つなんだから。 本当に必要なものは何か。 「必需品」って、なんなのだろう。 それを考えさせられるようなことばかりが 世界中で、今、次々と起こる。 平和のありがたさとか、健康のありがたさとか、人と人とのつながりとか、助け合いとか。 行きたい外国に行きたい時に自由にいけることだって、全然当たり前のことじゃなかったんだ。 これまでは「紛争」とか、「戦争」とか、そういうことでしか感じたことがなかった。 そう思ったら。 トイレットペーパーが買えないことくらい、まじどうってことないや、と、 どれほど「些細なこと」なのかを、 わかっているようで、わたしは全然、まったく、わかっていなかった。 なんであんなに怖がっていたんだろう、と。 今、やっと。 本当に、心の底から。 そう思えてきました。 この世に生きるための必要なものを、本当にとことん、究極まで突き詰めたなら。 きっと最後は「命」だけ。 なのでしょうね。 おわり Tomy先生の本に。「人との食事は大切になさいね」ってありました。 できればスマホなんか見ないで。顔を見て「美味しいね」って言い合いましょうね、って。 ↓ ちょっと勇気の必要だった昨日の日記に、 とてもたくさんの「読んだよ!」のポチを・・・ ありがとう。 にほんブログ村 その人との食事がいつできなくなるかわからないのだから。と。 本当にそのとおりだと感じた 昨日は9回目の「3.11」でした。 今日も最後まで読んでくださって、ありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.03.12 17:24:31
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