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テーマ:暮らしを楽しむ(383581)
カテゴリ:バッグのおはなし
長らくリモートだったお仕事が、通常の勤務形態に戻ったり。
営業自粛をしていたお店が、一斉に営業を再開したり。 小学校も、中学校も、高校も。 幼稚園や、保育園も。 みんなみんな再開されたようなご様子ですのに。 近くの高校からは、始業・終業のチャイムや 校庭で活動される生徒さんの元気なお声なども聞こえてまいりますのに。 それぞれの「新しい生活」が始まっているかのように見えますのに。 自粛生活の中に、今も尚、置き去りにされたままの学生がいます。 大学生たちです。 自粛生活において、このバッグは、かわいそうに。今のところ「負け組」。 *************************************** 9月中頃(前期・夏季休暇含む)までの登校停止はもうとっくに決まっているのですが、 東京の有名私立5大学「 MARCH 」の中の A大学におかれましては、 後期の講義もリモートにいたします、の決定が 早くもアナウンスされてしまったそうです。 1年生の中には、いっそ1年休学して 1年生をちゃんともう一度最初からやり直したい!という思いを抱く学生さんもあるそう。 無理もないです (´;Д;`) あの異常な渦中の受験生活にひた耐えて、 念願の合格をその手に掴み、 夢にまでみた憧れの「キャンパスライフ」。 どうして大学生だけ自粛のままなのでしょう。 衛生や感染防止に対しては、 もっとも分別のつく年齢に達しているようにも思うのに。 講義ごとに学生がそれぞれの教室へ移動してしまうことや、 出身地が様々な学生が一堂に会する、ということにやはり問題があるのでしょうか。 リモート講義であっても、 講師陣のお給料にはあまり影響がないのだ、というようなことを小耳に挟みましたが・・・ 学食のおばちゃんたちのお給料は、一体どうなるのー (;_;) こちらは「勝ち組」。どちらも「お出かけ目的」の物なのに・・・明暗が、くっきり。 ************************************** 自衛隊の定年というのはとても早くて、 平均で55歳という「若年定年制」が採用されているそうです。 厳しい規律の中で働いてこられて、 定年後は、さぞ「規律から解放された自由」を謳歌されるのかと思ったら、 意外とそうでもないらしい、というインタビュー記事を読みました。 自衛隊は規律正しい組織です。 真面目な人が多く、職務自体もストレスフル。 自衛隊員さんはその規律の厳しさゆえ、 常にストレスが大きいと思われてしまいがちですが、 意外とそうでもない、というところもあるのだそう。 全部が決められていることは「楽だ」と。 ・服装が決まっているから、 「決めなくていい、という点から見れば楽だよな」という見方もできるわけです、とは 55歳での定年を間近に控えた自衛隊員さんのお話。 「楽だよな」か・・・。 楽なわけないです!と傍目からは見えるのに、 そこに関しては「楽なのだ」と。 しみじみと。 **************************************** ミニマルライフは楽だよな、と 思うのです。 自衛隊員さんのおっしゃる 「服装が決まっているから、今日は何を着ていこうかと悩まなくて済む。」は、 まんまそのままですし、 日課も、仕事の内容も全て決まっているし、 うちの場合は「献立」も決まっているし、 残念ながら「若年定年制」は、ないですけど(笑) 定年制、作っちゃおうかな(笑)! 「勝者」と、「敗者」。 シュールな「持ち物ヒエラルキー」の、画(笑) ************************************** なにごとも。 毎日いちいちどうするかを考えるのは大変なのだ、ということですね。 決めるまでは大変でも、苦労や失敗があっても、 決まってしまえば。慣れてしまえば。 それは、楽だ。 管理されることは、ある意味「楽」なのです。 大学生が「自粛生活」に置き去られてしまっているのは。 出身地うんぬんもあるでしょうけれど、 自分で学習できることを見込まれているからかもしれませんね。 毎日登校してがっちり管理されなくても 与えられた環境の中で、 自分のために自分で勉強できてこそ大学生の姿だ、 大人なのだ、ということ、なのかな。 けれど、大学生活の楽しみは勉強だけじゃないですし、 (楽しかったことのすべては、わたしは「勉強以外」だったです。) リモートの講義ばかりを受け続けるしんどさたるや、計り知れない。 大学生活の楽しいことが、ほとんど無しになってしまって・・・どんなにか切ないだろうに。 こんなこと、初めて、ですものね (;_;) *************************************** 少ない服や物で暮らしていると。 すべての持ちものを必ず使っている、というのがとにかく嬉しいですし 「快感」でもあったりするんですけれど。 少ない持ち物の中に。少ないバッグの中に。 こんなに長い間つかわなかったものがある、ということも、まさに「初めて」なので、 心の持ちように、今、いささか苦労をしています。 使っていないなら手放したい、という血が暴れ出すからです。 いや待て、これは違う、使ってないのは「自粛」だったからだ。 出番がなかったのは「自粛のせい」なのだ! 早まるな!! と。 ちゃんと思い直すんだけれど・・・ 本当にそれだけ? 本当に、本当に、本当に自粛のせいだけ? とも思えてきて・・・・ バッグ 「おかーさん、そんなに毎日、睨まないで (;_;)」 「半年も使わないバッグが家の中にあること」に慣れていないわたしは。 ふつうにバッグの出番のあった日々は「楽だったよな」と・・・ これが「ミニマリスト・ニューノーマル」か、と。 使わなくても要るものって、もちろんあるんだけれど。 こういうケースは初めてのことなので、 半年使っていないバッグを出してきては睨み、 またそのままそっと いつもの場所にしまう。 また出してきては睨む、を・・・ 繰り返しています。 要るのか要らないかを考えることに、 そして「睨むこと」に、疲れてきました(笑) 「慣れていないこと」は・・・なにごとも、疲れますね ( ;∀;)ノ おわり 今日もお読みくださって、ありがとう。 ↓ 今日はくもりだけれど、なんとか乾きそう! バスタオル乾け!のポチっと、ありがとう! にほんブログ村 自粛生活だから要らないのか。そうではなくて要らないのか、の見極めができません。 いつ頃はっきりするのかも、わからない。 いつになったら大学が再開されるのかも、わからない。 「わからない」ことって・・・「わかる」よりも、ずっとしんどいことなんですね (;_;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.07.15 22:39:24
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