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テーマ:暮らしを楽しむ(388825)
カテゴリ:すずひ食堂
何がどう、というわけではないのですが。
いちごジャムの瓶が、可愛く役立っています。 捨てなくてよかった! *************************************** あの論争を引っ張りたいなどという気持ちは一つもなく、 むしろ早く消し去りたい記憶、という思いの方が強いのですが。 最近、やたらと頻繁にポテトサラダを作ってしまう。 何故なのだ・・・ ( ;∀;) ポテトサラダに使うお塩は「ぬちまーす」。 旨味が違うよ、ぬちまーす。 ************************************** この論争は、初めのうちは、 「なにごとか!」「とんでもないこと!」と。 当事者となったお方に近いような、 たとえば若いママさんとか、 ワーキングマザーさんとか、 主に女性陣が憤怒していたように感じるのに、 しばらくした頃、 あの騒動を冷静に分析するような 社会的なコラムがたくさん出てきて、 その筆者さんは、 今度は男性であることが多くて、不思議でした。 タッパーに入っているのは、今日の「昼呑み」のアテ。こういうのがちょっとあると、嬉しい! **************************************** そんな中、ある日読んだ、 ユングの思想の原型にある「グレートマザー」になぞらえた考察のコラムに、 すずひは唸りました。 グレートマザー。「偉大なる母」のお話。 ここに「偉大な母性」の危うさがある。 ほう。 母性をそのまま内在化した自我は、 うわー、なるほど。 こういった母性渇望的な傾向は一般的なものであり、 うんうん、たしかに。 日本にはもともと根強い母性神話の文化があり、 全くそのとおりだ!! 「理想化された母親」。 うおおおおおー Σ(゚д゚lll) 自分が「母親」に求める幻想を、 自分の妻や恋人のみならず (それだってどうだか、だが) 見ず知らずの女性にまで求めてしまう、ということなのか。 ポテサラは、きゅうりじゃなくて「ブロッコリー」派。 ゆで卵めっちゃ多めに入れる派、です。 *************************************** つまり、くだんの高齢男性は、 女性のお子さんや家族を不憫に思って 「母親ならポテトサラダくらい作れ!」 「手作りのポテトサラダを家族に食べさせてやれ!」 という、一見かっこいい「お説教」の体裁を気取りながら。 お母さんの手作りポテトサラダを誰よりも食べたかったのは、 求めていたのは。 その高齢男性自身、だったのでしょう。 お母さんの作ってくれたポテトサラダが、忘れられなかったのかもしれません。 または、なかなか作ってもらえなくて、ずっとさみしかったのか。 ************************************** だからどう、ということではなく、 ポテトサラダを、以前よりもよく作るようになってしまったのは何故なのか。 自己分析をいたしますれば。 「母親神話」は きっとわたし自身の中にこそ根強くあって、 ポテトサラダ 作ってみせようではないか! と。 あの騒動が、何か潜在的に、じわじわ作用しているんでしょうね(笑) 負けず嫌いか(笑々) 朝食にちょとだけ添えるのも美味しかった。 今まであまりしたことがありませんでした。 ************************************** 惣菜売り場のポテトサラダを買おうとして 見ず知らずの誰かから 「母親ならポテトサラダくらい作れ!」とういうようなことをもしも言われたら。 読者さんなら、なんて対抗しますか? なんて言ってやっつけますか?(笑) 「あはは、そうですねー」 「あはははははははははははははー」 と笑ったあと。 「でもわたし、あなたのママじゃないので。」 わたしなら、こう言いたい。 真顔で、こう言えたらいい。 けれどそういう人は 言い返してきそうな人には絶対に言わない嗅覚を持っているから、 この決めセリフを披露するチャンスは、 きっと、ないのだわ ( ;∀;) おわり 今日もお読みくださって ありがとう。 ↓ いつもポチッと応援、ありがとうございます。 にほんブログ村 自分で作るポテトサラダと、惣菜売り場やデパ地下のそれは 全く「別物」で。 買ったものにしかない特別な美味しさがあるんですよね ( ´▽`) それをわかってー デパ地下ずっと行けてないなあ。 ああ、美味しいもの買いに行きたいなあー (;_;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.08.23 17:08:33
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