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テーマ:暮らしを楽しむ(388827)
カテゴリ:ミニマリストになる前は・・・
50歳になって「自由になった」と感じているのは。
「所属」から自由になった、ということが わたしの場合 大きいのかもしれません。 わたしが かつて長年溺愛していた「ふりふり」の服。 それを着るのをやめたのは、 わたしの「所属」に変化が訪れたときでした。 学生の頃も、 お勤めしている間も、 25歳で結婚してからも、 子育て中に「ひとり」で家の中で奮闘しているときや お子を「ひとり」で公園へ連れて行っている間までは、 つまり、なんと申しましょうか わたしが「単品」として行動できている間は、 とても大好きで、ふりふりを、ずっと着ていたのです。 すずひ家アルバム「4」「5」「6」「7」より *************************************** やがてわたしは「幼稚園児のママ」となり、 園という組織に「保護者」として、 同時に「同じ年の子を持つママ」としてのグループに所属しました。 ふりふりの末期は、花柄ではなく、わたしは「ギンガムチェック」ばかり着ていたのです。 *************************************** 「所属」をしてからも、 好きだから、好きなものを、 しばらくは堂々と着ておりましたのですが・・・ なんとなく だんだん「着にくく」なって やめました。 まあ、服が服でしたので、あまりにも特殊でしたので、 仕方ないといえば仕方ないのですが、 悪目立ちをしていいことなど一つもない、というか(笑) やっぱりその所属や周りに馴染む格好していかないとな、 それは身のためでもあるし、 これから始まる長い長い「ママとしての所属」を生き抜く術だよな、と思ったのです。 好きなものを 一旦 諦めたのです。 最後のギンガムチェックの写真は、年中さんの運動会。最後の記憶は、いつも、運動会(笑) *************************************** 自分の意思だけでは選べない所属や人間関係の中に、 どうしても身を置かなければならない時期、というのが 子育てには、人生には、必ずありますね。 楽しいことももちろんあり、 そしてまた ありがたい試練でもあり。 わたしね、いっときね、 学校行事に行こうと思うと足がすくんでしまう時期があって、 そういうとき、おとーさんが付き添ってくれたことを いま思い出しました。 行事ごとに夫婦でいると、 意外と誰からも話しかけられないで済むところって、ありませんか? おとーさんが防御壁になってくれるというか。 SPというか(笑) おとーさんも保護者なのだから「付き添い」と言うのもおかしいのですが、 助けてもらったなあ、 守ってもらったなあ・・・ということを 今、思い出しました。 忘れてました(笑) そのときには辛かったことも、 10年経ったなら、ちゃんと忘れられるんだな。 そして辛かった記憶、としてではなく 助けてもらった記憶、として 温かく思い出すことができるんだな。(忘れていたくせに!) つらい時って、 それがずっと続くような気持ちになって絶望しそうになるけれど、 時は、過ぎる。 ちゃんと過ぎてゆくし、そこを抜けてゆける。 いちばん大切な、そのときに必要なことが起こっているだけ。 だから大丈夫だよ、安心して頑張れ、 と。 あの頃のわたしの心に・・・ いま頑張っている あなたの心に・・・ ああ、届くといいのに。 この夏は、パジャマも「ギンガムチェック」です。 裏と表でチェックが違うの、可愛い! いろんな時期を過ぎて、50歳になって。 もう一度、好きなものをなんでも着られる。 どんどん着よう! わたしのために! そんな気持ちになっています。 家族は今も、いつも、これからも一緒にあるけれど、 わたしは今ももちろん、 家族の「おかーさん」であり「母ちゃん」なのだけれど。 どこか、もういちど 「単品」に、戻ったような、 ああ、本来のわたしに戻ってこられたような。
大丈夫。 もう一度、ギンガムチェック着られる日は、くるよ。 遠くからそう聞こえたような気がした・・・ 50歳の自由、のお話、でした。 おわり 今日もお読みくださって ありがとう。 ↓ ポチッとしてくださったあなたさまの お心が・・・ にほんブログ村 今日も、いつも、あなたらしく、どうぞ「自由」であれますように ( ´▽`)ノ フォローをしてくださっている1232名ものみなさま・・・ 更新を楽しみに待っていて下さるお気持ちを、いつもありがとうございます ( ´▽`)ノ : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.06.21 12:42:15
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