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テーマ:オシャレ大好き(194323)
カテゴリ:バッグのおはなし
前回の日記で。
日々の食事の支度は、 片付けを含め、全て自分のための「修行」なのだ、 というお話をさせていただいて。 家事やお料理を好きな人にとっても時にそうなのだから、 自然とできる日もあるのに、 ああ、今日はなんだかしんどいな、や、 ちょっと横着しちゃおうかな、 などと感じてしまうこともあるのだから・・・ 家事や料理がお嫌いな方にとっては、 なおのこと日々のあらゆる作業が「修行」としてのしかかるのだとすれば、 それは本当にしんどいことなのだろうな、と、 ふと思いを馳せるのです。 (わたくしの大親友は、体に異常をきたすほどに家事が嫌いです。) ※ そしてそんなご自分をいつも責めています 家事を嫌いな人は、それが強烈に「修行」だから、 他のことにおいては、 とてもスムーズだったり、 順調だったりすることがあるのかもしれません。 家事が大好きで、 家事をそんなに苦だと感じない人は それではあまり修行にならないから、 家事以外のことにおいて、 相当な修行や苦労をする たとえば学業にまつわる何か、とか、 容姿にまつわる何か、とか、 人間関係にまつわる何か、とか、 お金にまつわる何か、とか、 それすらもなさそうに見える人の場合は そうだな・・・「親との確執」とか、ね。 パッと見ではわからなくても、 一見しただけでは不公平!に見えても、 「人生の修行」というは、 どんな人にも、本来、平等に与えられているものなのかもしれませんね ( ´▽`) ************************************* さて。 3つのバッグで暮らすミニマリストの、 秋のバッグ・ひとりバトン。「バッグ3部作」。 3回目、最終回の今日は・・・「J&M Davidson」です。 「J&M Davidson」カーニバル、の、日 ( ´▽`)ノ 本当に好きなバッグがあると、 バッグを基準に〇〇を選ぶ、ということができるようになります。 「バッグを基準にワンピースを選ぶ」や、 「バッグを基準にお財布を選ぶ」というような。 選ぶものや、持ち物の全てが・・・ 好きなバッグに、寄ってゆく。 お財布だけでなく、 このコートも、 わたしは完全に「バッグを基準」にして選びました。 ナノ・ユニバース別注だけの、このボタン。 ボタンの色が「シルバー」であったことが購入の決め手でした。 カーニバルによく似てる。 似合う。 その1点のおかげで、 大物購入に付きまといがちな「怖さ」や「迷い」のようなものを・・・ わたしは全く感じなかったのです。 このバッグを本当に好きだから、 このバッグに似合うものを選ぶことで、 お買い物のの大失敗をしてしまうことが、 本当に、本当に少なくなりました。 あなたは、わたしのお買い物の「守護神」ね ( ´▽`) わたしにとって、とても高価なバッグでした。 息子がまだ14歳だった頃に買ったバッグ。 その彼も今や21歳の青年ですから、 子育ての日々と、このバッグとともに歩んできた月日の重みは、 わたしの中で、どこか自然と重なります。 購入した価格を日数で日割りにしてみますと、 1日あたりの所有価格?は、 すでに「55円ほど」となっていて、 高かったはずのバッグも、今や、 ちょっといい もやし1袋くらいになっていて(笑) やがて10年使えば 1日あたりの価格はついに40円を切って、 「普通のもやし」となってまいりますし、 それは「我が人生のおとも」として、 これから先も、ずっと愛用すればするほどに・・・ このバッグは、もう、 わたしにとって、少しも「高くない」ですね ( ´▽`) そんな風に「1日いくら?」なんてこと、 もやし換算みたいなこと(笑) いつもいつも考えているわけではもちろんありませんが、 ときどきこうして振り返って考えてみると、 やはりとても感慨深いのです。 支払った金額だけでは語り尽くせない価値を感じる、というか、 AさんとBさんが たとえば同じ価格のバッグを買ったとしても、 どんな風にどのくらい愛せたかどうかによって、 「高い」「安い」の真実というのは・・・ その人の愛着ぶり次第で、 きっと、天と地ほども違ってくるのでありましょう。 高かった、とか、安かった、とか。 そう思うと、ああ、価格って。 価格なんて。 本当は、ただの「幻」なのかもしれないですね。 **************************************** ある本で読んだところによりますと、 お寺での修行の日々というのは、 たとえば朝の掃除をサボっても叱られないのだそうです。 逆に掃除をめっちゃ頑張っても褒められないのだそうです。 すると。 叱られると嫌だからやる、という気持ちや、 褒められるためにやる!という動機は、 なんと他力任せであり、 自分がどれほど甘ったれた人間であったことか、ということに すぐに気づくのですって。 サボっても叱られないのにちゃんと掃除することや、 褒められもしないのに食事を作る、ということの、 なんと厳しく孤独なことか、と。 叱ってくれ! サボらないための罰を用意してくれ! そして頑張った時は褒めちぎってくれ!と思ってしまいますよ、って(笑) それならどんなにか楽なのに (;_;) と。 わたくしたちの家事には、 「誰も見ていないところでの作業」というのが多くあって、 「自分の意思でする」ということが多くあって、 料理が苦痛、掃除や片付けが苦痛、ああ大変! (;_;) という気持ちになることがあるのは、 ある意味自然なことなのですね。 誰も叱っても褒めても表彰してもくれないのだから(笑) ついだらけたり、 誰も見ていないのだから、と感じてしまったり、 二度寝しそうになったり、 なんで自分ばっかり!と腐ってしまいそうな時は・・・ 「これが本日の修行なのだ!」と思ってみると、 気持ちや気合いが違ってくるのかもしれません。 ************************************ ブログって。 「誰も見ていない」と「誰かが見てくれている」の、 ちょうど中間にあるような気がします。 本当なら、人目に触れることのない、わたしたちの家事や、 日頃の暮らしぶりや、掃除や、お料理や、片付け。 ブログとして発信をすることで、 自分以外の誰かが、それを知っていてくれるような気持ちになれる。 ひとりでは頑張れなかったことが、 PCやスマホの向こうのみんなの存在のおかげで頑張れたり、 自分では想像もできなかったような変化や奇跡がもたらされたりします。 更新を休んだら叱られるわけでもないのに、 急に辞めたからといって罰があるわけでもないのに、 一生懸命書いたからといって読んでもらえるとも限らないのに、 自分の意思ひとつで更新をし、 こつこつと続けることは・・・ ああ、どこか「修行」に似てますね(笑) それを「しんどい」と感じてしまうことや、 そういう時期を通るのは、 発信されておられるどなたさまにとっても1度や2度ではないと思うのですが、 わたくしももちろんそうなのですが、 それでも「続けてゆくこと」の方を選ぶ人が、 お仲間がこんなにもたくさんいらっしゃってくださるのは・・・ やはり、それを上回る「楽しさ」や「意味」が、ちゃんとあるから。 修行って、苦しいばかりではないのだと思います。 その先にある素晴らしい境地や、まだ見ぬ景色に、 必ず、必ず、繋がってくれている。 ブログが大好きです。 「続ける」っていいな、って思います。 続けられたらいいなって思っています。 人生のさいごには、 葛籠(つづら)ひとつにおさまるだけ、の 少ない持ちモノになっていたい。 そして、そのつづらの中には、 最愛の「カーニバル」を・・・ わたくしは、必ず ( ´▽`) おわり バッグ3部作、お読みくださってありがとう。 ↓ あなたのお気持ちにいつも励まされ、ブログを続けてくることができました。 にほんブログ村 いつもポチッとしてくださること、楽しみにしてくださること、 これまでずっと、そして今日も・・・ 本当にありがとう ( ´▽`) フォローをしてくださっている1327名ものみなさま・・・ いつも更新を待っていて下さって、ありがとうございます : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.11.21 20:50:08
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