2023/02/01(水)20:20
アブノーマルと、成熟と、わたくしのふつう、の、お話。
人は、自分のしていることを「ふつう」と思っており、
自分のライフスタイルもまた「ふつう」と思っている。
ちょっとよそとうちは違うよな、と仮に感じていたとしても、
それはそれで、その人にとっては、やっぱり「ふつう」なのです。
何を「ふつう」と考えるかには、驚くほどの個人差があり、
自分にとっての「ふつう」は、だから。
多くの場合、他の人には、通じない。
冷蔵庫掃除を兼ねた、この週の最後のランチメニューは「オムのっけハヤシ」 ( ´▽`)
冷蔵庫。
買い出し前の冷蔵庫。
空っぽ! どうしよう! とは、思いません。
わが家にとっては、これは「ふつう」の状態 ( ´▽`)
※ ビールもふつうです(笑)
週に1回必ず空っぽになる暮らしを、もう20年以上続けています。
するともう、
空っぽに、がらーんになることが「ふつう」で。
「ノーマル」で。
食材いっぱいの状態のほうが、もはや普通ではなく、
むしろ「アブノーマル」なわけですよ (笑)
【 買い出し直後・アブノーマルな野菜室 】
空っぽになんて滅多にならないよ、という暮らしの場合は
いっぱいの状態こそが標準であり、
その人の「ふつう」であり、
そして安心なのだと思います。
【 買い出し前の野菜室はこうでした 】
もしもこんな状態になってしまったなら、
恐怖さえ感じるのかもしれないですね。
わたくしにとってのノーマルな暮らしは、
別のある人にとっては、アブノーマルな暮らし。
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ブログを書いてて思うのは。
わたくしの暮らし(の、ふつう)はこうです!! って書くことが
反対側にあるものに対する攻撃になってしまうようなことってあるし、
あるし、どころか、
実際には恐らくきっとそういうことだらけ、なのです。
「一度の人生だから」で好きに生きるのは良いが、
相手も周囲も一度の人生だと忘れてはいけない。
ゲッターズ飯田さんのお言葉
自分の暮らしを、
自分のブログで自分の好きに書くのはいいが、
相手も、周囲も、たった一度の人生を生きていて、
それぞれの「良い」と思う暮らしが、
自分とは異なる「大切なふつう」「いろんなふつう」が
たくさんあることも忘れてはいけない、ということは、
本当に、本当に、そうですね (;_;)
そして、まだ知らないことが無数にあるのだ、と言うことも。
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「自分の暮らし最高です!」と胸をはって思えることは素晴らしいことだけれど、
あまりにも傾倒しちゃうことのないように。
今は「あり得ない!!」と決めつけている選択も、
いつか「あり」だと感じることがあるかもしれません。
ふと興味を持つ日が訪れるのかもしれません。
年齢や体力に応じて、
思わぬ暮らしの変化を迫られる局面に遭遇することだって、
きっとあるかもしれないのだから。
わたくしにとってすっかり「ふつう」となった「1日2食ライフ」も。
「信じられない!」「無理!」
「食事という人生の楽しみを減らすなんて!」
「そんなアブノーマルなことできない!!」って、
2年前までならそうきっと思いましたし、
すでに取り組んでいる人に対しては、
3食きっちり食べてる自分の「ふつう」を否定されてるような、
どこか責められてるような気持ちすら感じたことでしょう。
今はこんなに「ふつう」で「自然」でも。
この週は、納豆とお豆腐と溶けるチーズが残りましたね。 来週に繰り越しです ( ´▽`)
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だから、思うのは、ね。
あまりにも「自分のふつう」を盲信したり
それに伴って「他者のふつう」をうっかり否定してしまっていると・・・
いつか遠い未来に。
「え、あんな否定してたくせにやってるじゃん!」
「どの口が言ってるの!? 」
みたいになっちゃうから、
周りから叩かれるかもしれない、とか、そういうことよりも、
自分が自分に、それってめっちゃ恥ずかしいな、ということ ( ;∀;)
今はまだわからないけれど、
「こんな可能性もある。」 「いろんな考え方がある。」
そんな風に視野を広く広く持つことは、
未来への希望や、発信を続ける楽しさだけでなく・・・
自分の歩む人生の枠を、きっと、無限に広げていってくれる。
最後のメニューを作る前は、卵とハヤシソースが、ここと、そこに、入っていました。
↓ 卵が10個・・・・ こんもりと可愛く入れられるのよ ( ´▽`)
ディーンアンドデルーカ ガラス密閉パック&レンジ 700ml DEAN&DELUCAガラス 保存容器 パック キャニスター ふた付き オーブン 耐熱 キッチン 常備菜 新生活
自分の暮らし方を認めて欲しい、という承認欲求からの発信。
そういう気持ちはきっと、どなたさまの心にも、
もちろんわたくしの中にもあって。
正直、ものすごくあって。
ものすごくあったからこそ、
同じような傾向を持った人には、すぐにそうだと気づいたし、
そうではない、
「他の人の暮らしかたをちゃんと尊重されているブロガーさんの存在」にも
同時に気付くことができました。
同じようなことをおなはしされているのに、
読んでいて、この安心感は、何だろう。
この押し付けない感じや、傷つけない感じや余裕は、一体どこからくるのだろう。
わたくしの発信と、何が違うんだろう、と。
他を認める柔軟な姿勢があるかないかの違い、なのだと気付きました。
人としての「未熟」と「成熟」の違い、とも言えるのでしょう。
一目瞭然 (;_;)
「ふつう」という言葉は、
当たり障りなく便利に使われがちですが、
実はとても危険な種類の日本語なのかもしれません。
普通はこうでしょ、や、これがふつうだよね、といったいった言葉の多用は、
「自分が正しい」!!!
相手を押さえ込み、意のままにしたい、という・・・
そういう身勝手な支配欲の表れ、だとも言われますから。
自分の「ふつう」は、他の人には通じない。
分かっているようでいて、
これを本当の意味で理解するのには
相当な「成熟」が必要なのでありましょう。
成熟は、得難く、そして、とてもとても尊いもの。
さあそろそろ成熟しようかな、と思ってできるものではないと分かっているから。
分かっておりますからこそ。
ああ、成熟したいです!! (笑)
今日は、冷蔵庫からの、こんなお話。
お読みくださって、ありがとうね。
おわり
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