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テーマ:暮らしを楽しむ(390084)
カテゴリ:幸せになる「勇気」
前回の日記には、思いがけずたくさんのポチッといただいて、
ありがとう。 あの手のブログを書くのはやっぱり怖いというか 書くのに勇気を要するんですけど、 自分の心によく聞いてみて、 やっぱり臆せず書きたいと思ったから、書きました。 嫌いな人や苦手な人って、います。 人間だもの。 どなたさまにも、どうか「ないわ」の気づきが起こるといいなあ。 どなたさまもが、心の荷をひとつでも降ろせますように。 そんなことを祈って書いた。 みなさま こんにちは。 すずひです。 ![]() ↓ SOLDOUT だったクロスが ・・・うれしい再入荷 ( ´▽`)ノ さて。
「どうなってるんですか?」 なんて、全世界に向かって問いかけたものですから 即刻レスポンスメールが。 親愛なる友より。 彼女も、身近なそういう存在に長く苦しめられた経緯があり、 その頃に独学で勉強したこと、すずひに教えてくれました。 彼女曰く。 そういうタイプの人は、多くの場合。 「自己愛性パーソナリティー障害」 の可能性が高い、と。 目には見えないけれど、 そういった性格的・思考的傾向を持ってる人かもしれないよ、と。 周りの人(や家族)を困らせていることに対し自覚がないことも多く、 そういう意味では本人は悪くないのかもしれないけれど、 だからと言ってこちら(周りや家族)が犠牲になり続ける必要もなく・・・ 実は然るべき機関や専門家に任せるべきケースだった、ってことも 「決して珍しくはない」とのこと。 ![]() お正月の葉っぱから、いつもの日常の葉っぱへ。 おぜんざいのあしらい分の1枝だけ残して。 **************** 自己愛性パーソナリティー障害・・・・? 聞いたことはあるけれど、よくは分からないから、 どんな特徴があるのか、すずひも調べてみました。
・自己愛性パーソナリティ障害の人は自己愛が未成熟な状態にあり ※ 自己愛が未成熟な状態 = ありのままの自分を受け入ることができていない状態 その未成熟さが「自己の誇大化」「他者からの評価に対する欲求」 「自己の正当化」「共感性の欠如」として現れる。 ・自分自身が掲げる理想の姿が高く、 「自分は特別」「自分はできる人間だ」という強い思い込みから 誇大な言動が飛び出しがち。 ・「理想の自分」と「取り柄のない自分」という 極めて両極端なセルフイメージしか持たないため、 等身大の自分を認めることができない。 ・「自分はできる人間」と思い込んでいるため、 他者からの評価や指摘を素直に受け入れることができず、 怒り出したり、過剰に傷ついたり、精神が不安定になったりすることも。 ・共感性が希薄なことから 相手の立場に立って物事を考えることを苦手とし、 迷惑がられていることに気づけなかったり その場にふさわしくない言動をとったりしがち。 ・自分の目的達成や、自分を大きく見せるためには 名声や力のある人に擦り寄る等、 利己的な対人関係にも踏み出しがち。 ・そこで能力の差や劣等感に耐えきれずに自滅するも、 「素晴らしい私をこんな惨めな気持ちにさせるなんて!」 「ひどい!」「傷つけられた!」など、 とにかく「自分は被害者なのだ」と結論づけがち。 なるほど、これは本人が、というよりも・・・ 周りというか、巻き込まれた人・・・ ターゲットにされた人が大変だし、お気の毒だ (;_;) 「いつもこうなる」「どうもうまくいかない」 なんでだろ、と、本人もその時その時は思うのらしいのだけど、 上記の通り、自分の問題ではなく全て「相手が悪い」「相手のせい」って思ってるから、 自分と向き合うことをしないから、 どこででも、何度でも、いつまでも、 同じようなことやトラブルを繰り返してしまうのだそう。 「そういうとこやぞ 嫌われるのは」ってもしも仮に伝えたとしても。 この素晴らしい私を嫌うなんてどうかしてる! あ、嫉妬? 嫉妬だ! 嫉妬なんでしょ!? って そう思ってしまう理由が、これでわかるでしょ? ( ´▽`) って・・・ 怖い笑顔で締めくくる、わが友。 あああ・・・・・・・そうなんだ。 でもごめんなさい、嫉妬とは違う ( ;∀;) (みんなの声を小声で代弁) ![]() ここで「瓶」の登場です。洗って乾燥させてたキウイジャム瓶の「詰め替え」は・・・白ごま! **************** ああいる。こういう人。 ああ過去、いた。 中学に、高校に、大学に・・・そして職場にいた! こういう人! と、今、全人類が思うと同時に・・・ けれど ここでわたくしが、 いいえどなたさまもがきっと気づくのは・・・ こういう「自己愛性パーソナリティー障害」みたいなところって 実は「誰の中にもある」ってこと。 わたくしの中にもあります。 決して他人ごとではなく「自分ごと」でもある、ということ。 どんな人の中にもそういう部分って少なからずあって、 ふだんはそうじゃなくても、ある場面やある相手、あるシーンにおいてだけ そういう部分が強く出てしまう、ってこともあるでしょう。 幼いころは、全ての人がそうだったのだろうし けれどいろんな人と出会い、そこでいろんなことを学び、 いろんな経験をし、自分を知り、人はだんだんと「まとも」になってゆくんだけど、 だから、大人になっても、人の親になっても、 そして高齢になってもなおそのまま、拍車かかってゆく、 そういった場合・・・・ 周りの人も、友達も、だんだんと離れていくのだろうし、 家族以外・・・ そしてやがては最後の頼りの「家族」さえも その対象に愛想を尽かし、近寄らなく・・・ いいえ、怖くて近寄れなくなってしまうのかもしれません。 ***************** ありがとう、友。 これは知らないまま生きるより、断然知っておいた方がいい。 知らないままで対象と関わるとすれば あまりにもキツすぎるし、辛すぎる。 周りにいる人はおそらく、辛抱強く寄り添おうとするような、 何度も何度も許してくれるような、 そんな心優しき人、 そして「いい子」ばかり、なのだろうから。 ![]() それにしても、です。 こんな日記を立て続けに書いてしまいまして、 「そういうとこやぞ 嫌われるのは。」の言葉が 今、そのまんま自分自身にぐっさり突き刺さっており、 胸のあたりが苦しくなってまいりましたので ここらあたりで、唐突に終わります(笑) お読みくださって ありがとう! ごきげんよう。 またねー おわりー ↓ 誰の中にもそういうところ、そういう弱さってあるよね、のポチッと・・・ ![]() にほんブログ村 読んだよ、またね、そして応援のお気持ち・・・いつもありがとう! どなたさもの日々の暮らしが、穏やかで、安寧でありますよう・・・ ![]() ![]() ↓ たくさんのフォロー・・・励みになってます 🍓 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.01.15 08:15:31
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