2019.06.29

【暑いので、まだまだ捨てます!】「夏越の祓(なごしのはらえ)」を知ってる?上半期の穢れをリセットしませんか?

カテゴリ:捨て部
このあいだ。

お子が幼稚園に入園した頃からですから、およそ16年ほど仲良くさせていただいているメンバー4人と、「お疲れさま&おめでとう」の・・・ちょっと豪華なランチに出かけました。

このメンバーで揃うことができたのは・・・ 約1年ぶりのことでした。

なぜ1年も空いちゃったのか。

それは、お子たちが「大学受験」だったからです。


去年のちょうど今頃に最後に集い、さあ、ここからだね!いよいよ本番だね!と。
お子の高校は、みんなバラバラなのです。
進路に関する個人懇談をそれぞれ控え、まだどうなるともわからないことだらけだけれど、
次の春には、また どうかこうしてみんな笑顔で会えることを 祈って。

高校受験の時にも、こうして互いに励ましあった。 あれからもう3年が経ったんだ。

お子たち それぞれに・・・ どうか、幸あれ!! と。  名残惜しく 別れたのです。

幼稚園の帰りに集まって お庭のビニールプールで遊ばせてもらったり、
遠足では一緒にお弁当を食べたり。夏にはスイカを食べたり。花火したり。お祭りに行ったり。
誰かが風邪引くと、みんな一緒に風邪引いて、順番に熱を出して。母たちはバタバタで。 
インフルA・Bやら、ロタやらノロやら。 お子を預かったり、預かってもらったり。

亡き父の手術と祖母の手術が重なってしまった時、わたしの代わりに息子を園にお迎えにゆき、
そのまま半日預かってくれたこと。
みんなが助けてくれたこと。今も忘れられない。寒い冬の日、父の葬儀に参列してくれたことも。

本当に小さな小さな頃から知っている それぞれのお子たち。ああ、みんな18歳なんだ。
あんなに小さかったのに。 みんな、揃って もう高校3年生になってしまったんだね。

その後は、「調子どう?」とか「何か決まった?」とか、そんなメールも一切なし、でした。
状況はお子さんごとに異なりますゆえに「迂闊なお尋ね」は 親しき仲にも、互いに ご法度。

このあいだ会う時点では、まだ それぞれの進路も だから殆ど知らないまま。

新たな人生の第1歩を踏み出した 4人のお子たち。

4人のうちの2人は・・・なんと、この春 東京へとめでたく旅立ったとのことでした。

そっか、そっか、そうなの、そうだったの・・・ (;_;) オメデトウ!!

元気でいて欲しいです。 お米とか、スイカとか、おばちゃんが送ってあげたいくらい。

受験という名の試練に立ち向かうのは もちろんお子本人、なのですが。
親は見守ることしかできないのですが。 その重み。 自分じゃないからこその不安。

ランチへ向かう行きの車の中から・・・もう そんな「母心」のお話で 泣き笑いの連続。
みんなのそれぞれの「大奮闘」のお話に・・・笑って、笑って、そして、もらい泣きして。

こんな友達がいてくれることを・・・本当に。  本当に幸せだと感じました。

「そういえば、本、おめでとう!」と出版の日をちゃんと覚えていてくれて、
あの冬のいっぱいいっぱいの状況の中で わたしの本を読んでいてくれたことを知り、
みんなが一番それどころではない時期の出版でしたから・・・ 嬉しかったです (;_;)

見返りを求めずに子を支える。 子を「自分の不安を解消してくれる道具」にしない。

わかっていても、難しいこと。 支える。 支える。  ただ、支える。

みんな、みんな、すごいなあ、って そう思いました。

よその子のことなら、本来 誰もそこまで悩みませんし 心配もしない。

母親が、これほどまでに勝手に苦しいのは「我が子を愛しているから」に 他なりません。

けれど。

小さな頃からずっと知っているお友達の子って、我が子ではないのだけれど、よその子でもない。


よその子なんて、思えない。


みんなの頑張ったお話に、この春の旅立ちのお話に・・・ 
わたしは「よそのおばさん」なんだけれど、胸がいっぱいになり、自然と涙が溢れました。


30代前半で出会ったわたし達も、みんなアラフィフです。 揃って涙もろくて仕方ないです。


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さて。  ここからは「捨て部」です。

部活動が盛り上がるのって やはり「夏」なのかもしれません。
最後の大会・引退試合みたいなものも、夏ですものね。

わたしがいちばんはじめの 怒涛の捨てを遂行したのも・・・「真夏」でした。

大汗かいて、1日中家の中を動きつづけて、動いて、動いて、あっさり数キロ痩せました。

あんな風な激しい捨てに身を投じるようなことは、この家の中ではもう起こり得ませんが、
あの夏の功績は 本当に大きかった。

あれをしなかったら。 わたしはずっと変われなかっただろう。

二度と使わないものを納戸に詰め込み、押し入れにしまい込み、衣装ケースを6個も8個もパンパンにしていただろう。

たった3人分なのに。

ホコリにまみれた雑貨があっても、見て見ぬ振りをして暮らしていただろう。
着もしない服のための防虫剤を買い、何年も何年も 無意味な保管をし続けたことだろう。
奥のものが取り出しにくくて、いつもイライラするのに、改善しようとも思わなかっただろう。

何もかもがうまくゆかない「行き詰まり感」「滞り感」に あえぎながら。

服1着、皿1枚捨てることをしないまま。  

こんな気持ちの良い風が吹き抜けるはずのこの部屋の中で、窒息しそうになっていたことだろう。



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さあ、まだまだ捨てます!!

1in 1out なんて 当たり前。 1in 1out は、ただの横ばい。 1個も減ってない。

in せずに捨てることで、初めてものは「減る」のです。 そこに「余白」が生まれるのです。



【この日の捨て(1)・・・折りたたみ日傘】







これは・・・ 「喪」のために持っていました。 お盆の法事とか 御墓参りとか。
けれども この2年 全く使わなかったことに気づきました。
たまたま喪の用事がなかっただけなのかもしれませんが、2年使わなかったものって、まず使わない。1年で見極めたって 本来十分なのですから。

捨てます。

真っ黒な傘が必要な時には、長傘がある。わたしは折り畳み傘が好きではないじゃないか。

「雨のお葬式」「真夏のお葬式」。
そういう事態を想像しすぎて手放せなかった。想像力のたくまし過ぎるせいで手放せないことって良くあります。いろんな「万が一」を、次から次へと想像できてしまう。
そういうことって・・・その時にどうにかすればいいことの方が多い。
わたしは昔は「土砂降りのお葬式を想定した長靴」も 持っていましたよ(笑)

そもそも。 この折りたたみ傘は。 わたしが買ったものではない。

急に降り出した雨に、家族が仕方なくどっかのコンビニで買った傘、なのだ。

自分で選んでいないから。 愛着もなく。 どうでも良すぎて、逆に捨てなかった。
           (捨てようか、捨てまいか、と、向き合う対象ですらなかったの) 

そういうものが・・・この家の中に、信じられないのですけれど、まだ、時々 あるのです。




【この日の捨て(2)・・・ノベルティでもらったきんちゃく袋】





あああ、なんて可愛い design letters の きんちゃく袋。
キッチンタオルをたくさん買ったせいで、3枚ほど溜まってしまった きんちゃく袋。


3枚のうちの2枚には、用途があるのです。 家の中で、役立っています。

どうしても使い道のなかったこの1枚。 ずっと捨てられませんでした。 可愛いからね!


可愛くても。 好きでも。 要らないものってあります。

そういうのを置いておくと・・・不用品って 途端に増えてしまう。

これが「ときめき」で判断するお片づけでは なかなか難しいところ。 
このきんちゃく袋、めっちゃときめきますもん。 萌え萌えですもん(笑)

でも、数ヶ月握りしめてみても、3枚目の用途は つゆぞ見つかりませんでした。

わたしには、不要だったのでした。  捨てます。




今回の2つの捨てには、地味な共通点があります。
それは どちらもが「自分が買ったものではない」ということ。
自分の意思と直接関係なく 手に入ってしまったもの。

悩んで、選んで、お金を払って、
または贈り物として頂いて・・・という、それにまつわる「ストーリー」がそこには全く存在しない。

ストーリーや思い出があったって、不要なものは どのみちやはり「不要」で。
ストーリーなき不要物であれば、これ捨てられなくて、いったい何を捨てられるの?という話。


使っていないものであっても「いつか使うかも・・・」と捨てられないのは、人のサガです。


けれど。


A) やっぱり使わない、もう必要ない、と どこかの段階で腹を括って捨てられる人。
B) きっといつかは使うかも、と 結局 最後まで自分で捨てようとしない人。

どちらが美しいのでしょうか。
 
B)の人は、「ものを一生大切にした立派な人」と賞賛されるに値するのでしょうか。


誰かが いつかは 捨てなければならないのなら。


それは できる限り 「自分でやろう」と わたしは思う。


小さなものでも。 1日1捨でも。   きんちゃく1枚。  傘1本。 






手放すメンバー。超好きな雰囲気です。でも、もう要らないもの。ときめきだけでは計れない。





自立するって そういうことなのかも。
何かを生み出す、とか 収入を得る、の もっともっとそれ以前に。
 
自分の身の回りのことを自分でできるか、ってカテゴリの一部。
炊事や洗濯をできるかどうかと同様に、「自分のものを自分で捨てられるか」ってこと。

経済的、とか 精神的、とか 社会的に自立できていたって、すごくお金を持っていたって、
いらない、使っていない食器1つ自分で捨てられない人って たくさんいるでしょう?

「もったいない」というセリフを、便利で万能な切り札のように連発しながら。

捨ては、自立。そして「自律」。 それができてこそ、初めて「大人」なんだ。 きっと。


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「夏越の祓」(なごしのはらえ)という神事をご存知ですか?

1年の終わりの大晦日に その年の厄災を祓い清めるのが「年越しの祓」ですが、
同様に、1年の半分が終わるこの6月にも「夏越の祓」という神事があるそうです。

その年の半年分の穢れや厄災を祓い、身を清める。 上半期分の穢れを、リセットする。

夏に何か捨てたくなるのって・・・無意識で 半年分の厄災を清めているのかも!

何もわざわざ捨てなくても・・・というものを なぜか捨てられるのって「夏」だから。

繰り返しのお話になりますが、そのシーズンのものをシーズン中に捨てるのって極めて難しく、
夏に「サーキュレーター」や「かき氷メーカー」捨てるのって とかく躊躇しがちなのです。

夏に「日傘」を捨てられた わたし。 

「夏越の祓」の見えない力に、背中を押してもらったのかもしれません。

半年分の、2019上半期分の「穢れ」「厄災」に・・・  今こそ お別れだ! 

「祓」の大チャンス・・・今を逃したら、次は半年後。大晦日になっちゃうからねっ ( ´▽`)ノ









                                     おわり








自分にとっての「要・不要」って「快・不快」とよく似て、人間の基本的な感情なはずなのに
大人になればなるほど分かりづらく、判断が鈍りがちなのは とても不思議なことです。

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「快・不快」を たくましく訴える赤ちゃんの意思って・・・そう思うと 凄いですね!
「夏の捨て」、すずひ絶好調です!「夏越の祓」・・・さあ、部員のみなさまもご一緒に!!











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最終更新日  2019.06.29 20:10:03