2020.11.20

【「子育ての終わり」? と。】「すべてのことに意味があった」の、お話。

カテゴリ:ミニマリスト家族
すずひは待ってたよ!

とうとうこの日が来てくれたよ! ヽ(;▽;)ノ










2020年のすずひ家のリースが届きました! 


うわぁー!!って 小さく叫んでしまったよ ヽ(;▽;)ノ




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さて。 ソファーのお話。


ソファーに対する「こだわり」のようなもの、は。

わたしはそれほど熱くないのです。

色味が部屋に馴染んでいて、布張りで、
へたりにくくて、なるだけ脚がないもの。

これまでも、4〜5年のサイクルで買い替えながら暮らしてきた「消耗家具」。

だから、お値段も、できればお手頃なもので。











我が家のソファーは。

2015年の2月に購入したソファーです。
この撮影の時は、すでに「4年目」でした。
「ニトリ」で購入したソファーです。
歴代ソファーの中で、
これはいちばん長持ちしてくれました ( ´▽`)



それまでの「2人掛け」では、

家族3人が揃ってゆったり座ることができない。


誰かが「地べた」で。

たいていの場合は、すずひが「地べた」で。


先代のもののスプリングが飛び出しかけたタイミングと合わせ、

この「3人掛けソファー」を購入したのです。


確か3万円台で購入できたことを記憶しています。








座面よりも「背もたれ」の方が限界です。日に日に変形し、歪んできている6年目(笑)



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けれどもね。



ソファーに3人並んで座ることなんて・・・


実際には。


数えるほどしかなかったんですよ ( ´▽`)



ちょうど、母と子の心がばーんと離れてしまう時期と重なってしまって、ね。


わたしの不徳の致すところ、なのですが。 







知らない間に「6年目」のソファーでした。奥の壁の余白が・・今年のリースを待っています。



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大人3人が並んで座れるサイズが必要だったのは、

このソファーが「最初で最後」だったのだなあ、と。

2020年の今、気づきました。



買うときは、まだ子育て真っ只中の頃でしたから。



けれど。 今は。





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子育てに終わりはある、と 思っています。

お子が、まずは「肉体的」に、やがて「精神的」に。
そして社会に出たなら「経済的」に。

とくに「国民年金的」に! ( ← もうこれ!地味にラスボス!)

完全に自立することのできる日がおとずれたなら、
それは親にとっても子にとっても、どちらにとっても誇らしいことで。

素晴らしい「人生の門出」で。

名実ともに。 

そこが「子育ての終わり」なのかもしれません。



そういう時期に到達された子育ての諸先輩方のご様子を垣間見させていただきながら、


だから「終わり」は、あるんだろうな。って 


とても眩しく そう思うのです。














けれども。 きっと。


たとえ「子育て」には終わりがあっても。

「親」であることの終わりの日は、永遠に来ないのでしょうね。


ひとたび お子を産んだなら。


死ぬまで、わたしは「親」なのだと思います。


ずっと大切で、ずっと心配で、

たとえ邪険にされようとなんであろうと、

どうか元気でいてほしいと願う。
どうか幸せであってほしいと願う。

ツラい目にあったと知れば、
胸が引き裂かれそうな気持ちになるけれど、

親では決して与えることのできない、
親では用意することのできない、
ありがたいありがたい人生の試練の中にあるのだ、と、

心の奥で、ぐっと歯をくいしばる。


自分の命よりも何倍も何百倍の大切な存在がこの世にある、という奇跡。



奇跡と・・・責任。




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ときに「この試練はわたしには、もう越えられないのではないか」と挫けたり。

いくつもの理想をかかげすぎて、苦悩と葛藤に陥ってしまったり。

なんどもなんども自信を失い、
途方に暮れては、
まるで息をするように自分のことを責める。

それが、とても苦しくて。

自分にも家族にも優しくしたいのに、それができなかった。



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多くの親は子のまちがいを正そうとしますが、
自分では親として真っ当な意見や助言をしているつもりでも、
相手は間違っていて自分が正しいと示すことは、
結局は相手を。子を攻撃している。

自分の怒りや決定を、
「親だから」という理由で正当化してしまう。

相手がこちらの期待どおりに変わってくれないとき。
家族同士でも、それ以外の関係性でも。
わたしたちは「相手に非がある」と、
どうしても考えてしまいがちな生き物なのだと思います。


自分は「非のない存在」として。 

相手は「責められるべき存在」として。


攻撃は、いつも自分の中から生まれている。

攻撃的な思いは、だから。 
相手ではなく自分自身を傷付けている。

そこに「やすらぎ」は、ひとかけらもないのです。



 攻撃的な思いから心の安らぎが生まれることはなく
 自分の怒りを正当化しても、
 自分を守ることにはなりません。

        ジェラルド・G・ジャンポルスキー


            

ああ・・・・・・・













けれども過ぎれば、どの瞬間も、その時の「全力」で。

「ただただ一生懸命だった」
「すべてのことに意味があった」と振り返ることのできる、
それは かけがえのない時間と体験の連続で。

子にとっても、それはきっと同じことなのでしょう。

自分が50歳間近になったことで。

ようやく、はじめて。

こんな心境になれたような気がしています。










そろそろこのソファーの買い替え時かな、と思った今。
その選択が、ふたたび「2人掛け」であった今。

ああ、また2人の暮らしに戻るんだな。

いや、戻るんじゃない。

そういう人生のステージに。「次のステージ」に。

わたしとおとーさんは「進む」んだ。


「子育ての終わり」というステージ。


それは 嬉しいような、淋しいような。

とても幸せなことのような、一抹の侘しさような。

けれどやっぱり、じんわりと嬉しくあたたかい。 

はじめて経験する、なんとも言えないこの気持ち。





おとーさんと だって、お子だって。

みんな、そう。

みんなここまで頑張って生きた。

笑ったり、泣いたり、喜んだり、怒ったり、


その時その時を、「精一杯」に。「一生懸命」に。













だから。


今日も、これからも、1日1日を大切に。


ひとことひとことの言葉を大切に。



疲れてしまったり、元気が出なかったり、
ホルモンのせいか、どうしようもなく苛立ってしまったり、


できない日もあるけれど。


なるだけ優しいお母さんでありたい、と。


そう思うのです。


ツラいことなんて、
生きてゆけばいくらだってあるでしょう?

世間は「つらさ」や「厳しさ」を、いくらだって用意してくれる。



ああ、それなら、せめてお母さんだけは。


どんなときも うんと優しくったって、いいじゃないか。



いつの日かわたしがこの世からいなくなったとき、


「声」でも「笑顔」でも、そして「言葉」でも。


あのとき、優しかったなあ、と。


コロッケは、まじウマかったな、と。


そんな風な、できることなら「優しさ」の、


「ほほえみの思い出」になることができたら幸せだなあ、と。


そういう「人」で、
そういう「母」でありたいなあ、と思う。



それができるのは「今」しかなくて。 


優しい言葉をかけられるのも、
優しく微笑むことができるのも、

生きている「今日この瞬間だけ」の連続、なんだな。と。



とても、そう思うのです。







ソファーが「2人掛け」に 戻ったら。

いいえ、「進んだ」なら。


小さな6畳のリビングは、


もっともっと がらーん と 広ーくなるね!








                                    おわり






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今日も、書けたよー ( ´▽`)ノ りんご



















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最終更新日  2020.11.21 05:36:57
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