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寝るのは夜中の3時過ぎというのが続いています。 理由はテレビ・・・ 偶然観てしまった NHKの関西アーカイブス 特集は震災 明日で15年 たくさんの命を奪った 阪神淡路大震災 あの日の早朝の ドーンと下に落ちたような衝撃の後 子供達は二段ベットで眠っていた すぐさま起こし 玄関とベランダのドアを開け放した 私は6年間、関東方面に住んでいたので 後で近所の人に聞いたら 交通機関はストップ 子供の幼稚園バスも動かず休園 小学校は通常通り 次の日にはスーパーには食料が水がなくなってた 救援物資と垂れ幕をしたトラックが日に日に増えていってた 地震の朝 すぐに付けたテレビ・・・ 普通の地震情報だった が・・・ すぐさま様子が変わっていった 倒壊した家やビルが映し出されていたけれど その画面は広がっていく火の勢いの映像に変わっていってた 明石に住んでる友人の両親に電話しても繋がらない 午後1時過ぎだったと思う やっと繋がったのは・・・ 毎年、子供を連れて泊まりがけで訪れていた家・・・ 電話の向こうで あんた達が寝てたほうの家が半壊しちゃったけど わかったよ まだ携帯なんて持ってない時代だったしね・・・ 関東に住むEちゃんに連絡 安心した様子だった 関東でのママ友からも電話がじゃんじゃんかかってきた やっと繋がった・・・ って泣き出すママ友もいた・・・ いろんな人が心配してくれた事に感謝、感謝でした 二ヶ月後に明石に行ってきました。 電車の窓から見る風景は様変わりして 友人の家は私と子供が寝泊まりしてた家の方の壁に 立ち入る事は出来ませんでした。 一年後 ブルーのシートだらけだった風景はなくなり 友人の家は建て直し、新しい部屋で泊まりました。 段々薄れていく記憶・・・ 忘れてはいけないというけれど 忘れたい方もいるだろうに・・・ 一瞬の出来事・・・ 助けれなかった命に罪の意識を感じながら 辛いね・・・ 重いね・・・ でも、そこで生きていた人の事は忘れちゃいけないんだよね・・・
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