2009/08/22(土)06:57
歌謡曲の黄金時代(1)~三橋美智也、春日八郎
こんにちは、リュウちゃんです。
小学校3年生の頃でしたか、リュウちゃんの住んでいた二見が浦の僻地の村に、何と!「三つの歌」がやって来たのですよ!
「三つの歌」といえば、当時、「のど自慢」と並んで、人気絶頂の聴取者参加型ラジオ音楽番組、司会は、後に参議院議員になった宮田輝(宮田輝は、この頃、「のど自慢」の司会も兼ねていました)
こりゃ、凄いや、リュウちゃんが住んでいる小さな村に、あの「三つの歌」が来るなんて!
しかし、待てよ、司会者の名前が宮田輝ではなく、宮田朗となっているな、はてな?ピアノの天池真佐雄の名前も出ていないし、おかしいなー、
でも、せっかくラジオで全国放送されるかも知れない、めったに無い機会、出場してみるか、という軽いノリで、リュウちゃん、この「三つの歌」に出場したのです。
当日は、入場料50円を払って入場、先ず、映画を一本観てから、待ちに待った「三つの歌」、出場者コーナーを見ると、小学生はリュウちゃんただ一人、他は皆、村の青年団のお兄さん、お姉さん、リュウちゃんの順番が来て、名前を呼ばれて勢いよくステージに上がると、司会の宮田朗さん、「お元気そうなお坊ちゃんですね」と、東京弁でコメントしてくれました。小学生とあって、出題される曲は童謡や唱歌ばかり、リュウちゃん得意の(?)歌謡曲は一曲も出題されませんでした。結果、一曲のみ歌えて、不二家のミルキー一個を賞品として貰い、喜んだリュウちゃんなのでした。
後で考えてみますと、もちろんNHKの超人気番組に便乗した偽「三つの歌」でしたが、同時に出場した青年団のお兄さん方に、宮田朗アナウンサーが、「あなたのお好きな歌手は誰ですか?」と質問したところ、ほぼ異口同音に、「三橋美智也」、「春日八郎」という答えが返った事を、まるで昨日の事のように鮮明に記憶しているリュウちゃんなのです。リュウちゃんの小学生時代には、それ程この二人の歌が日本中を席巻していたのです。
リュウちゃんが三橋美智也、春日八郎の曲をカラオケで歌い始めたのは、それこそ、業務用カラオケが始まってまもなくの時期でした。
かれこれ40年前の事、考えて見れば、三橋美智也、春日八郎の歌こそは、リュウちゃんの「懐メロ・カラオケ人生」の原点だったのです。
最初は、圧倒的に三橋美智也の歌が多かったのです。中でも、「お下げと花と地蔵さんと」は、田舎から上京したリュウちゃんの当時の心情にピッタリの曲で、三橋さんの歌の中でも、一番歌った回数が多い曲なのです。「指をまるめて覘いたらー黙って皆泣いていたー」、東条寿三郎に詞が心に沁みます。後半の「呼べば遠くでさようならー」の部分は、木霊(こだま=エコー)になるように、マイクを少し離して歌っています。続いて「母恋吹雪」、「酔ってくだまく父さの声を、逃げて飛び出しゃ、吹雪の夜道、、、」、リュウちゃんの年代から考えても、遥か昔の心象風景なのですが、心のDNAに、遥か昔の風景が受け継がれているのでしょうか、何かピッタリとハマる歌詞なのです。
あとは、以前のブログでも書いた「ギター鴎」、最初の2節で、2オクターブ近く上がる難曲ですが、あの悲壮感が堪らない名曲です。
あと「リンゴ村から」、「古城」この辺の歌は、リュウちゃんが三橋美智也をまとめて歌う日に、いちばん最初に歌う歌なのです。そして、最後の締めはデュエット曲の「お花ちゃん」、しかし、最近のカラオケ店では、この歌を知っている女性客がなかなかいないので、残念なのです。どなたか「お花ちゃん」をデュエットして下さる方、居ませんかね?
あと、「男涙の子守唄」、リュウちゃんの心に残る一番懐かしい三橋さんの曲です。中間部に雲井竜雄(でしたか?)の「子捨て」の詩吟が入るのですが、ここは、詩吟の素養の全く無いリュウちゃんにとっては難物で、少しごまかして歌っていた記憶があります。最近の映像カラオケでは、この曲を見かけないのが非常に残念です。
最近、三橋さんのベストCDで、「東京の鳩」という歌を知り、お気に入りの曲になったのですが、この歌も映像カラオケでは見かけません。どこかのカラオケに入っているのですかね?
三橋美智也は昭和29年、「酒の苦さよ~新相馬節」でデビュー、翌、昭和30年、「おんな船頭唄」が大ヒット
★ おんな船頭唄、★ご機嫌さんよ、達者かね、★ああ新撰組、★あの娘が泣いてる波止場、★リンゴ村から、★哀愁列車、★男涙の子守唄、☆玄界船乗り、★お花ちゃん、☆君は海鳥渡り鳥、★母恋吹雪、★俺ら炭鉱夫、★東京見物、★一本刀土俵入り、★お下げと花と地蔵さんと、★おさらば東京、★夕焼けとんび、★赤い夕陽の故郷、★ギター鴎、★古城、★達者でナ、☆石狩川悲歌、☆センチメンタル・トーキョー、★星屑の町、☆東京の鳩
★ 20曲、☆5曲、計25曲
春日八郎は、リュウちゃんがカラオケを始めた頃には、デビュー曲の「赤いランプの終列車」、「雨降る街角」、それと、高野公男=船村徹の出世作、「別れの一本杉」くらいしか歌っていませんでしたが、数年前、以前通っていた渋谷警察裏のカラオケ酒場「季味」で、リュウちゃんより10歳位年上の紳士のお客さんが「あれから10年たったかなァ」という歌を味わい深く歌うのを聴いて、「おっ、八ちゃんも、まだまだリュウちゃんが知らないいい歌があるのだ」と思いました。
それから、春日八郎に少しハマりまして、いろいろCDを聴き、下記に挙げたような歌を歌うようになったのです。20代の頃のカラオケ事始めの時期には、圧倒的に三橋さんの曲が多かったのですが、現在では、八っちゃんの曲が三橋さんの曲を圧倒しているのです。
「あれから十年たったかなァ」の一番の歌詞(作詞:矢野亮)は、こんな具合です。
暗い下宿の4畳半
友と二人で手を取り合って
きっといつかは陽が照ると
泣いて誓ったあの夜から
ああ、もう十年たったかなァ
リュウちゃんが就職した昭和40年代に地方から東京に出てきた若者は、現在のようなマンションなんて物はありませんでしたので、大体4畳半か6畳の下宿かアパートに入居するのが一般的でした。その狭く、決して清潔とはいえない住居で、「よし、俺も今に出世して、大きな一戸建ての家に住むのだ」なんて考えていたものでしたが、この歌は、そんな当時の若者の心情をよく表していると思います。尚、作曲の渡部実は、確か、春日八郎のペン・ネーム、この歌は八ちゃん本人の作曲によるものです。
あと、最近ハマっているのは、「月の嫁入り舟」、これ、本当にしみじみとしたいい歌なのです。最近、リュウちゃんが聴いて大感激した歌で、昔はこのような名曲がいっぱい作られたのですね、この曲はリュウちゃんのような素人が歌うのは、かなり難しいのですが、頑張って定番レパートリーにしたいと思っています。
春日八郎は、昭和27年、「赤いランプの終列車」でデビュー若原一浪と共に「キング三羽烏」と呼ばれ、キングレコード黄金時代を創った。
★ 赤いランプの終列車、★雨降る街角、★街の灯台、☆ギター流し、★お富さん、★裏町夜曲、★瓢箪ブギ、☆青い月夜だ、☆島の灯台、☆博多流し、☆ふるさと郵便、☆別れの駅にベルが鳴る、☆嘆きの城ヶ島、☆旅の灯台、★別れの一本杉、★月の嫁入り舟、★浮草の宿、☆トチチリ流し、☆雪之丞変化、☆俺と影法師、★別れの波止場、★あん時やどしゃ降り、★ごめんよかんべんな、★別れの灯台、★居酒屋、★山の吊端、★あれから十年たったかなァ、★足摺岬、☆長良川旅情、☆長崎の女(ひと)、★ロザリオの島、
★ 22曲、☆13曲、計35曲
あと「キング三羽烏」の若原一郎、代表曲は「おーい中村君」ですが、前述の渋谷のカラオケ酒場「季味」にリュウちゃんが行きますと、ママが必ず「山陰の道」をリュウちゃんの為に入れてくれるのです。これは、いわゆる抒情歌ですが、リュウちゃんの声には、この歌がピッタリ合うとママは考えているようです。
若原一郎は昭和24年、「舟に灯がつきゃ」でデビュー
★おーい中村君、☆吹けば飛ぶよな、★山陰の道、☆アイヨ何だい三郎君(「おーい中村君」のアンサー・ソング)
今回★☆追加
三橋美智也→★20曲、☆5曲
春日八郎→★22曲、☆13曲
若原一郎→★2曲、☆2曲
これまでの★☆累計
★264曲、☆249曲、合計513曲(やっと500曲を超えました)
次回は、「歌謡曲の黄金時代(2)として、青木光一などの歌についてお話したいと思います。