リュウちゃんの懐メロ人生

2018/10/05(金)07:31

宝塚市立・手塚治虫記念館訪問(2)

フォトブログ(16)

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​手塚治虫記念館の2Fライブラリー室、こここそリュウちゃんが行きたかった場所なのだ! ​​(宝塚市立・手塚治虫記念館訪問(1)の続きです) ​​記念館の2Fに上ります。以下の図は、2Fのイラスト画像です。 2Fには、以下のような施設があります。 ​<単行本展示棚>​ ここには、手塚治虫の単行本の初版本(多分?)がガラスケースに収納されて展示されています。手に取って読むことは出来ませんが、手塚ファンにとりましては興味津々のコーナーです。 以下、幾つかの写真を貼り付けます。​★「スーパー太平記」:残念ながら、リュウちゃんは未読です。​ ​​★「ライオンブックス」:昭和31年~昭和32年にかけて、集英社発行の月刊漫画雑誌「おもしろブック」の別冊付録として刊行された作品です。​​​「狂った国境」、「恐怖山脈」、「白骨船長」、「複眼真人」、、​​皆、リュウちゃんが小学生の時に読んだのだ!​ ​★「双子の騎士」(リボンの騎士)​ ​★「鉄腕アトム」 リュウちゃん、中学校の時にこの単行本を15冊ほど買って読みました。 ​​★「来るべき世界」、「前世期」 初期のSF漫画です。リュウちゃんは未読です。 ​​​★「陽だまりの樹」 小学館より発刊されている青年向き漫画雑誌「ビッグコミック」に昭和56年から6年間にわたって連載された手塚治虫の代表作の一つです。​​ ​​​<アニメ検索機>​​​・手塚治虫の情報や2000年までに製作された手塚関連のテレビアニメ・劇場版アニメ・オリジナルアニメの一部作品が全編全話視聴可能 ​<ライブラリー室>​ ご覧のように、ここは来場者で溢れています。ここには手塚治虫に関する漫画・書籍が約2000冊、オープン書架に所蔵されていて、来場者は自由に手塚治虫の漫画を読むことが出来るのです。 ​ここに通えば、手塚治虫の漫画を全部読める筈だ。 ​このライブラリー室を見ることが今回の手塚治虫記念館訪問の一番の目的だったのだ! ​実はリュウちゃん、今年の6月に地元の図書館で、まだ読んでいなかった手塚治虫の漫画「ブッダ」(潮出版社刊・愛蔵版全8巻、A5販サイズ)を読んで感激しました。​ 手塚治虫の「ブッダ」案の定、凄い漫画だ! 何故、今になってリュウちゃんが「ブッダ」を読んだのかといいますと、★仏教の聖地・法隆寺の傍に住んでいるにも関わらず、全く無信心、仏教音痴人間、以前から仏教、特に仏教の開祖である釈迦(本名:ゴータマ・シッダッタ、尊称:ブッダ)の思想について知りたいと思いながら、これまでいい本に出合わなかった。★58歳で視力障害者になったリュウちゃん、字の小さい本は殆ど読めなくなってしまったが、漫画なら何とか読める(最近は少し回復し、比較的大きい活字の長編小説などは、かなり時間をかけて読めるようになった)★以前から手塚治虫の思想的な漫画作品には信頼を置いていたので、安心して読み始めた。 いざ読み始めてみますと、読む前の予想を上回るダイナミックで深い漫画作品だと感じました。 ​ここで手塚治虫の「ブッダ」について少し紹介してみます。​ ​​<あらすじ>​ ~ウィキペディアの引用です。 ​​​​​​舞台は今から2500年前のインド。人々はカーストと呼ばれる4段階の身分<バラモン(僧侶)、クシャトリヤ(武士)、ヴァイシャ(平民)、スードラ(奴隷)、更にスードラ以下とされカーストにすら含まれないバリア(賤民)>のもと暮らしていた。カピラヴァストウ(カピラ城)の王子ゴータマ・シッダルタはクシャトリヤの身分として、何不自由のない生活を送っていた。やがては結婚し、息子誕生と共に王位に就くことになる。しかし、幼い頃よりシッダルタは、​ ​「なぜ人は死ぬのか」「同じ人間なのになぜ身分があるのか」 などの疑問を常に抱えていた。そして、息子が生まれた日、シッダルタは遂に僧としての道を歩み始めた。数々の苦難を乗り越えた末に、悟りを開いた彼はブッダとなる。シッダルタことブッダは生涯をかけ、人々を諭し、共に悩み苦しみながら進んでいく。​ ​​​​この膨大な漫画、リュウちゃんは随所で感激したのですが、一つだけ感激したエピソードを挙げてみます。 ​作中、「三つ目がとおる」の主人公・写楽保介のキャラで登場する釈迦の修業時代の仲間「アッサジ」(仏典上の実在の人物です)、彼は熱病で生死の境をさ迷った結果、予知能力を持つようになり、自らの臨終の日も予知します。 予知したその日に自分の体を狼に食べさせ、従容として死んでいくのです。​ ​​アッサジの死に様、まさにショック! ​​「ブッダ」を読了の後、以前から気に掛っていた作品、今回、図書館で初めて知った作品を次々に読んでいます。以下、ここ3か月で読んだ作品をランダムに挙げてみます。 ★「どろろ」★「バンパイヤ」★「七色いんこ」★「旧約聖書物語​」(この作品は手塚治虫直筆の漫画ではなく、虫プロ製作のアニメの絵を転用した作品です) ​​​キリスト教の神は残酷だ! ​​★「ブラックジャック」(まだ全部は読んでいません)★「きりひと讃歌」★「人間昆虫記」★「ジャングル大帝」★「W3(ワンダースリー)」★「MW(ムウ)」★「ノーマン」★「奇子(あやこ)」★「海のトリトン」★「ザ・クレーター」★「日本発狂」★「空気の底」★集英社販「手塚治虫名作集」(全10巻中の4巻)(第1巻):★ゴッドファーザーの息子、★ゼフィルス、★1985への出発、★紙の砦、★すきっ腹のブルース、★いないいないばあ、★悪右衛門、(第2巻):★雨ふり小僧、★るんは風の中、★モモンガのムサ、★四谷快談、★山太郎かえる、★ミューズとドン、(第3巻):★百物語、★安達が原、★荒野の七ひき、(第4巻):★マンションOBA、★春らんまんの花の色、★ころすけの橋、★モンモン山が泣いてるよ、★でんでけマーチ、★はなたれ浄土、★二人のショーグン あれ?「鉄腕アトム」がないぞ? 少々長いブログになってしまいますが、ここでリュウちゃんの手塚治虫遍歴史を書いてみます。 ​<リュウちゃんの手塚治虫遍歴史> ​​(1) 幼年・小学校時代​​リュウちゃんが生まれて初めて読んだ手塚治虫の漫画は、以下の写真の「ジャングル大帝」だったと思います(表紙の記憶は今でも鮮明に残っています)が、内容は殆ど記憶にありません。 ​​といいますか、当時アフリカのジャングルを舞台にした作品としましては、山川惣治の絵物語「少年王者」「少年ケニヤ」にハマっていましたので、子供心にも擬人化の強い「ジャングル大帝」は物語の世界に入れなかったのだと思います。 ​(集英社刊「少年王者」第1巻) ​​​「少年王者」は月刊漫画雑誌「おもしろブック」に連載されていました。 ​​​​リュウちゃんは小学校時代は 「おもしろブック」の愛読者だったのだ。 ​​​​​この頃、月刊漫画雑誌「漫画王」(秋田書店刊)に手塚治虫の「ぼくの孫悟空」という「西遊記もの」の漫画が連載されていて、リュウちゃんも時々読んでいました。 ​​(ぼくの孫悟空) ​​しかし、「西遊記もの」では、同時期に「おもしろブック」に連載されていた杉浦茂の「少年西遊記」にハマっていましたので、当時はこちらに軍配を挙げたのです。 ​ ​(杉浦茂「少年西遊記」) ​当時、「おもしろブック」には手塚治虫の連載はなかったのですが、唯一「おもしろブック」で手塚治虫の漫画で今も鮮明に覚えていますのは、昭和31年~32年にかけて「別冊付録」の形で発行された「ライオンブックス」シリーズです。 ​(手塚治虫「ライオンブックス」) ​「狂った国境」、「恐怖山脈」、「白骨船長」、「複眼魔人」、、、皆、懐かしい題名です。 今、オリジナルのライオンブックスを持っていたら、まさしく「お宝」だったのに! ​​(2) 中学・高校時代​​​この時期にカッパ・コミックスで刊行されたB5版サイズの「鉄腕アトム」を15冊位購入、この時期はリュウちゃんの「鉄腕アトム時代」なのです。​ ​<カッパ・コミックス版「鉄腕アトム」(全32冊)> ​​​(「鉄腕アトム」のテレビアニメ)​​リュウちゃんが高校2年生の時(昭和38年)、「鉄腕アトム」が日本初の国産連続テレビアニメとして放送が始まりました(モノクロ・30分番組)、毎週連続のアニメの30分番組は、世界でも初めての試みだったようです。当時、「鉄腕アトム時代」だったリュウちゃん、期待して第1回を観たのですが、殆ど口だけしか動かない、動画とはとても言えない画像にガッカリ! テレビのアトムは、「ポパイ」や「ウッドペッカー」のような動画ではなく、「静画」だ! ​​「鉄腕アトム」のテレビアニメは週1回放映なので、制作する時間の制約が大きく、「ポパイ」などのフル・アニメーション(1秒間に24枚のセル画を使い、スムーズな動きにしたアニメ)ではなく、リミテッド・アニメーション(1秒間にセル画8枚、しかも口以外は殆ど動かない同じセル画を使用したアニメ)にせざるを得なかったようですが、以後、リュウちゃんは日本のテレビアニメとは断絶してしまったのでした。​​ リュウちゃんの「鉄腕アトム時代」は、テレビアニメ放映開始で終わったのだ! ​​(3) 大学時代​​​​リュウちゃんが地方の国立大学に入学したのは昭和40年です。この頃は学生運動が盛んな時代で、リュウちゃんは入学の前年に発刊された青年向き月刊漫画雑誌「ガロ」にハマていました。中でも、看板作品だった白土三平の「カムイ伝」にべったりハマったのです。​​ 白土三平の「カムイ伝」、手塚治虫の「ブッダ」によく似ている! ​(白土三平「カムイ伝」~「ガロ」昭和41年1月号表紙) ​​手塚治虫は「ガロ」に対抗する形で、「ガロ」創刊の3年後の昭和42年に月刊漫画雑誌「COM」を創刊しました。「ガロ」の看板作品は「カムイ伝」だったのですが、「COM」の看板作品は手塚治虫の代表作の一つとされる「火の鳥」だったのです。でも、学生時代のリュウちゃんは圧倒的に「ガロ」派で、「COM」は殆ど読んだ記憶が無いのです。「火の鳥」を通読したのはずっと後年になってからのことですが、気の遠くなるような輪廻転生の物語なので、未だに全容が掴めないのです(トホホ!) ​(手塚治虫「火の鳥」) ​​​(4) 青年時代​​​昭和41年、週刊少年漫画誌「少年サンデー」に「バンパイア」連載開始、 ​(バンパイア) ​​昭和42年、週刊少年漫画誌「少年サンデー」に「どろろ」連載開始、 ​(どろろ) ​​昭和48年、週刊少年漫画誌「少年チャンピオン」に「ブラックジャック」連載開始、​ ​(ブラックジャックとアイドルのピノコちゃん) ​​昭和49年、週刊少年漫画誌「少年マガジン」に「三つ目がとおる」連載開始、 ​(「三つ目がとおる」~主人公の写楽保介とヒロインの和登千代子さん) ​以上の4作品、リュウちゃんの見立てによれば、膨大な手塚治虫の作品の中でも、屈指の傑作だと思っています。初期の「ジャングル大帝」や「鉄腕アトム」などと違い、人間のダークな側面やエロスの側面もきっちりと描いた青年・大人向けの作品に仕上がっています。 ​​(5)40代~60代​​この時代、大人向けの漫画に少しハマりました。 ​​★「アドルフに告ぐ」​​ 昭和58年~60年、「週刊文春」に連載、​「ヒトラーがユダヤ人の血を継いでいる」という機密文書を軸に展開する第2次世界大戦中の巨大な歴史の渦に翻弄される人々の姿を描いた歴史ドラマです。​ ​ちょっと趣きは違いますが、この頃読んだ連城三紀彦の歴史ミステリー「黄昏のベルリン」を彷彿しました。​ ​​★「陽だまりの樹」​​​小学館発行の大人向け漫画雑誌「ビッグコミック」に昭和56年から5年間にわたって連載された長編幕末時代劇漫画、​ ​主人公の一人は手塚治虫の曽祖父で、蘭学者・医師であった「良庵」(手塚良庵)、​​良庵は幕末に緒方洪庵の「適塾」に入門、福沢諭吉らと親しい関係を持ったそうです。明治維新後は大日本帝国陸軍軍医として活躍、西南戦争に従軍、従軍中、赤痢に罹り、明治10年、従軍先の長崎陸軍病院で病死しました。 ​​「陽だまりの樹」のウィキペディアによれば、この作品は前述の「アドルフに告ぐ」とい並び、手塚漫画の中で最も「綿密に作られた作品」とのことです。​ ​リュウちゃん、未だにこの作品は 半分しか読んでいない! ​(余談)手塚良庵は西郷隆盛とほぼ同時代の人物です。​今、NHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」が放映されていますが、視聴率は10パーセントの前半で推移しており、この調子で行きますと、歴代視聴率ワースト1位の「花の乱」(平成6年放映、平均視聴率14,1%)を下回る勢いです。​ ヘソ曲がりのリュウちゃん、大河ドラマは大学卒業以来殆ど観たことがありません。 幕末の歴史を知りたいのであれば、NHK大河ドラマよりも「陽だまりの樹」を読んだほうが良さそうだ。 ​​★「ルードウィヒ・B」 ​潮出版社のコミック雑誌「コミックトム」に昭和62年から2年間連載、平成元年2月9日の手塚治虫の死去により未完となりました。 クラシック音楽ファンだった手塚治虫が独自の視点で描いた楽聖ベートーベンの伝記漫画です。手塚さんと同じくクラシック音楽ファンのリュウちゃん、 ​​この漫画は感動したが、 未完に終わったのは残念なのだ! ​​​​(6)そして現在72歳​​​​上述しましたように、72歳の誕生日を迎えた今年6月に偶々地元の公立図書館で「ブッダ」を借りて読んでから、生涯6度目の、そして多分生涯最後の「手塚治虫期」に入ったという次第なのです。上掲の「今年読んだ手塚漫画」で、「ブッダ」以外で特に良かった作品を以下に挙げて観ます。​​ ​​    ★「どろろ」​​ ​時は戦国時代、戦国武将の一人であった醍醐景光(架空の人物)は、48体の魔人像(妖怪)に天下取りを祈願、そのために生まれたばかりの息子の体の48カ所を生贄として捧げます。48カ所の体の部分を欠落して生まれ落ちた肢体不自由児の主人公「百鬼丸」は、生まれるとすぐに川に捨てられます(このプロローグ、「十戒」のモーゼの出生のエピソードに似ています)が、名医・寿海に拾われ育てられます。寿海は百鬼丸のために、義眼、義耳、義手、義足などを作り、百鬼丸は一見すると常人と変わらない姿と行動が出来るようになります。​やがて百鬼丸は妖怪退治の旅にでます。妖怪一体を倒す度に、欠損した体の一部分が再生するというストーリーです。 ​(百鬼丸とどろろ) ​​48匹の妖怪を退治すれば、欠落した体のパートが全て再生し、物語が完結する筈だ。​​百鬼丸は妖怪退治の旅の途上で、みなしごになった腕白小僧(?)で自称・大泥棒の「どろろ」に出逢い、二人で旅を続けます。 ​​(どろろ) ​​​​この作品は、「ガロ」に連載された妖怪漫画作家の水木しげるの影響を強く受けたとされていますが、「ゲゲゲの鬼太郎」が全体的にはユーモラスが漂う作品であるのに比べ、遥かに陰惨な物語です。実写時代劇では、黒澤明の「羅生門」を彷彿させます。また、白土三平の「カムイ伝」のように、時代に虐げられた庶民の惨状を正面から描いた稀有な漫画だとリュウちゃんは思いました。​​ ​​★「奇子(あやこ)」​​ 小学館発行の大人向け漫画雑誌「ビッグコミック」で、昭和42年から翌年まで連載、ある事情から幼児期から20年以上も実家の蔵に閉じ込められた少女の数奇な物語、まるで江戸川乱歩か横溝正史のような暗く、おどろおどろしい物語です。 ​この漫画の見所の一つは、昭和24年に発生した戦後の未解決事件の一つ、 「下山事件」を下敷きにしていることです。ここで手塚治虫は、終戦直後のGHQの日本の政治への介入を暗に批判しているように感じました。​ ​もう一つの見所は「手塚治虫のエロス」を集大成したような漫画だということです。 ​下の図は、土蔵に幽閉された奇子が初潮を迎えるシーンです。土蔵の中の奇子は、このシーンに限らず、殆ど全裸で描かれるのです。 ​<手塚治虫のエロティシズム>​​​上掲の「奇子」に限らず、手塚治虫の大人向けの漫画には美しい女性のヌードがふんだんに登場します。大人向けの漫画に限らず、 「ブッダ」でも、登場する女性の殆どは上半身裸なのです。リュウちゃんが大好きな「三つ目がとおる」でも、ヒロインの和登千代子さんは清潔なエロティシズムを振りまいているのです。 ​(和登千代子さんのエロス)​ 以下、幾つかの「手塚治虫のエロティシズム」の絵を貼り付けます。 手塚治虫のエロス。猥雑ではなく、ひたすら美しい! ​​★「紙の砦」​​ 昭和49年、週刊漫画雑誌「少年キング」に掲載、読み切り短編漫画、​これは手塚治虫の太平洋戦争末期に体験した半自伝的漫画です。 ​​昭和16年、手塚は旧制北野中学(旧制中学校は5年制、北野中学は橋下徹などを輩出した名門・北野高校の前身です)に入学、軍事色が強くなっていた時期で、隠れて漫画を描いているのを学校教練の教官に見つかり、ブン殴られます。​ 昭和19年の夏、体の弱い学生が入れられる「強制修練所」に入所、9月からは軍需工場に駆り出されました。 昭和20年3月、戦争中の修業年齢短縮により4年で卒業、6月、勤労奉仕で櫓の上に登り防空監視をしていた時に大阪大空襲に遭遇、九死に一生を得ました。 漫画の中の手塚治虫は京子ちゃんという女学生に淡い恋心を抱きます。 でも、大阪大空襲で、京子ちゃんは顔に大怪我をしてしまうのです。 漫画の中の手塚治虫は、京子ちゃんの顔の怪我を治すために、医者になろうと決心するのでした。 ​この戦争体験が後の手塚漫画のテーマとなった「反戦」、「反権力」、「ヒューマニズム・庶民目線」に繋がっていったのだとリュウちゃんは感じました。​ 以上、長々と書いてしまいましたが、キリがないので、この辺でやめます。 最後に、現在72歳のリュウちゃんがこれから読んでみたい手塚漫画を幾つか挙げてみます。 ​<リュウちゃんがこれから読みたい手塚漫画>​ ★「ブラックジャック」の完読★中途半端に終わった「火の鳥」、「陽だまりの樹」、「グリンゴ」の完読、★全く読んだことのなかった「ぼくの孫悟空」、「シュマリ」、「ネオ・ファウスト」、「メタモルフォーゼ」、「一輝まんだら」などを読む。 現在72歳のリュウちゃん、まだまだこれらの漫画を読む時間はいっぱいあるのだ! 約2時間ほど記念館を散策し、外に出ました。​手塚治虫記念館のすぐ近くにある武庫川に架かる「宝塚大橋」に出てみました。 ​​下の写真は橋の上から眺めた「宝塚音楽学校」です。​ この学校で手塚治虫が憧れた淡島千景や月丘夢路、リュウちゃんが憧れた八千草薫様が学んだのだ! ​同じく、橋の上から眺めた「宝塚大劇場」です。 ​​音楽学校と大劇場は隣接しているのだ! ​ ​阪急宝塚駅から音楽学校までは「花のみち」という散策路で繋がっています。 ​​途上には、 「ベルサイユのばら」の彫像がありました。​ ​宝塚大劇場の入り口に近い途上に、宝塚歌劇団の創始者・小林一三翁の銅像が建てられていました。 ​ 小林一三と手塚治虫宝塚市の「お宝」なのだ! 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