2019/02/12(火)11:03
2019年新春の奈良公園と鹿たち(下)+藤井聡太七段
水谷神社のイブキの巨樹いつもながら、凄い迫力だ!
(前回のブログの続きです) 二人の巫女さんの後を追うようにして、春日大社を出ました。ここから若草山、手向山八幡宮、東大寺に向かいます。
<一言主神社>先ずは「一言主神社」です。
春日大社の境内にある小さな一言主神社は、春日大社の「末社」です。多分、奈良県御所市(ごせし)にある葛城一言神社の分社だと思われます。春日大社境内の摂社・末社の中でも、人気のスポットの一つで、いつも、「一言の願い事」を書いた絵馬を奉納する参拝客の行列が出来ているのです。 一言主神社といえば、全国的には茨城県常総市にある「一言主神社」が有名なようですが、こちらは平安時代に葛城の一言主を迎えて創建された「弟分」のようです。
リュウちゃんの願い事は
とても一言では言えない、なので絵馬奉納はパス(苦笑)
一言主神社から水谷神社に向かう参道の横も鹿の集合場所です。
あまり鹿せんべいを
貰える場所でもないのに、何故ここに鹿が集まるのだろう?
下の写真の真ん中に、
「奈良の鹿」についての注意書きの看板があります。
最近、観光客が鹿に襲われて負傷する事件が多発しているようですので、この看板の文言を以下に書き起こしてみます。
<奈良公園の鹿の多くは人に慣れていますが、あくまで「野生動物」です。時として人を攻撃することがありますので、特に高齢の方や小さいお子様連れの方は注意して下さい> 孫姫ちゃんたち、鹿にせんべいをあげる時は、すぐせんべいを手放すのだよ!
<水谷神社>
冒頭の写真の、「イブキの巨樹」がある小さい神社です。 イブキの老巨樹が神社を圧倒している!今にも圧し潰されそうだ!
このイブキの巨樹の下に以下のような看板が立てられています。 このイブキ、
樹齢は何年なのだろう?
<若草山の麓の鹿たち>
水谷神社を過ぎると、若草山の麓に登っていく石段が見えてきます。 石段で雄鹿がお出迎え、
リュウちゃん、若草山へいらっしゃ~~い!
雌鹿さんもお出迎え、 リュウちゃん、若草山へようこそ!
若草山の麓も奈良公園屈指の鹿の集合場所です。 ここの鹿も、皆、いい顔をしている!
<手向山八幡宮>
手向山八幡宮は東大寺建立にあたり、大分県の宇佐八幡宮から東大寺の守護神として迎えられた神社です。 手向山八幡宮の境内にある杉の巨樹、これも奈良公園屈指の巨樹なのです。
ここにも雌鹿が顔を出しました。 リュウちゃん、こんにちは、
<二月堂から生駒山を遠望>2枚目のズームアップした建物は大仏殿です。
ここからの眺めは奈良随一なのだ!
<大仏殿>
普段、奈良公園を一周する時には、リュウちゃんは入場料(大人600円)の掛る大仏殿には入らないのですが、正月なので久しぶりに入ってみました。
大仏殿の中は撮影可、
実はリュウちゃん、大仏殿の廬舎那仏他の仏像の写真を撮ろうと思ったのですが、カメラの調子が悪かったのか(最近、ちょっとカメラの調子が不安定で、かなりボケた仕上がりになることが多々あるのです)、リュウちゃんの技術がヘボなのか(これは自他共に認めるところです。調節が出来ず、単に被写体にむけてシャッターを押すがけのバカチョンカメラマンなのです)、大仏様を撮ったつもりが「真っ黒」に潰れてしまい、何も見えないとうい体たらく、情けなや~!
ちょっとボケていますが、辛うじて撮れた大仏様の右脇侍の「虚空蔵菩薩」の写真を以下にUPします。
<南大門>
東大寺南大門、相変わらず、凄い偉容だ!
<南大門の前の鹿の群れ> 南大門前の参道、ここは奈良公園最大の鹿の集合場所なのだ!
<鹿のお尻の毛は何故白い?>リュウちゃんは奈良の鹿の写真を撮る時には、「顔」を中心に撮るのですが、以前、奈良市在住のブログ友さんに「鹿のお尻フェチ」の女性がいました。 鹿のお尻の毛は白いハート型なのだ!
鹿のお尻は何故白いのか? いろいろネット調べしました所、以下のような記事が目に留まりました。(1) 鹿は大型肉食獣に追いかけられた時には集団で逃げる。先行する鹿を追いかけるためには、前の鹿がよく見える必要がある。そのために夜でもお尻がよく見えるようにお尻のい毛を白くした。
う~ん、リュウちゃん、
この説はちょっと納得できない。
何故かといいますと、日本には虎やライオンのような大型肉食獣がいないからです。
そうだ、つい100年位前にはオオカミがいたぞ!
しかし、二ホンジカは夜眠りますが、集団で眠っている時に夜でもくっきり見える白いお尻はオオカミの恰好の標的にならなかったのでしょうか?
(2) 鹿の白い尻毛は「尾鏡(びきょう)」と呼ばれる。緊張すると臀部の筋肉の動きで、白い尾毛が逆立ち、群れの仲間に警戒の合図を送る。また他の仲間を守ろうとして、襲撃者の囮(おとり)になり、仲間を襲撃者から救う。
う~ん、リュウちゃん(2)の説のほうに納得です。
孫姫ちゃんたち、今度、奈良公園に行くときは、鹿の白いお尻も観察してね。
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<特報> 将棋の藤井聡太七段、順位戦連勝ストップ、師弟同時昇級成らず、連続昇級赤信号残念!
(藤井聡太七段と師匠の杉本昌隆七段)
2月5日に行われた将棋C級1組順位戦で、師匠の杉本昌隆七段と共に「師弟同時昇級」が期待されていた藤井聡太七段、残念ながら近藤誠也五段との第10戦に敗れてしまいました。これで、一昨年から続けていた順位戦連勝記録は18でストップ、中原誠十六世名人の持つ順位戦連勝記録をい抜くことは出来ませんでした。そればかりではなく、順位戦連続昇級にも赤信号が点ってしまいました。
現在、藤井七段が所属している順位戦C級1組(五段格)には、39人の棋士でB級2組(六段格)への昇級を争っています。
昇級枠はたったの2人!あと1戦を残して、昇級候補者は8勝1敗で並んでいる以下の4人です。★近藤誠也五段(C級1組順位6位)★杉本昌隆七段(C級1組順位7位)★船江恒平六段(C級1組順位14位)★藤井聡太七段(C級1組順位31位)
同じ8勝1敗でもC級1組の中での順位がランクを決めますので、現在のところ、藤井七段の順位は「4位」ということになります。
順位4位ではB級2組に昇級出来ない!
<藤井七段の昇級の条件>★藤井七段が3月5日の最終戦に勝つことが絶対条件、★更に、藤井七段よりも上位にいる3人の内、2人が負ける事、
上位3人中、
2人が負けないと昇級出来ない!これはかなり厳しい条件だ!確率は100分の1くらいか?
現在、将棋界の8大タイトル中、
「名人位」を除く7大タイトルは予戦から連勝し続ければ、1年で獲得することが出来ますが、「名人位」だけはプロ棋士になってから最低5年掛るのです。
<プロ棋士になってから最短で名人になるまでの年数>(スタート):先ずC級2組(四段格)に入る。(1年目):C級1組(五段格)に昇級する。(2年目):B級2組(六段格)に昇級する。(3年目):B級1組(七段格)に昇級する。(4年目)A級(八段格)に昇級する。(5年目):A級で優勝すると名人戦に挑戦者として出場、先に4勝すると「名人」になる。
「神武以来の天才と称された加藤一二三九段は、14歳7ヶ月でプロ棋士(四段)になり以後、順位戦を毎年昇級昇段、18歳3ヶ月でA級に昇段(最年少記録)、A級2年目の20歳3ヶ月でA級優勝、
史上最年少の名人挑戦者になりました。しかし、この「名人戦」は大山康晴15世名人に1勝4敗で敗れ、名人位獲得とはなりませんでした。加藤が名人位を獲得したのは初挑戦から22年後の42歳のことだったのです。
(加藤一二三九段)
史上最年少で名人位を獲得したのは谷川浩司九段、彼は14歳8ヶ月でプロ棋士になり、C級2組で1年足踏みした後は順調に昇級昇段、20歳直前の19歳と360日でA級に昇段、この年のA級順位戦で優勝、名人挑戦者として加藤一二三名人に挑戦、21歳と2ヶ月の時、名人戦に勝利勝利しました(史上最年少名人)
(谷川浩司九段)
タイトル獲得数99回、7大タイトル全てに永世称号を獲得した羽生善治九段は、加藤一二三、谷川浩司に続き、3人目の中学生棋士になりました。順位戦デビューは15歳と10ヶ月目のことでした。順位戦ではC級2組を2回、C級1組を2回経験しましたが、B級2組からは毎年昇級昇段、1993年3月、22歳6ヶ月でA級に昇級、昇級1年目でA級優勝、米長邦雄名人を4-2で下し、23歳9ヶ月で名人位を獲得しました。
(羽生善治九段)
藤井聡太七段は、2016年9月3日に奨励会三段リーグで優勝し、同年10月1日付けで四段に昇段し、プロ棋士になりました。この時、藤井君は14歳2ヶ月、これは加藤一二三九段の14歳7ヶ月より5か月早い史上最年少記録でのプロ入りでした。しかし、順位戦C級2組が始まるのが、翌年の6月からですので、C級2組を全勝突破した2018年3月には、藤井君は15歳7ヶ月になっていました。加藤一二三九段は14歳7ヶ月でプロ棋士になりましたが、すぐに順位戦に参加出来たようで、C級2組を突破した1955年3月時点では、15歳2ヶ月、
藤井七段、史上最年少でプロ棋士になったが、C級2組最年少突破の記録は加藤一二三九段なのだ!この「差」は、プロ棋士になってから順位戦に参加するまでの「ブランク」の差なのですが、ちょっと残念な気がしますね。
藤井聡太七段殿今期C級1組突破は
難しいかも知れませんが、これからも「異次元の将棋」を指して下さいね!