リュウちゃんの懐メロ人生

2023/01/26(木)09:58

石光寺の「寒牡丹」と、當麻寺・長谷寺の「冬牡丹」

冬の咲く牡丹の花石光寺の寒牡丹は「静寂」、當麻寺・長谷寺の冬牡丹は「華麗」だ! (石光寺の寒牡丹) (當麻寺の冬牡丹) ​​​1月18日、2年ぶりに石光寺(せっこうじ)と當麻寺(たいまでら)の「牡丹巡り」に行ってきました。石光寺と當麻寺は約600mの近距離にありますので、いつもセットでお出掛けするのです。 ​​​石光寺は、リュウちゃんの家から車で行けば約30分なのですが、運転担当の女房殿は所用があり、今回はリュウちゃん一人で公共交通を使ってお出掛けしまし」た。 JR法隆寺から近鉄當麻寺駅まではローカル線乗り換え3回!メチャ遠い。 朝9時に家を出発、近鉄當麻寺駅に着いたのが午前11時過ぎ、 車なら30分の行程を、公共交通では 2時間も掛かってしまった! 近鉄當麻寺駅から「當麻寺」までは700m、「當麻寺」から「石光寺」までは更に600mです。 ​先ずは「當麻寺仁王門(東門)」、​江戸時代の作とされる「仁王像」が出迎えてくれる筈でしたが、「阿形」は只今修理中、「吽形」のみがリュウちゃんを出迎えてくれたのです。 「當麻寺」の境内を通り抜け、石光寺に向かいます。​途上に民家の庭では、「蝋梅」が見頃になっていました。 ​​途上の道から見上げた「二上山(にじょうざん)」です。因みに、二上山は「當麻寺」の「山号」なのです。 ​​午前11時30分、やっと「石光寺」に到着、 ​本日の天候は終日曇天、ちょっと残念! 境内に入ります。 ​​南天がお出迎え、 ​「中将姫 染の井戸」の横のミツマタの花、 ​​​もうすぐ開花です。 ​​<中将姫伝説> ​​​中将姫は奈良時代の伝説の女性です、貴族の娘として生まれ、美貌で知られた姫は17歳で出家、ある日、中将姫は、蓮の茎を集め、糸を採り出し、石光寺の庭に掘った井戸に糸を浸したところ5色に染まりました。姫はそのハス糸で一夜のうちに「當麻曼荼羅(たいままんだら)」を織りあげたのだそうです。 (​ツムラ「中将湯」の広告に使われた中将姫のイラスト) ​さて、「寒牡丹」の前に、境内に咲く他の花を紹介致します。 ​​<蝋梅> ​​石光寺は蝋梅の名所でもあります。​境内には10本ほどの大きな蝋梅が植えられていて、訪れる人の目を楽しませてくれます。まだ葉が落ちたばかりで、「見頃」にはちょっと早かったのですが、それでも数本の蝋梅は「見頃」を迎えていました。 ​ ​​<山茶花> ​​境内には赤いサザンカが数本植えられています。もう半分近く落花していますが、静かな境内の縁を彩っているのです。 ​​<万作> ​​​境内に一本だけの万作です。まだ「咲き始め」ですが、「蝋梅」と並んで境内に彩りを添えているのです。 ​​<寒咲きアヤメ> ​​他の所では殆ど観ることが出来ない「寒咲きアヤメ」が観られるのも、石光寺の魅力です。今回は境内にはまったく観ることが出来なかったのですが、入口のあたりに数株だけ観ることが出来ました。 ​​<寒牡丹> ​​さて、お目当ての「寒牡丹」です。​「寒牡丹」は、下の写真のような「冬囲い」(わらぼっち)の下で、ひっそりと咲いています。 ​実は1月下旬は「寒牡丹」は、「ほぼ終わり」の時期で、今回は「見頃」の寒牡丹を観ることは出来なかったのですが、それでも幾つかの咲き残りの寒牡丹を観ることが出来ました。 ​以下、本日撮った寒牡丹の写真を、品種名が判明したものはその名前を表記して貼り付けて見ます。 ​​​<大正紅> ​​<東雲(しののめ)の月> ​​<初日> ​​<豊明> ​​<時雨雲> ​​<清雲> ​​<火焔山> ​​<品種不明> ​ ​​上掲の写真でお分かりのように、石光寺の「寒牡丹」には「葉」が殆ど付いていません。​​​​それに対し、これから行く當麻寺の「冬牡丹」は、青々とした「葉」が豊かに付いています。 ​​​​<「寒牡丹」と「冬牡丹」の違い> ​​​多くの百科事典では、寒牡丹と冬牡丹を混同して記述していますが、「寒牡丹」と「冬牡丹」は全く別物なのです。​以前のブログでも、その違いを書いたことがありますが、改めて記述致します。 ​​<冬牡丹> ​​​​春咲き品種の牡丹(春牡丹)そのもので、温室などを利用して牡丹に「春が来た」と思わせて冬に花を咲かせています。冬牡丹の「葉」は、春に咲く牡丹同様、青々と茂っています。茎や枝も青々としていて、勢いがあります。 ​​​​<寒牡丹>​ ​​​春だけでなく初冬にも花を咲かせる「二季咲き」という遺伝的性質を持ち合わせている品種で、牡丹自身が冬とわかっていながら咲いています。「葉」は殆ど無く、茎や枝も冬枯れ状態のままで、花だけが咲いているという牡丹なのです。​​「冬牡丹」に比べ、見た目には地味なのですが、育成は格段に難しいのだそうです。 ネット検索をした所、寒牡丹が観られるお寺は、全国で石光寺が唯一のようだ!石光寺の寒牡丹、​貴重な花なのだ! ​​​<當麻寺の冬牡丹> ​​​​小1時間ほど石光寺を散策し、正午過ぎに元来た道を引き返し、當麻寺に向かいました。當麻寺の「奥の院」にある「浄土庭園」が「冬牡丹」の観られるところなのです。 ​​浄土庭園の入口の「ハスの花」の鉢がいっぱいある!當麻寺は、ハスの名所だったのだ! 浄土庭園の奥、石光寺の寒牡丹と同じように、「わらぼっち」で覆われた中に冬牡丹が咲いています。 やはり「冬牡丹」は、「春牡丹」とは違い、「葉」が青々と茂っていて華麗だ! ​「浄土庭園」の境内にも何本かの「蝋梅」が観られました。 ​石光寺・當麻寺の散策は、蝋梅散策の道でもあるのだ。 ​<當麻曼陀羅(たいままんだら)> ​中将姫が石光寺で蓮糸を染めて一夜にして織ったという伝説のある「當麻曼陀羅」は、​當麻寺の「本尊」として當麻寺に収められています。 ​​​​この原本は、縦・横それぞれ3,95mと巨大なもので、伝説とは違って「綿糸の綴れ織り(タペストリー)」なのだそうです。近年の研究では、同時期に作られた綴れ織りと比較して、格段に技術が高いところから、中国(唐)で製作されたものではないかと推定されているようです。 ​​​以下にネットからお借りしたオリジナルの「當麻曼陀羅」の写真を貼り付けます。 〈オリジナルの「當麻曼陀羅」(国宝)〉 オリジナルの「當麻曼陀羅」は、ご覧のように、かなり早い時期から画像の判別がつかない程、傷みがひどくなってしまいましたので、鎌倉時代あたりから多くの写本が作られました。 以下に「當麻曼陀羅」のウィキペディアに掲載されてい「メトロポリタン美術館所蔵の「當麻曼陀羅」の写真を貼り付けます。 この写本、サイズや制作年代は不明だが、ネット上にあった一番鮮明な画像なのだ! (メトロポリタン美術館所蔵の「當麻曼陀羅」) 午後1時過ぎ。當麻寺仁王門の近くの蕎麦屋で遅い昼食、 プファ~、ビールが旨い!初めて入った蕎麦屋だが、 蕎麦も美味しい! ​​この蕎麦屋、田舎の古い家を改造した和風の店なのですが、店内に流れているBGMはクラシックの弦楽曲、バッハの「G線上のアリア」やレスピーギの「リュートの為の古代舞曲とアリア」などの後、モーリス・ラヴェルの「逝ける王女のためのパヴァーヌ」という静かな曲が流れて来ました。 ​​​<ラヴェル「逝ける王女のためのパヴァーヌ」:弦楽四重奏版> ​​この曲が流れてきた途端、昨年春、55歳で亡くなったリュウちゃんの心のマドンナ、Yちゃんのことが想い出されて、涙ウルウルになってしまったのです。 ラヴェルの音楽が好きだったYちゃん、安らかにお眠り下さい。 ​午後2時に蕎麦屋を出て、奈良のもう一つの冬牡丹の名所、「長谷寺」に向かいました。 ​「當麻寺」と「長谷寺」は、直線距離は近いが、近鉄電車で乗り換え2回、ローカル線の旅は時間が掛かる! 近鉄「長谷寺駅」に着いたのが午後3時20分、駅から長谷寺まで徒歩20分、結局、長谷寺の門前に辿り着いたのが、午後3時40分になってしまいました。 (長谷寺の入口「仁王門」) ​「仁王門」を潜りますと、すぐに399段の「登廊」が上の「本堂」に続いています。 ​(399段の「登廊」) 冬牡丹は登廊の両サイドの斜面に咲いています。 ​ここの冬牡丹は、「登廊」から眺めるようになっていて、當麻寺のように間近に近寄って見ることが出来ません(ちょっと残念!) ​​本堂の舞台から見下ろした風景、登廊の脇にある「天狗杉」のみが目に付きました。 ​夕暮れ時が近づいて来ましたので、長谷寺のもう一つの牡丹の見所である「本坊前の牡丹園」にも立ち寄らず、早々に下山しました。 ​下山の道では、赤いサザンカの落花のみが印象に残ったのです。 ​​​本ブログを書くにあたり、改めてネットで「長谷寺の冬牡丹」の記事を幾つか調べました。多くの記事では、「寒牡丹」と「冬牡丹」を混同した記事が目に付いたのですが、下記の長谷寺のHPを見ました所、長谷寺の本坊前にも「寒牡丹」が咲いていることが分かりました! ​​​<長谷寺便り・寒牡丹> ​そうだったのか!石光寺だけでなく長谷寺にも「寒牡丹」が咲いていたのだ!今度、冬に長谷寺に行く時には、本坊前の牡丹園に行って見よう。 ​(長谷寺の寒牡丹、この写真は上記HPからお借りしました) ​

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