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2024.11.19
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カテゴリ:生き方


父が亡くなったのは今から9年前
その年は本当に良く帰省していた。
父は寝込んだり入院することも無かったが、随分と弱ったと感じていたからだ。
この年の8月おっちゃんの還暦祝いを私の実家で行い、息子3人が家族も連れて集合した。
父も上機嫌でみんなが集まって嬉しくて「俺の誕生日祝いか?」と言って皆を笑わせた。
最後にあったのは11月、この時も一緒にご飯を食べ、好きなお酒を飲み、大笑いして過ごした。
本当はこの時姉も一緒に帰る予定にしていた。
でも、姉は孫が生まれそうで急遽帰ることが出来なくなった。
父が自宅で兄と母に看取られて老衰で亡くなったのはその年の12月・・・
報せを受けて姉と新幹線に乗り合わせて哀しい帰郷をすることになり、
姉は私の顔を見るなり号泣した。
「親の死に目には会えないと思ってはいたけれど、11月に帰っていたら、、
 最後にもう一回逢いたかった」と・・・
姉にとっての後悔はあれからずっと残っていたことだろう。

姉は最近になってようやく年に2回帰るのがせいぜいといった所、
仕事もあり、金銭的にも大変だから
去年の春に義兄を看取るまでは中々遠出をすることが出来なかった
義兄を看取ってから、今年になってようやく3回帰ることも出来るようになった所だ
それなのに、今回の入院から施設へということになれば
ようやく父の時に十分世話をすることが出来なかった想いを母の世話をすることで
埋めようとしていたのにそれも叶わなくなる、
私は年々弱っていく母の様子を年に4回、、多い時には6回見るうちに
徐々に覚悟をしてきていた
今年は起きて私と話しているよりも、すぐに布団に横になりたいという時が多くなり
いよいよ近づいてきたのかもしれないと、帰る度に別れが辛くなってきていた

そして、世話をしてくれている兄と弟の姿も合わせ見て
今回の骨折による入院、そして退院後について
「自宅に帰るのは難しい、施設に入所も仕方ない」と納得していた
そうなるだろうし、そうするしかないと思っていた
姉も(介護職の)息子たちから、「自宅に帰るのは難しい、自宅や兄の家で見ていてまた骨折や
何かあればもっと大変なことになる。施設の方が母にとっても安心だから、仕方ないんだよ」と
言われたと言いながらも嗚咽が止まらなかった。
それが姉のどうしようもない想いなのだろう・・・

今週末に帰省して母の見舞いに行く予定にしている。
元々恒例の野沢菜漬けの買い出しに行くことになっていた。
それでも、おっちゃんも自分の親の死に際にあまり帰省出来なかった自身の後悔があるから、
旅行の行程を考える時には私の実家に行きと帰りに寄るようにしたり、
常に一人暮らしになった母に会うことを尊重してくれる。本当に感謝しかない。

親に孝行らしいことがどれほど出来たかわからないが、家族仲良く健康で過ごしていることの
報告と旅行を夫婦で楽しんでいることや母の好きな畑仕事を見習って私がおっちゃんと一緒にして
いることの報告をしている時が一番嬉しそうにしていたと今では思う
「お前たちは一緒の趣味で幸せだなぁ~~」と何度も言われたことを思い出している

今度見舞いに行った時もしかしたら、すぐには私のことがわからないかもしれない。
10分だけの面会時間では思い出してもらうには短かすぎる
願わくは、娘の顔を見てすぐにわかってしっかりと抱き合いたいものだ
そして残された母の余生が出来る限り心穏やかでありますように・・と心から願っている

実家のすぐ近くの海に沈む夕日・・・綺麗だけど、胸がギューッてなる・・・





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最終更新日  2024.11.19 06:00:10
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