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もう4年ぐらい闘病生活を続けているうちのオヤジ。
以前は入退院を繰り返していたが、ここ最近はすっかり病院の住民だ。 団体部屋だと落ち着かないという理由から個室へ。 お袋が泊り込みで看病しているため、 わずか4畳半のスペースが2人の日常の場となっている。 オヤジの病名は「ガン」。 もとは前立腺で発見したときには骨に転移していた。 それでも一時は良くなり、「ガンが無くなったかもしれない」という状態までなった。 しかしガンというものは恐ろしくスピードが早い。 わずかな気の緩みを狙い、一気に加速して蝕んでいく…そんな印象だ。 今では全身にまで広がってしまった。 もう完全に元の状態になる事はないらしい。 これからはこのガンとどこまで上手く付き合っていくかである。 ある事件を境に我が家の状況が一変した。 それは一時帰宅を許された今年の4月のこと。 ばあちゃんの四十九日の日が行われ、親戚が集まっていた。 オヤジの状態はいっこうに良くはならないが、 無理をしなければ家でも生活できる、まだそんな状況だった頃である。 四十九日の法要はオヤジを残して、残りのメンバーでやることになった。 すべてが終わり家に帰ると、オヤジだけを残した家の前に救急車が止まっていた。 これはあせる。本当に頭の中が真っ白になった。 みんなからは「動かないで寝ていろ」と言われていたのに、無理して歩いて転んでしまったようだ。 オヤジの場合、転んではいけなかった。 転ぶと簡単に骨折をしてしまうやわな体。 骨折をすれば当然その痛みもあるし、ガンの進行も早くなる。 まして場所によっては手術もできない…つまり寝たきりだ。 「自分は何でも出来る」というオヤジの油断から、起きてしまったこと。 本人も「しまった」という顔をしていたが、もう何もかもが遅い。 当然その日に病院へ戻ることになる。みんなを残して…。 そこから数ヶ月、オヤジは家に帰っていない。 骨折の手術はしたが、歩けるまでには至っていない。 痛みを和らげるための手術でしかなかった。 リハビリを繰り返す毎日。 オヤジの願いは、「家に帰りたい」ただそれだけだった。 そして7月10日。 2泊3日だがオヤジが家に帰ってきた。 お袋の看病と周りの人の協力、そしてオヤジの思いが通じたといえるだろう。 オヤジにとっては短い夏休みだ。 姉貴の家とうちの家族が集まって簡単なパーティ。 元気なオヤジはもう居ないが、それでも願いがかなっただけ、安らいだ顔をしていた。 よかった。 しかしホントに悔やまれる……誰か残ればよかったと。 今、戻れるならばあの日に戻りたい。本当にそう思う。 あと何回家に帰れるか分からないけれど、本人の希望することは全部かなえてあげたい。 何にもしなくていいから、長生きしてくれオヤジ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.07.13 20:11:38
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