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テーマ:おすすめアイドル(2584)
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山口真帆(やまぐち・まほ)さん暴行事件によるNGT(新潟)48の人気凋落や、AKB48の指原莉乃さんや乃木坂46の西野七瀬さんの両エースの卒業などで、平成から令和に変わる2019年は、アイドル界も大きく変化しつつあります。 特にNGT48のまほほん(山口真帆さん)の問題は、アイドルと運営のあり方の問題に大きな一石を投じたのではないかと思います。 運営の対処のまずさで、NGT48だけでなく、AKB48本体まで、大きな傷を負ってしまったような気がします。 NHKBSプレミアムで5年半放送されていた「AKB48SHOW]が、2019年3月で打ち切られたのも、NGT48と山口真帆さんの事件が影響しているのではないでしょうか。 ファンがアイドルに求めているニーズ「まっすぐで真っ白な心」を、NGT48の運営は見誤ったようですね。 (この話は別に機会を設けたいと思います。) そんな時代の変わり目のアイドル界で、「大阪出身女子たち」の活躍・話題が目立つので、「アイドルの坂道」でも、「令和にキュンする大阪女子」を何人か紹介してみたいと思います。 まず1回目は、口腔癌や食道がんなど「ガンと戦う1980年代アイドル」の堀ちえみさんです。 堀ちえみさんは、本名・尼子智栄美(旧姓・堀智栄美)さんで、1967(昭和42)年2月15日に大阪府堺市で生まれた52歳です。 1981年に第6回ホリプロスカウトキャラバンで優勝し、1982年に「潮風の少女」で歌手デビューして芸能界に入りました。 この年は、同期に小泉今日子さん、中森明菜さん、シブがき隊、松本伊代さん、石川秀美さんらがいて、「花の82年組」と言われました。 堀ちえみさんは、1982年に「日本レコード大賞新人賞」を受賞しましたが、彼女の名前を一躍、有名にしたのは、1983(昭和58)年にTBS系列で放送された「スチューワーデス物語」での演技でした。 ドラマの中での「教官!」「私はドジでまぬけな亀です。」は、1984年の新語・流行語大賞の大衆賞に選ばれ、その年のNHK紅白歌合戦にも出場しました。 しかし、1987(昭和62)年、二十歳で突然、芸能界を引退しホリプロを辞めました。 2年後、大阪の松竹芸能に所属して芸能活動を再開しました。 その年のうちに、外科医と結婚し、1990(平成2)年に長男の昂平(こうへい)さん、1992年に次男の健太(けんた)さん、1993年に叡弘(あきひろ)さんを生みました。 しかし、1999年に最初の御主人と離婚しました。 2000年5月に、雑誌社に勤める男性と二度目の結婚をし、2000年に楓季さん、2002年に彩月(さつき)さんという一男一女をもうけました。 2010年に2度目の離婚をし、2011年に一般男性の尼子勝紀さんと3度目の結婚をします。 尼子さんには、真由(まゆ)さんと尋紀(ひろき)さんという2人の連れ子がいたため、堀ちえみさんは、3回の結婚で5人の実子と2人の連れ子の、計7人の母となりました。 すごい大家族ですね。 <写真 堀ちえみさんの著書「堀ちえみをつくるもの」(講談社)> 2019年2月19日、堀ちえみさんは、自身のブログでステージ4の口腔癌であることを公開しました。 そして、2019年2月22日には、舌の6割を切除し、太ももの組織を移植する大手術を受けました。 <以下2019年2月19日の堀ちえみさんのブログ「hori-day」より(抜粋)> 「私、堀ちえみは口腔癌と診断されました。 ステージは4です。 かなり厳しい状況です。 『自分の人生、悔いなし。 このまま治療せずに、自分の人生を閉じてもいいのかな。』 と、正直、そういうことも考えました。 闘いもせずに、諦めて良いのだろうか。 主人と子供たち 家族の為に 私はまだ生きなければならない。 そう気持ちを切り替えて 長く辛い闘病に チャレンジする事を決意しました。 ただ前だけを向いて、 ポジティブに生きていこうと。 私は負けません。 力いっぱい闘って、 必ず戻って来ます。 そして再びファンの皆様の前で、 歌が歌えるようになりたい。」
こうして、堀ちえみさんの闘病生活が始まり、2019(令和元)年5月3日現在、堀ちえみさんは家族とともに、元気(?)に病気と戦っています。 「どじでまぬけな亀」のように、時間をかけてもいいから病気に勝って、全快されることを願っています! 大映1テレビドラマシリーズ:スチュワーデス物語DVD-BOX 前編 [ 堀ちえみ ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.05.05 12:02:11
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