葬り。
丸14年飼っていた実家のダルメシアンが病に倒れてから1週間。今朝、朝5時半に母が見守る中、大きく体をそらし、頭を7回縦に振り、そのまま目を閉じた。キレイな模様で、ぶっさいくな柄のダルが多い中、本当にCMに出てきそうなくらいのキレイな犬だった。が、しかし、愛すべきバカで、どうしようもなかった。逃亡癖があり、帰ってくるならまだしも迷子になり、さらには車にはねられ見知らぬ人の介護をうけたこともあったほど、そしてそれを繰り返すほどにバカだった。道沿いで、犬を見つけると、さも、申し訳なさそうに目線を合わせないのだ。バカが一週回って、賢かった。目線を合わせない犬を私は何度も車に乗せ連れ帰った。実家のかわら屋根に似合わず、高貴な犬だったな。病に倒れ、母と妹二人が懸命に看病したが、飼い主である、弟を待ち続けたんだろう。一週間前に倒れ、旦那の友人の獣医に見てもらったがその時点で「今モルヒネを打った、あと3~4時間だろう」という予測を大幅に翻し、一週間、耐えに耐え、そして待って待っていた。ご近所さんも気になるのか、毎日うちの塀の前でウロウロしてる。おばあちゃんとおばさん二人。。みんなになついていた。天敵は郵便バイク。犬という生き物は本当に従順であるなぁと感心する。飼い主は今18歳になる弟が4つのときに保育園の先生からもらってきたのだ。今、弟は近くにいない。犬は待ち続け、もう一人で立てない日々をすごし、手さえ動かせないで、横たわっていた。ひたすらに弟を待っていた。食べてさえくれれば、このまま家族で介護しながら、そうやってでも生きて欲しかった。でも、もう口にすることもなく、母がひたすらにコーンスープやら栄養のあるものを与え、ひたすらに生き伸ばした。私はその間、そして今も、あってはいない。そのありかたに疑問を感じたからで。獣医から今夜が峠といわれたとき、そのまま苦しまず逝くのならと思った。末期になり、いよいよというとき、人間はどうにかして生き伸ばそうとする。私はそれはすなわち、人間のエゴとしか捉えられない。愛するがゆえ、生きて欲しいと願うのは正論だ。でも生き伸ばされて苦しむのでは・・と私は葛藤する。私が代わりなら?昼夜を問わず激痛と堪えるのだ。出来ない。そんなジレンマがあって、ずっと会えないでいた。母と妹たちは私と弟の写真を微動だにしない横たわる犬の目線に飾った。誰も来ないのに、犬は、犬は。。。。写真を見据え、尻尾をふるのだ。楽しそうに。第一関節さえまげられず、手さえも動かず、それでも唯一うごく尻尾をさも、楽しげに降るのだ。写真をみて。弟に連絡したが、わけあってどうしても来れず。弟はものすごく会えないことを悔やみ泣いたそうだ。明け方、なくなったとき、母が重さ20キロ以上ある犬を抱えて表へ出た。プライドがあるから、トイレさえ部屋のなかでしない。が、用を済ませることなく、犬は大きく反り返り、薄暗い明け方、何度も頭を立てに振った。三度目で母は「ありがとうって言ってると確信した」そう思った矢先、7度目に頭を振って、そのまま目を閉じた。今日は火葬をしに妹たちが手配し、大型犬なので火葬に3~4時間かかるという。その間、妹は母を連れ、マックに行ったそうだ。妹は火葬の間、食事を取ろうとしたが、胸がつまって食べれなかった。そうすると、母が「いいよ、残したら。残ったのjは持って帰って、サムにやるから。」妹は絶句した。母は外食の際にでもおいしく頂いたもの、食べきれなかったものを必ず犬に持って帰った。暖めなおし、犬はおいしそうに食べるのを喜んでみていた。妹の絶句した顔を見て母はわれにかえり、そして、日常から今日はとてもかけ離れた日なのだと思い出した。西原近くのマックで号泣してる親子はうちの母と妹です。笑火葬が終わり、骨を拾う際、骨があまりにもきれいにのこっていて。虫歯もなく、大きな体で。すべての骨を骨壷に入れたそうだ。係りの人が「灰はどうしますか?まく所がありますが、そちらにまかれますか?」と聞いてくれたのだが、三女はキレイに、台の全ての四隅をかき集め、そして持ち帰ってきた。ひたすら無言で。「お盆に帰ってこられないでしょっ!バラバラだったら!」と泣いたそうだ。のちに。愛されて愛されて、そうやって死んでいった犬はサムといいます。享年14歳でした。長々とありがとうございました。