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そう、今日はみんな大好きな給料日。世の中の銀行とコンビニATMは混雑する。
私もサラリ-マンのハシクレとして様々な思いで毎月この日を迎えてきた。 ある時は、財布に3ケタしか残ってなく昼メシもままならない時もあった。それは 単なる浪費が原因なので自業自得。またある時は、昇給した翌月の額が気になったり、 いつもより支給額が多かったので、なぜかと思えば6ヶ月に一度の通勤定期代が入って いただけのヌカ喜びであったり、ボ-ナスのインパクトで残高のケタが変わっていて、 束の間成金になったり…。 サラリ-マンである限り、安定した収入が望めるので自分の計画次第で家なんか買ってしまう人 もいる。この前大学時代の同期達とお盆に集まったのだが、話題は家を買っただの、再婚した だの子供がまた生まれただの、総じて立派なパパというかオッサンチックなものが主だった。 話はソレるが、確かに結婚して子供生んで家買ってっていう幸せの方程式は存在する。 でも、勝手な思いだが、それだけで果たして幸せであるといえるのであろうか? 今の私の答えは「uncertain」である。 確かに、過去といっても大学を出てから4~5年後までは、私もそんな方程式が唯一の幸せの 近道であると信じていた。しかし、今は単なるヒネクレで、それが実現できなかった経験がある だけかも知れないが、どうしてもそんな方程式に当てはめて考えられなくなっている。 幸せとは? と今聞かれると、答えはひとつに絞れない。歳を重ねるにしたがって、その意義は 多様化し、複雑化し、その一方でシンプルに健康であればそれだけで幸せなんだとかと思う時期 も存在する。そしてまた、素晴らしい出会いがあって恋に落ちるかも知れない。(コレは妄想) だた、思う事は、結婚・子供・家などの「形のある幸せ」よりも、今は「精神的な幸せ」の方が 本当は重要なのだとシミジミ思うのである。 結局何が言いたいのかよく分からんが、現在バツイチで、実家に寄生する独身貴族の私にとって、 自由に使えるお金を目の前にして、給料日というこの日に、ATMの長い行列に並びながら、改めて 幸せとは何ぞや?といろいろ考えさされた一日であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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