地名を調べると、面白い。
から摂津、河内、和泉の3つの国の境(さかい)がある地域を指して、「堺」(さかい)。堺市にある方違神社は、三国山(三国ヶ丘)にあって、3つの国のいずれにも属さない地(方位のない地)であることが由来だとか?地名につく「塚」は、「放る(捨てる)場所」、風葬=「墓」、を意味することが多い。貝塚は、貝殻を放る(=捨てた)場所。塚口は、御願塚古墳の入り口近くに位置する地域という由来。「谷」は、東日本では「ヤ」、西日本では「タニ」と読むことが多い。四谷、市ヶ谷、渋谷、越谷、熊谷、岡谷・・・、確かに東日本は「ヤ」と読むのが多い。大阪や兵庫の、谷町、滝谷、押部谷、池谷・・・などは、確かに「タニ」と読む。苗字の「渋谷」も、東日本では「シブヤ」、西日本では「シブタニ」と読む傾向が??ウチの近所の「渋谷」さんは「シブヤ」さんではなく「シブタニ」さんだ。「××町」の「町」も、東日本は「マチ」、西日本は「チョウ」と読む傾向がある。あくまで、傾向だ。大阪の道修町は、「どしょうマチ」と読むから。世田谷区や能代市の「上町」は「カミマチ」と読んで、大阪市の「上町」を「ウエマチ」と読む。「上」を「カミ」「カム」「カン」と読ませる町と「ウエ」と読ませる町には、それぞれ何かの由来がありそう・・・。大阪市の丁目は、大阪城を中心にして配番され、大阪城の北側へ延びていく「天神橋」は、大阪城に近い南側から順に1丁目、2丁目、・・・・となっていて、大阪城の南側へ延びていく「谷町」は、大阪城に近い北側から1丁目、2丁目・・・となっているし、大阪城の西側へ延びていく「道修町」「瓦町」等は、大阪城に近い東側から1丁目、2丁目・・・となっている。大阪城の東側地域は、低湿地帯で街区形成が遅れたため、この配番方法が適用されていない。「神戸」は中央政府によって「神」社に寄せられた封「戸」のことで、神戸市の「神戸」は、生田神社の社領であったことが由来。なお、「戸」は家族の集合体のこと。生田神社は、最初は、布引の滝がある布引山のほうにあったが、西暦799年の布引で洪水氾濫があったときに、現在地へ遷移。灘の宮水は、背後の六甲山の大部分がミネラルの多い花崗岩からなっていて、表層も適度な風化により砂状になっていて、雨水がろ過されるうちにミネラルも溶け込んで、神戸港を利用する船乗りの間では、「赤道を超えても腐りにくい水」として人気だったとか。今でも、三宮の近くの水くみ場の水は、「常温未開封なら5年間は腐らない」というウリ文句で、災害時保存用水(?)として販売されてますな。「灘」の由来は不明だが、玄海灘、五島灘、天草灘、日向灘、熊野灘、遠州灘、天竜灘、相模灘、鹿島灘など椰子の実みたいなイメージで、大陸側からの渡来系の人が漂着定住した地域を意味しているのかもしれない。 ※ んでもって、 だいたい古くからある有名な神社がセットになってるんじゃないかというのは、 広げすぎ? 瀬戸内海に、伊予灘、安芸灘、燧灘、水島灘、備後灘、播磨灘など灘と呼ぶ地域が多いのは、大陸系の人たちとの海上交易ルートだったからでは?そうであるなら、灘が、西日本もしくは太平洋側に多くて、北日本、日本海側には少ないのも分からないことはない。