昨日は母方のおばあちゃんの命日でした。
亡くなってもう丸五年が過ぎました。
叔父さんと2人暮らしだったおばあちゃん。
玄関に新聞を取りに行こうとして転び、大怪我をして入院。
そのまま寝たきりになって、入院して半年で亡くなりました。
おばあちゃんの家から病院までは大きな橋を渡っていきます。
救急車で病院へ運ばれる時、まさかこの橋をもう生きては渡って戻れない事、
おばあちゃんだって想像もしていなかったでしょう。
92歳まで病気ひとつしたことがなくて元気だったから、
おばあちゃんが病院のベッドに横になり動けなくなり、
だんだん痴呆症状も出てくるのを見るのは本当につらかったです。
学生時代の1年間、私は母とおばあちゃんの家に住んでいました。
父親が単身赴任をしていたので、高校の近かったおばちゃんの家にお世話になりました。
学校から帰ると、毎日昔のおやつを手作りしていてくれました。
小麦粉と卵と砂糖で作るおやきのようなものが、中でも私は大好きで、
おばちゃんが亡くなった後、自分でも作ってみたけれど、
どうしても同じ味にならないんですよね。
もう一度、食べたいなぁ、といつも思います。
おばあちゃんの看病にもついていたので、最期も看取りました。
叔父さんと二人、静かに旅立つおばあちゃんの手を握り締めました。
「人のことは決して悪く言ったらいけない。
噂話をしたその場にいるだけで、自分は言わなくても同じにされるんだよ。
いつでも誠実に生きないといけないよ。忘れちゃいかんよ。」
この言葉がおばあちゃんの口癖でした。
そういって私の顔を、小さな子供をなだめる様に見るおばあちゃんの顔。
今でも忘れられません。
おばあちゃんが亡くなってから、決して忘れないと思っていたのに、
思い出も面影もどんどん薄れて、、
日常生活の繰り返しの中、私は自分の生活に必死で
おばあちゃんの事もほとんど思い出さなくなりました。
あんなにいつも覚えとくからね、と思っていたのに。
仏壇に手を合わせる時、「ごめんね」とあやまります。
そして、「頑張るから心配しないでね、大丈夫だよ」と新たに誓います。
おばあちゃんが亡くなってから私は親になり、沢山の事を経験させてもらっています。
命の尊さ、親への感謝も、おばあちゃんが身を挺して教えてくれたのかもしれません。
まだまだ必死な私ですが、おばあちゃんの命日には少しだけ立ち止まり、
おばあちゃんの言葉を思い出し、自分の毎日を振り返ることが出来ます。
結婚が決まった時、
「ゆき、幸せにね」って言ってくれたおばあちゃんの笑顔を思い出し、
また頑張ろうと思うのです。
亡くなった人への思いが、
今自分の周りにいてくれる方への思いにつながるような気がします。
ああしてあげれば良かったという後悔もあります。
同じ位、楽しかった思いや学んだ事も沢山あり、
命日を通して、その事を思い出します。
後悔したことは、大切な人へ繰り返さないよう、
学んだことは、自分の子供達へつなげていけるような大人へなれるよう、
そんな事を思います。
愛しき人。
私の場合は、おばあちゃん。
まだまだ走り続けている私だけど、頑張るからね。
おじいちゃんとゆっくりお茶でも飲みながら、見守っていてね。
そう思いながら、手をあわせます。