GWの旅行は息子のために計画したものでしたが、
行き先が決まったとき、私もどうしても行ってみたい場所がありました。
塩屋埼灯台(しおやさきとうだい)
地上高: 27.32メートル
海面高: 76.72メートル
光 度: 440,000カンデラ
光達距離: 22.0海里(40.7キロメートル)
初点灯: 明治32年12月15日
灯台は昔から好きで、旅行に行くとその土地の灯台を見に行っています。
本も持っているのですが(かなりマニアックですね^^;)、
それに掲載されていた塩屋埼灯台もとても美しくて、ぜひ観てみたいと思いました。
どうせ観るならとこの灯台の歴史を調べてみて、行ってみたい気持ちは強くなりました。
この灯台にまつわるお話をいくつかご紹介します。
まず最近でいえば、美空ひばりさんの名曲『みだれ髪』のモチーフとなった灯台です。
現在は歌碑も立てられ、それに近づくと歌が流れてきます。
それから、燈台守の半生を描いた映画、『喜びも悲しみも幾歳月』。
この映画は、当時の塩屋埼灯台長の夫人、田中きよさんが雑誌に寄稿した手記、
「海を守る夫とともに20年」の作品をモデルとしたものだそうです。
この記念碑も、現地にしっかりと建立されてありました。
こちらは以前TVでも特集があったので、記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
白亜の灯台、地元では豊間の灯台とも呼ばれ親しまれてきたそうです。
面白い話では、昔この付近には大蛇が住んでいて灯台職員も目撃したと語り継がれているとか☆
調べて色々と情報が見えてきたのですが、その中で心に留まったことがあります。
いわき市のHPや、海保のHPに載っていた記事なのですが、抜粋して書きます。
塩屋埼灯台は、明治32年12月15日、初代塩屋埼灯台が誕生。
この近海は昔から航海の難所と呼ばれ遭難船が多かったために建立されたそうです。
昭和13年11月5日、福島県北方沖を震源とする地震のためレンズは大破。
灯塔にも亀裂が多数生じたことから、安全策をとり爆薬により取り壊された。
昭和15年3月30日に震災復旧工事完了。2代目塩屋埼灯台が完成した。
しかし太平洋戦争に巻き込まれる。
昭和20年6月5日爆撃機によりレンズ大破。
同年8月10日には艦載機の攻撃を受け、21才の若い灯台職員1名が殉職を遂げた。
これは終戦の僅か5日前の事だった。
完全復旧は昭和22年5月5日。
戦争時の弾丸の後は、今も天井に残ると言う。
このような歴史を読み、美しい灯台に潜んだ様々な歴史を体感してみたいと思いました。
長時間はいられませんでしたが、想いかなって二日目に寄る事が出来ました。
☆ 周辺全景写真 ☆
☆ 山を登り始めます ☆
☆ こんなに登ってきました☆
☆ 灯台が見えてきた!! ☆
☆ 3分程階段を登って到着 ☆
『白亜の灯台』です。
☆ 色々な展示もしてあり・・・☆
☆ パネルにはうみ丸くん、海保の紹介もありました ☆
灯台内部に入り、延々と続く階段をひたすら上がっていきます。
頂上に到達すると、そこにはまだ階段が伸びていました。
ここを登りお仕事をされいた方がいらっしゃると思うと、なんだか胸が熱くなりました。
そして、これがレンズです。
このレンズを通した光が、航行する船、港へ戻る船、
多くの人々を愛する人の下へと導いてきたのです。
外へ出るといわきの美しい海が果てしなく広がっていました。
下まで透き通って見えるくらい、きれいな海でした。
吹き付ける豪風の中でこの景色を見ていたら、なんだか無性に切なくなりました。
見てみたいと思った弾丸根は探すことが出来ませんでした。
平和、その尊さを感じました。来て良かったです。。