瞳はダイアモンドの魔力
日曜日の昼下がりだった。最近の脳年齢の退行により、何がトリガーになったのかさえも定かではないが、パソコンに向かい、ハートのイアリングについてむさぼるように調査を始めていたのだった。クラシック調のイントロが今、鮮明に蘇る。『ペイブメント』このフレーズを、一生のうちに何度使うというのだろうか、少々疑問に感じてしまったのは年月を経たR35の邪心というものだ。が、しかし、佐野元春作曲という斬新さも相まって、走馬灯の様に流れる粋なメロディーに合わせ、思わず熱唱したことは言うまでもなかった。お決まりのにぎりこぶしマイク+時折目をつむるというパフォーマンスでひとしきり歌い上げたのち、沸き上がるメランコリックな気持ちを抑える事は出来なくなってしまった私は、2007年現在、欠かす事の出来ない調査媒体『ニコニコ動画』サイトをまたしてもむさぼるように叩き開いた。そこで出会ったのが、いや、もちろんこの場合『再会』であるのは間違いないが、美しくも軽々と歌い上げられている『瞳はダイアモンド』だったのだ!あーいしてたぁあってぇぇ~、い、わぁ、な、いぃでぇ~。(ふぉんふぉんふぉんふぉん、ふぉんふぉんふぉんふぉん)おおお~~!懐かしいという言葉一つでは方付けられない、時空のエネルギーにまさに引き込まれた!ニコニコ画面にも『神』(ニコニコサイトでは、この『神』という表現が常。初心者の私は未だ使用をはばかられている状態)というコメントが何度もスクロールされるように、せつなく透明感のある高音領域には、対象不明ながら大粒の涙を不覚にも、いや、確信犯的に流した。『時の流れが傷つけても傷つかない心は小さなダイアモンド』木漏れ日が差し込むマンションの一室でありもしない星空を見上げた。歌いたい。大声で。松田聖子ではなく、私が歌う!この半ば半狂乱的な衝動のままにチェル子と双子を夫に託し、偶然にも歩いて三分という好都合な立地条件にあるシダックスへと急ぎ足で向かったのは、持ち合わせた行動力の為か、はたまた『逃亡』か。とにかくも俗世間のしがらみを振りほどいて、一心不乱にシダックスへと走った。そして、もちろんキー2プラス(原曲キー)で気の済むまま歌い上げ、一人入室の申し訳なさに頼んだコーヒーフロートをたいらげ、すっきりと家路についたのだった。終わった。一体なんだったのか。超特急で駆け抜けた日曜日のひとときに、説明の出来ない安堵感に包まれた私は、再び現実の世界へと帰って行った。そこには、夫にも穏やかに笑いかける(ことのできる)私がいた。これこそが一番の収穫だったのかもしれない。