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2023/10/20
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カテゴリ:小説
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 佐伯の港や魚市場を一通り見学した海野と荻野は、漁を終えた西さん達親子の『大宝丸』の甲板清掃などを手伝った。海野ら2人はまだ、『大宝丸』の機関の手入れや、細かい用事や報告のために、漁業組合に戻らねばならない西さんらと別れて、再び佐伯の町を散策しながら、皆の帰りを待つ西さん一家の屋敷へと歩いてた。 

 「悪蔵。般若って船で話したよな、覚えてるか?」
  港から、カモメの声が、賑やかに聞こえて来る小路をゆっくりと歩きながら、海野が荻野を   「悪蔵」と言うあだ名で呼ぶ。
 「ええ、見えないものを見通すっていう、気合いでしたっけ?」
 「まあ、そんなとこだが。なあ、どうかな。今日、車で宮崎へいってみようか?」
 「宮崎の沿岸部の調査だってしなきゃいかんし。無論、海上もだが」海野が言う。
  海野が西さんに、気遣いをしているなと、荻野は察したが、「はい。行ってみなければならない所にはいきましょう」荻野が応じた。
 「どうせなら、行くべきから行くが一番!般若みたいに、何かが観透せるかもしれないし」
 「般若の智慧ですか・・。なんでも観見透す念力みたいな」と念を押す荻野。
 「うん。その、念力にも縋りたいよ。俺には、念力なんか無いが、海上ばかりが能でもないし」海野が、般若の面にかけて洒落た。
 
 海野には、自分の教え子で、今は同じ研究室で准教授を務める荻野が察した様に、漁や市場での作業、船の手入れ等と、未明から多忙な日々を送る、西さん一家への気遣いも無論あったが、車で宮崎へ向かい、調査の終わりの日、西さんに、宮崎まで「大宝丸」で迎えに来てもらい、「奇怪な謎の」体験をした海域を、それとほぼ同じ時刻に調査したいと言う考えもあり、調査の終わるまでは宮崎に宿を取り、滞在しようかと考えていた。
 「帰りは、助手一人で悪い気はするが、あいつに車で佐伯に帰ってもらい、俺達2人は西さんの『大宝丸』に乗せて貰おう」
 海野は助手に車の運転を任せる事にした。現場は是非とも自分の眼で確かめたかったのだ。(どうせなら、その『謎の黒くて巨大な生き物らしき』ものが現れてくれれば良いのに)

                         ☆

 その日の内に、海野達3人は、国道10号線をワゴン車で宮崎に向かった。宮崎の沿岸部の調査に10日を割く事にし、西さんの『大宝丸』が沖で遭遇した海域の沿岸を、5日ずつに分けて北部、南部と下る計画だ。
 西さんは、海野達による沿岸部の調査が済み次第、予定では11日後に、また船を出してくれる事を快諾してくれた。

 西さんの屋敷の玄関は、それだけでも、都会のマンション一部屋分がすっぽり入る位の広さである。代々が漁師の家と言うものは、どこでもそうだが、玄関が驚く程広くて、上がり框も清々と磨きこまれ、良い艶が出ている。立派な大魚の飾りものや、大きな宝船が目を引いた。
 海野はその、立派な玄関の天井付近の壁にふと、気を引かれて見上げると、そこには値打ちのありそうな能の面が、表を見張る様に掛けられていた。般若の面である。
 海野の視線に気が付いた西さんが言う。
 「ああ、般若の面ですか。この辺りでは玄関によく、魔除けに、こういうものを掛けて置きましてなあ。特に、般若の面は、災難や厄除けにもなると言われておりますからなあ。漁師は縁起を担ぎますもので」
 そして一言、ぽつりと付け加えた。
 「船の上では、命が掛かっておりますから・・」と言った。
 
 西さんの「宮崎の沿岸部には、岩場もあって危険ですから十分に気を付けて下さい」と言う言葉を受けながら、「いってらっしゃい!」と元気な、西さんの娘、麻衣さんの声が一際響いた。
 助手は、それに応じる様に、麻衣さんの方へ向き直って、手を振った。

 ワゴン車の運転を任された助手は、嬉し気に車を走らせている。クルマの好きな助手は、こう言う時、一段と張り切って、機嫌も良く、鼻歌まじりに宮崎への道を飛ばしている。上機嫌に運転席にいる助手を、後部座席から眺めていた荻野は、思い出したように言う。
 「先刻の、西さんの玄関もそうですが、先生。今朝も何か般若の事を話しましたよねえ」
 「般若の面か。あれは値打ちものだな。流石は西さんだ」と、助手席の海野が答える。
 「今日は朝から妙に、般若と縁が出来ましたね。」と、荻野が言った。
 「ほんとに、般若の智慧が欲しい位だなあ。なんでも観透せれば、どんな怪物だろうが、怖くないぞ」と、海野が言った。
 「なんでも観透せる眼力ですか。お面が魔除けにもなるとは、凄いですよねえ。あの睨み付けられるみたいな顔は・・」と荻野。
 「般若というのは、この世のものには無い、特殊な知力だからなあ。何でも分かるし、『謎の生き物』がいてもすぐに見付けられるだろうな」
 「念力みたいなものでしょう? 智慧って、気合いでしたっけ?」と、今度は助手が聞いた。
 「念力とも違う。言わばそうだな、この世の全ての本質を観透せる力、と言えば良いかなあ。
言葉の世界は棄て去って、本当の在り方を観る知力の事だな」と、海野が答える。
 「具体的に、その智慧って、どういうものなんですか?言葉では、分からないって言う事は」
 「インド古代から、伝統的にあった『ブラフマンへの帰一願望』が、仏教的に解釈されて、紀元後5世紀位迄の西域で、盛んに議論された事なんだが、その中に、俺達、俗人にも分かる様な、当時の、般若に関係のある記述が幾つか残されているよ」何時の間にか海野は、答えの中で、自身をも含めて俗人と言っているが、海野は寺院の生まれで、実際には住職の資格をもつ和尚なのだ。
 「たとえば?」荻野が興味ありげだ。
 「うん。一番具体的な例えは、死んだ様な状態とかな、酩酊して意識を失った様な状態とか」
 「え!酩酊とか、死んだような状態、ですか・・。分かりやすい気はしますが、死んだり、酩酊したりして、智慧が出るのですか?」荻野は戸惑った様子だ。
 「外見はそう見えて、そういう人は、意識や言葉で考えてはいない状態だから、そう言うのが、仏教的には、最も良い状態なのだとも、言われるよ。般若湯って言うだろう?」海野が可笑しそうに言った。
 海野はまた、重ねて言う「『大般若経』って言う、長い仏教経典には、人から見て、死んだようになった人は、言葉から離れた状態だから最上だ、とか、呼吸も止まり、体から分泌されるものが全くない人は最上だ、とか書かれてる。無論、俺の解釈で補った言い方だがな。こういう状態になったらもう、何をしたって、それは全て、最上の行為だ。仮令、悪事を為したとしても、それは正しい行いだ、という事も書かれている」
 「悪事を為しても正しいのですか?」荻野がまた、困惑している。
 「仏教的な見解から言えば、そうなのだと言う訳さ。だが、もう呼吸もしない人や、あらゆる生体反応が止まった人に、悪事は出来ないからねえ。眠ったような人、死んだ様な人、酩酊した様な人達は、言葉では何も判断しないから、仏教的見解からすれば、真実の状態に入ったと言う事になるんだ」海野が説明した。
 「そういう人達を、当時の仏教徒って、実際に見て言ってるんですか?」助手も興味津々である。
 「うん。そういう状態になった人たちの事を、きちんと観察していた形跡があるよ」海野が言う。
 「もしかすると、その人達って、修行でそうなったんですか?それとも何かもっと他に理由があるのでしょうか?」
 「無論、修行で身体も、ぼろぼろになった人達も観察されたろうし、『大般若経』と言う経典が書かれた時代には、仏教僧が儀礼によって、死に瀕した人たちに接触もしていたと考えられるからね。丁度、チベットの儀式みたいに遺体の前で、四十九日間、その魂が成仏するように、毎日お経を言い聞かせて導こうとする、あの様な事も行っていたんじゃあないかなあと思うよ」
 「すると、決してそう言う経典類は、想像だけで書かれたものでは無いんですね。」と、荻野の声が少し大きくなった。
 「実際に観察しなければ、当時、そういう経典も、学問の上での議論も出来なかっただろうなあ・・死者の枕辺でね」と、海野が答えた。
 「紀元前おそらく、4~5世紀位からは、インドで。紀元後5世紀頃には、西域と言われる辺りで、盛んにこう言う事が議論され、仏教徒には、論書と言われている学術書みたいなものに、これに関する記録が、山の様に残されているんだよ。その時代には『般若に該当する知力』が、次第に学術的な考察を加えられ、洗練された結果『無分別智』等とも、言われる様になる。『何物にも、分別判断を加えなくなった状態』だからこのように言うんだ。仏教徒が望むべき、最上の状態だね」と、海野が説明を重ねた。
 「ふ~ん。西域って、なんかロマンティックですねえ。トルキスタンやカザフスタン、アフガニスタンとか・・学問が盛んだったんですよねえ、仏教の遺跡や遺物の、貴重なものも沢山あるし。博物館で見た事がありました」と、荻野。
「その頃の慣習が一部、チベットに受け継がれたと言う事なんだと思うよ」海野が慎重に言葉を選んで言った。「俺達、俗人が使う、一般的な知識は、jnana・ジュニャーナ、般若はpra-jna、と原語では言うんだが、般若はこれの訳語だ、プラジュニャーというのさ」
 「プラジュニャーですか、なんとなく般若の音に似てるなあ・・音写ですか」と、荻野。 
 「うん。なんだか似てるだろう、音写はパーリーからさ。サンスクリット語より古くから使われていた。パンニャー (panna)を模したものだ。この2つの言語はよく似てるから、どちらでも良いんだがな」それに酩酊した様な状態は、今風に言うと、悟った人の様に見えると言うんだから、やっぱり酒は、大いに呑んで悟れと、お経が言ってるわけだ!」海野が急にお道化て見せる。「般若湯とは、よく言ったもんだよ!」

 「死んだり、判断分別の無くなった状態、酩酊して判断力を失った様な状態」と、何れも、今風に考えると、違和感を禁じ得ない様な事だが、実は、そういう人達を沢山見たり、観察を重ねたりして、古代のインド人達が、次第に『般若』(pra-jna)と言う概念を作ったのか。そして、それを更に洗練された概念にして行ったのが、2千年前の西域の人達か・・。海野先生は流石に和尚さんでもある人だ。酒を飲んでブラックアウトしたら悟れるのかな?などと、萩野や助手がそれぞれの胸の内で、海野博士から、今まで耳にした事も無い、般若と言う概念の詳細な解説を聞かされて、その実像を知らされ、多少混乱している間にも、車は国道10号線から高速に入ろうとしていた。
 
 助手が珍しく、高速道理に入ったのは、宮崎への道程が、高速道路を使ってさえ、海野には遠いものに感じられているのを察していたからである。
 一方、助手や荻野の2人には、思いもかけず、『般若』や、仏教の知識に親しむ機会となった。
 3人を乗せたワゴン車は、彼らそれぞれの思いも共に乗せて、道程を急いだ。

  この時、助手と荻野には、般若は未だ単に実体のない、朧げな仏教の言葉に過ぎなかった。
 『生物か何かさえ分からぬ、不気味なもの』もまた、捉え処も無く、霧の中に姿を隠していた。
  これから起きる、得体の知れない事象との遭遇など、彼らは想像もしてはいない。


 (続く) 

 註 )jnana・pra-jna・panna 何れも、n に、アヌスヴァーラを付す事。
 
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Last updated  2025/04/22 02:51:27 PM



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