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2024/07/26
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カテゴリ:小説




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 艦隊から離れ、その休暇を『タパス』で寛いでいた小沢治三郎は、午前中のテラスで皆とおしゃべりをしながらお茶を飲むのが大好きな、山本五十六がいないのを不審に思ったが、何となく思い当たるところがあってマドラ港まで来てみた。案の定そこに、戦艦『大和』の姿は無かった。南雲の旗艦『赤城』もまた姿を消していた。
 小沢の胸に暗い影が差した。何か得体の知れぬ胸騒ぎがして、ジッとしていられないのだ。つかみどころの無い何かだ、途轍もなく嫌なものの気配だ。
 小沢は総毛立った。この上無く意地の悪い眼差しが、こちらを見ている気配がするのだ。小沢の周囲だけが暗い影に覆われて、一瞬だが暗くなった気がした。
 
 港には海軍の将兵が大勢歩いているが、皆、連合艦隊参謀長、小沢治三郎の姿を見て恐れ入っている。
「おい、君。『大和』はどこだ?それに『赤城』は?」我に返った小沢が聞くと、士官の一人が、随分前に、二隻とも出て行きましたと、言う。山本が参謀長の小沢治三郎を置いて出航するとは一体、何が起きたと言うのだろう?そんなに慌てて出て行ったとすると、ただ事では無い。おまけに『赤城』もそれについて行ったとは。小沢は山本の意図が分からなかった。
悪意は山本をまんまと、おびき出した。悪意は、『信濃』を囮にして山本を虜にしたのだ。小沢はそれを知らない。今は『赤城』で追随した南雲だけが頼りだが、悪意はそれを見越していた。

『信濃』もまた混乱していた。山本はその混乱から『信濃』を救い出そうと、青年のために破傷風のワクチンを届けると、再度『信濃」へ引き返したのだった。悪意はそれを罠にした。
 古代のチベット人は、『全ての悪鬼は昼間でも判然と見える』という言葉を今に伝えている。
 悪鬼とは、悪意の人型である。化け物が横須賀の街を歩きまわっていたあの時もそうだが、悪鬼は昼夜を問わず人の目に見えていた。古代人の直観はいつでも何か真実を伝えているものなのである。今、『信濃』も『大和』も悪鬼に支配されていた。悪鬼は昼でも朝でも判然と目に見えていた。そして、時空の一部を「主客の別無き一元の世界」に化かし、乗員たちの理性を奪っていた。
 山本もその「一如の世界」に魅せられてしまった。それほどに、主客の別無き世界はこの上も無く心地が良かった。言葉が要らない思い通りの、いや何かを「思う必要さえ既に無い世界」は、煩わしい思考も行為も必要とせず、理想の儘の世界を現してくれるのだ。もう二元の世界に戻りたくない。それはあたかも、アヘン窟に身を沈めた者と同じ感覚だろう。何もかもが、どうでも良くなってしまうのだ。傍から見れば、そこに虜れた彼らは、狂人と変わらない。悪意の仕業で空間はゆがめられ、その海域だけが時空のアヘン窟になっているのだ。
 
 南雲の判断で『大和』と『信濃』から距離を置いている『赤城』からは、水平線上に『大和』の上部構造物だけが見えていた。南雲のいる海域は明るさを取り戻したが、水平線の向こうだけが暗かった。一元化された空間が影に覆われて見えていたのだ。

「スコールが降っているのとも違う、何とも変な影だね。まるで影絵みたいだよ」と南雲が言った。南雲の言葉の通り、水平線の上に見えている世界は、暗くて平面的な影絵のように見えていた。立体感がまるで無いのだ。
「あんなとこに偵察機は出せやあしませんねえ、長官」と、参謀長の草鹿少将が、わざと念を入れた。南雲が偵察機を出そうかと、言う前に草鹿はそれを抑えたのだ。南雲もそれを察した。
「まあ、止めて置こうか」
「信号だって届くかどうかわかりませんね、なんか嫌な気がして・・・。ここは暫くこのまま距離を置いて、様子を見た方が・・」
「そうだな。下手に動いたら、こっちまで、おかしなことに巻き込まれかねないからな」
 南雲の部隊からも信号一つ出される事は無く、ただ様子を見ているしか無かった。
「今度はなんだか、薄気味が悪いなあ・・」
 今度の事象は、急な時空間移動と言う類では済まない気味の悪さがある。軍人の勘どころで南雲も草鹿も「何かが変だ」と感じていた。
 今さらながら彼らには、もっと心強い味方が欲しかった。今この海域でまともな艦は、南雲の空母『赤城』だけなのだ。



 マドラ港には空母や戦艦群と、それを支援する各種艦艇が山ほど停泊している。だが、これらの艦艇を再編成しなければ、使い勝手が悪いなと、小沢は感じた。山本長官に断りも無くそんな事を出来る訳は無い、ともかく長官の無事を確かめなければ。小沢治三郎は水雷の専門家だ。魚雷や爆雷の戦闘に通じていた。山本五十六の参謀長を離れれば、小沢にとって頼りになる艦は巡洋艦や駆逐艦である。小沢の目には巡洋艦『筑摩』『愛宕』『利根』『木曽』の他、駆逐艦が数隻見えている。目ぼしい艦はこれらで十分だ。水雷戦を得意とする艦隊を編成したい、あの中で最先任の艦長は『愛宕』の鹿賀喜平艦長だったな、と小沢は考え、そこにあったボートに乗り込むと、自ら漕いで『愛宕』に向かった。



 ボートが一艘こちらに向かって来るのが見える。漕ぎ手だけで他には誰も乗っていない。
漕ぎ手は背中を向けているから分からないが、士官らしい。『愛宕』の艦橋から明らかにこちらに向かうボートであると認識した当直士官は、すぐにこれを受け入れる用意をした。こちらの呼びかけにボートの漕ぎ手が背中を向けたまま、応じている声がする。やがて接舷したボートの漕ぎ手がラッタルを登るのを見た当直士官が兵を従えてこれを待った。甲板から見て、その士官が高級将校である事が分かると、当直士官は緊張した。肩章を見れば海軍中将では無いか!!
当直士官が「敬礼!」と言うか言わぬかの間に、その将校はラッタルを登りながら気さくに話しかけて来た。

「いやいや、そのままで宜しい。突然で済まんが艦長はおるか?」
「はい!ご案内します!」
 話しは早かった。
 艦長の鹿賀喜平大佐は在艦している。当直士官が小沢治三郎を艦橋に案内してくれた。
 小沢治三郎を一目見た鹿賀大佐は驚いた。何の予告も無しに、山本五十六の参謀長を務めている小沢が来艦したのである。こんな事は滅多になかった。
「小沢閣下!!ど!どーしたんですか!!」鹿賀大佐が椅子から飛びあがった。小沢閣下と聞いて、艦橋にいた全員も飛び上がった。連合艦隊参謀長の来艦は、それほどの重大事なのだ。
「いやあ、済まん!!私の思い付きでねえ!ちいと、相談に乗ってもらいたかったんだよ」
従兵にコーヒーを持って来させると鹿賀艦長は小沢治三郎に勧め、この趣を聞いた。

「なるほど、山本長官が・・。それは大事ですね、『大和』に乗ったままどこかにねえ。『赤城』もいないとなると、電文を送って様子を見ましょう。その返答次第で艦隊を編成しては?」
「水雷戦が得意な艦体を組みたいんだよ。僕は水雷屋だからね。捜索隊だから艦隊は中規模で良いと思うが」
「分かりました、早速編成してみましょう。でも閣下。艦隊に是非、空母をお加え下さい。空母は何かと使えますからね」

 小沢の発案で水雷戦闘と捜索任務を主とする艦隊が編成される事になった。念のため正規空母『翔鶴』と『瑞鶴』を編入する。空母二隻を入れるとなると、その支援のためにもう一つ艦隊を組むのと同じだ。それに航空参謀を任命しなければならないが、それには航空の専門家が必要だ。
 山本の座乗した『大和』とそれを追いかけた『赤城』は何を目的に出航したのだろう?小沢にはそれが分からなかった。青年の破傷風治療のためにワクチンを分けて貰いに『信濃』に赴いていた事を小沢がもし、知っていたら話は違っていただろう。だが、今や『信濃』も『大和』と同じく、暗い影の中にいた。その影はまるで影絵のようで立体感が無く、とても同じ時空のものとは思えなかった。何かおかしなプリズムが、空間を遮っているのだ。『赤城』の南雲や草鹿はそれに接近してはいけない事を直感で知った。自分たちの体験したのは時空間の移動だ。時空が一元化され、因果律の通用しない世界に入った事など無く、無論それを外から観察した事も無い。だが、彼らは長い海軍の経験で、無暗に危険な海域に飛び込んで行くような事はしない。用心のため『大和』と同じ様に、彼らもまた通信を封鎖していた。おかしな事象を引き起こす相手に対し、不用心に電波を出して自分の居場所を教えないのが基本だった。少なくとも自分のいる海域は明るさを取り戻している。南雲らはこの海域で、十分に距離を保ちながら『大和』の影を窺うしか他に、出来る事は無かった。『大和』が無事に戻れば佳し、若しも『大和』の影が消えた時には、直ちに港へ引き返し、これを報告しなければならない。
 南雲も草鹿もその少し沖にいる『信濃』に気が付いてはいなかった。そもそも山本が『信濃』を目指してやって来たことも・・。
 
 古代インドの社会で近現代の者達は、互いに確実な連絡法を持たないのだ。電話がある訳で無く、無論自動車も、便利な馬車も無い時代である。手紙を書く以外に連絡は自分で歩いて行くしかないのだ。緊急の場合などは互いがどこで、何をしているのかを報せる暇が無いのだ。その積み重ねが互いの行動に齟齬を来たしていた。
 小沢たちも今、山本や南雲たちが、何故この様な行動を起こしたのかを知らぬまま、マドラの港で新たな捜索艦体を編成しつつあった。敵は時空を操るだけで姿は見えないのだ。その操られた時空に二隻の近現代艦が虜になっている。南雲艦隊さえ下手をしたら捕らわれてしまうだろう。それとも悪意は他の理由でわざと、南雲たちをそのままにしているのかもしれない。が、その意図など分かるはずが無かった。誰も悪意しかない相手など、想像だにしないのだから。
 価値観の違う者同士が協力し合っていると都合が悪い。異なる角度から物を見て判断すれば可能性は広がるが、それが悪意には邪魔なのだ。悪意は海野たちと提督たちとを、切り離そうとしていた。海野も小沢や山本がいま、どこで何をしているかを全く知らずにいる。

 ハルゼイは気の合う仲間がいないのを寂しく思いながらも、皆が多忙なのだから、こればかりはと思って辛抱した。
 日本海軍は何かと忙しそうだが、ハルゼイたちアメリカ海軍は、一旦長い休暇だと言ったら滅多にそれを返上しようとはしない。しっかりと休暇を楽しんでいた。
 ハルゼイもまた、いつも皆でお茶を飲む、涼しい木陰で誰かしら、やって来るのを待っていた。
 青年が破傷風で高熱を出し、二人の医師はそれにかかりきりだ、古代のインドで破傷風になった青年が心配だった。海野もその手伝いを買って出ていた。ハルゼイはまだ何もこれらの事情を知らずにいるのだ。
 古代の社会に置かれた今、近現代の人間たちは、こうした連絡の不足や不徹底により、互いの意志疎通に支障が出ている事に気が付かずに、自分の目的だけを見て行動していた。仲間は誰一人、他の仲間の行動を知らないのだ。
 
 人間を絡め取ろうと、悪意は人の隙間につけ入った。人間は悪意に、何もかも見通されているのだ。全ては悪意の都合のままに動いていた。

 (続く)


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Last updated  2024/07/31 11:36:04 AM



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