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THE Zuisouroku

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2025/09/18
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カテゴリ:小説
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                     闇         



 超心理学者でこの道の専門家の神山がいないいま「祓いの儀式」は、米海軍で最高階級の従軍牧師、ノックス海軍大佐によって執り行われる事になった。
 山本の見たものが夢か、それとも本当の悪魔なのか?その悪魔の「計略」を見破っただけの事はあり、神学にも通じているノックス大佐は、悪魔学や超心理学、東洋思想への造詣も深く、イエールで心理学の博士号を得ていた。
 彼は米海軍に籍を置きながら幾つかの心理学系の学会に所属し、多くの論文を発表した研究実績のある人で、米海軍切っての最も実力ある心理学研究者の一人なのだった。海野もそのノックス大佐の研究者としての力量を聞き、ほっとその胸を撫で下ろした。
 神山がいない今、ノックス大佐と言う、唯一頼りに出来る灯明に出会う事が出来て、早くも救われた気がしている。
 山本はノックスに、忌憚無く悪魔と交わした「契約」の中身やその結ぶに至った経緯を話した。
小沢治三郎や宇垣纒、軍医長らと一緒に海野もそれを山本の脇で、共に聞いていた。
 話を聞いたノックスは山本の出会ったと言う「その者」が、人の心の隙を突く狡猾な手口によって「契約」を結ばせた成り行きなどから、それが間違いなく悪魔の所業に違いない事を確かめた。

「海野博士と小沢提督とがお話し下さったから良かった。山本提督。提督にも申し上げて置きますが、いまから一切、祈りを止めて頂きます。きっといまに提督の心にも、何がしか声が聞こえたり、聞こえる気がしたりするでしょう。その心の中から聞こえる一切の声を、完全に無視し切って下さい。そうしませんと提督の命が危ういどころか、ここにいる全員の命も危険にさらされる事になるのです。その声のどれかが絶対に悪魔の声に間違いありません。今度はどんな「計略」を用いて貴方に付け込むか、私もその予測は付きません。だから出来る事を全部行います。宜しいですね?」
 ノックスがかなりの覚悟でこう語ると山本も、それに対してひとつ「こくり!」と頷いて見せた。
 山本五十六もさすがにここは肝を据えてかからなければやられると、新たな覚悟を決めた。



「山本提督。これから何が起ころうと、何も無いのだと思い込むのです。私があなたにそう、暗示を掛けて、あなたをお守りします。それまでの間に、御心の準備をなさって下さい。」
 ノックスは、間もなく聖職者にとって最も危険な「祓い」の儀式に臨む事になる。軍人と言うよりも、いまは牧師としての顔になった彼が、山本にこう告げると部屋を出て行った。

 ノックス自身も身体的、心理的両方の準備をこれから完全に整えるとともに、助手を伴って改めてこの部屋に入り直さなければ「祓い」の儀式を始める事が出来ないのだ。
 儀式の進行次第は全て、全て決められた通りに運ばれなければならないからである。

「みんなも付き合わせることになってしまったが、周囲にいてくれる人の数が多いほど、陣を組む意味でも効果が上がると言うから、宜しく頼む。なあに!俺は敗けやあせんさ。俺の事よりも、みんな!儀式が終わるまでは何も祈ったりしてはいけないぞ。一切約束もせん。悪魔がいつなん時、付け込んで来るるかわからないんだからね。海野先生。特にあなたがいて下さる事は、たいへん心強い・・。ありがとう」
 こう言い終えると山本は、大手術を受ける前の患者さながらに、横たわった寝台の上で凝っと、その両の眼を静かに閉じた。

 山本たちがいる部屋の表には宵闇が囲んでいる。
 身を清める意味からも、山本は元よりこの儀式に立ち会う海野や小沢治三郎、ハルゼイに宇垣纒らも含め全員が、この日は昼間から食を断っていた。例えその日だけでも食を断つ事で、少しでも役に立てられればと、悪魔祓いに臨む一同は皆その身を浄めていたのだ。

 日本機動部隊の旗艦『赤城』の周囲はすでに闇で閉ざされ、真っ暗になっている。この夜、海に月明りは差してはおらず、時すでに魔が支配する時刻を迎えていた。
 海野は宮崎女子医大病院で、俄かに大声でうわを叫ぶようになった海野の助手、太洋に同じような「祓い」の儀式を試み、その憑いている者の正体を突き止めようとしていた時の神山を想った。
 おそらくノックス大佐もあの晩の神山と同じようにして、山本の憑き者が何であるか確かめようとするのだろう。
 あの時、大洋が眠りに落ちていた病室は、神山の始めた「祓い」の儀式が始まると、間を措かず急に冷たく無気味な空気に満たされた。多分これからノックス大佐が執り行うエクソシズムも、あれと同じなのだろう・・。この部屋にも、また山本の周囲にも、あの時と同じ無気味な空気が満ちるのだろうと想像した海野は反射的に「ゴクリ・・!」と、生唾を飲み込んだ。

 ノックス大佐はその時、別室で香を焚きながら、助手役を務める従軍牧師らと清めの儀式を執り行っていた。自分を含め助手役の牧師と三人が、今から共に力を合わせて狡猾極まる悪魔に立ち向かわなければならない。毛筋ほども油断は許されず、だれにも予測が付かぬ毛筋の一寸先には、正しく死が待ち受ける。立ち会うハルゼイや海野たちにも、儀式を執り行うノックス大佐たちの側にも、命の保証は全く無いのだ。この晩始まるこの戦いは、その闇が明けて尚打ち続くであろう、厳しさの極みを彼らに予想させるに十分だった。
 すでに軍服から着替え、法衣に身を包んだ三人の牧師たちは、いざその清めの儀式を終えて、今まさにその「魔」の待ち受ける戦場へと出て行く。
 ノックス大佐は他の二人の牧師に目で合図をし、物言わぬまま控えの間から、もはや十分な冷気で満たされた廊下へと出て行った。その冷たい空気は、そこがすでに尋常のものでは無く、禍々しい「魔」の支配するそれに代わっている事を、三人の牧師たちが感じ取るに十分であった。
 ノックスと他の牧師たちの右の腕には聖書があった。ノックスだけがそのもう片方の手で、香炉の長い柄を支えるように持った。左の手で支えられたその香炉からは煙が立ち上っている。ノックスたちをこの場から戦場に至るまで、守ってくれるのは、その立ち上る香の煙だけなのだ・・。

 牧師たちは香の煙に守られながら暗い廊下をゆっくりと静かに歩み行く。
 少しずつ慎重に、闇を切割きながら歩んでゆくその三人の従軍牧師を、恰も出迎えるが如くに突如、この巨艦の隅々にまで響き渡る、強い衝撃の音が鳴り響いた。それは山本五十六を見守ろうと集まっている海野や小沢、ハルゼイたちのいる部屋をも揺るがせていた。その轟音は海野であれ。勇敢な小沢やハルゼイであれ、その全員を無関係に脅かす「魔」からの挑戦であり、この巨艦全体に対する「魔」の洗礼だった。
 悪魔のもたらすその怒涛の絶叫が艦を揺らして鳴り響く中を、浄めるが如く僅かに立ち匂う、香の煙に導かれ、牧師たちだけが冷静に、かつ静かに、これから戦場へと姿を変えるであろうその修羅場へと近付いて行った。

「魔物」の大音声で海野はその時尻餅を突いていた。海野だけでは無い。その場の全員が恐怖でその身を凍らせ、固まってしまった。「なんかマズイい事になったのかっ!」と、海野が叫ぶ。その時、ドアが僅かに開かれて、その先に香の匂いが漂って来た。
 煙の周囲を精霊が守り、その場を「魔」から護る、それが香の力であった。香の力で空気が変わり、少しだけ軽やかになった。
 海野は両腕を後ろにしながら膝を立て、その方をふっと振り返って見た。鼻先に僅かな温かい空気を感じた気がする。
 きちんと向き直った海野はそこに、清らな聖なる力を感じた。白くて強い光の中に黒い影が差しているのが見えた。
 それは聖書と香炉を携え、法衣に護られた三人の牧師たちの姿だった。

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Last updated  2025/09/24 05:52:08 PM



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