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THE Zuisouroku

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2025/09/27
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カテゴリ:小説
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                    童心に返って
                 恰も少年探検隊のような・・?




 神山の寝ているベッドの横には、繰り返し起きる眩暈の為に、一時的に倒れた神山を見舞って高野井画伯が訪れていた。

「えっ?『赤城』に異変が起きっている?でも『赤城』は、ああして静かに浮かんでいるじゃあありませんか。高野井先生、異変って、一体それは、どーゆ~うこってす?!」
 高野井の言葉でその意味するところをよく理解出来なかった神山は、この『信濃』の窓外に見えている空母『赤城』の、泰然としている様子を確かめた上で、それを指で示しながら驚いて聞き直した。
 神山ら「凡人」の目から見れば『赤城』は、至って静かに見えていたのである。艦上に、とくに人影も見えず、今日の「赤城」は特にのんびりと『信濃』の向こうに浮かんでいるとしか見えないのだ。

 ときに、神山の体の具合は彼が考えているよりも思わしく無かった。周囲は皆、誠実で勤勉、温厚で穏やかな彼を慕っていた。そんな神山だからこそ皆は、彼が倒れたと聞いてそれを他人事とは思えずに、親身になって彼を心配してもいた。
 最近は特に頻々と眩暈が起こり、身体のどこかがおかしい、おかしいと、周囲からも言われながら、自分の身体にも心にも、嘘を吐きながら、無理をしいしい今日までそれを誤魔化して働いて来ていただけに、此処幾日間か、立て続けの眩暈の症状が現れて、さすがの神山も自分のその身体的な異変にようやっと気を遣わねばと考え始めたのだ。

 それだけに神山は焦っていた。いま舷窓の向こうに見えている『赤城』に残されている自分の仲間の内でも、海野の事は矢張り最も気掛かりであった。一刻も早く体調を整えて、皆の救助に向かいたい。
 若しこれが実現出来たら神山は、二度目の救助隊参加と言う事になるはずなのだ。神山の誠実な性格は、誰かを神秘学的な手法で守護すると言う、後方支援の役回りだけでは無く、転じて積極、自分で皆を助けに行くと言う役割もまた、ぴったりだった。
 どうか、くれぐれも自分だけを置いて『赤城』に向かわないで欲しい。身体を整え、必ず自分も参加するからと、艦長の橘や、特異な眼力でものの本質を見抜いてしまう高野井画伯にも、固く約束させた。

 神山自身はすぐ直る、すぐ直して見せると言うが、医師の見解はそれとは逆に、神山のいまの病状は「相当に長引きそう」か、若しくは、それが単に病と言うよりも「この障害とは、このまま付き合っていくしかない」のだと言うものだった。神山のその眩暈は、何らかの障害であると見なす医師もいたのである。

 その診立ての通り、症状としては第一には頻繁と続く眩暈だ。少し疲れただけなのに、何かと言えばすぐに眩暈がする。それが中々収まらずに一度始まると、幾日も続くのだった。こんどの救助隊編成では、出来得れば神山自らが隊長となって隊を率いて頂きたいと言う、橘艦長の申し出に、彼もその気になっている。何者か分からぬ力の作用に支配されている、大揺れに揺れる空母の中を探査し捜索するなど、まさに神山には相応しい役割だった。

 神山が一度目に救助隊に加わった時などは、十九世紀のロンドンがその舞台となった。危険な役割を帯びていたにも関わらず、神山はリージェント街のと、或るカッフェーで茶目っ気を発揮し、高級なそのカッフェーで、パッフェ―を6皿にサンドイッチを平らげて見せ、皆の人気者になって帰って来たほどなのだ、まさに『赤城』の内部を捜索するなど似合いの役回りである。

 神山には、橘が言う今度の救助隊編成での、彼に対する隊長への就任依頼は、子供の様にはしゃいで回りたいほど嬉しい出来事だった。
 こんな経緯で身体的な問題さえが無ければと、言う条件は付いたものの、神山の救助隊長就任の話は、こうしてほぼ確実になった。その日早速神山は、日本画家の高野井画伯から問題の「神の蒼い炎」に関して『赤城』の乗員救助の時に、それが関係して来る留意点や特記事項など、心得ておくべき大事な点についてアドヴァイスを受けたが、彼はすでにそれについてもまた興味津々だった。

 それは何せ、神が持つ「蒼い炎」なのだ。それは高野井の説明によれば、あらゆる魔を焼き尽くすと言う、至極強烈なものらしい。高野井画伯にはそれを直に見る眼力があるので、神山はその「蒼い炎」について現在病床にあっても、それを興味深く聞いて学んでいる。

 神山の専門分野の一つ、超心理学でもこれと似たものが登場するし、心霊の世界には、その種の「蒼い炎」や神秘の光は付きものだ。第一これまでの長い旅路で神山や海野も、また山本を始めとした海軍関係者たちもずうっと、旅路の間中ほとんどを、シヴァ神の出すそれによく似た、青白い柔らかな護りの光線のお世話になって来たでは無いか。
 然も今度は「神の発する蒼い炎」を、直に見る事が出来る高野井と共に皆を救助に行けるのだ。神山はどこにでも赴く覚悟であった。

 案の定、事は高野井が予想したように、自分は神山と言う「鬼」にとっての「金棒」の役目を果たす事になるわけだ。そう思う高野井にとってもまた、この救助計画の遂行は楽しみだった。
 何としてでも救助作戦に加わって見せる!医師たちの見解なんか、気にさえしなければ良いのだ。
 神山には、そんなに長く日を置かずに、自身が迷惑にならないだけの身体に戻れる自信あった。何がなんでも救助に加えてもらわなければ・・!

「失礼します!神山海将補殿、高野井先生」と、橘の声がした。
「はい!どうぞ」
 返事を待つまでも無く橘艦長がデッキに入って来た。そこにひとり、旧知の人物を伴って・・。

「御無沙汰をしておりました、神山先生!病院船の『氷川丸』の中で働いていた所が、私までこちらの世界に呼ばれて来ちゃったみたいで・・」
 そこに立っているのはなんと、臼杵の村上医師であった。古代のインドには相応しからぬインテリ然とした風貌の村上医師は、この古代世界を見て一目で気に入り浮き浮きとした表情で、神山に挨拶をした。
 臼杵では神山を手伝って、謎めいた未来の論文を必死で翻訳してくれたり、神山が怪異の事象のために倒れ込むたびに駆け付けてくれた。その頗る頼れる医師の村上が来てくれた!

 救助隊の編成に迷惑が掛からない様、村上先生には早速この眩暈の症状を診てもらいたい!神山はこう想いながら、この思いも掛けぬ幸運を、心の中で躍り上がって喜びたい衝動に駆られていた。

                       ※

「村上先生がお出でになったと言う事は、若しかすると村上先生の外にも、臼杵の人たちのどなたかもご一緒なのですか?」
 神山が聞いた。
「はい。『氷川丸』に、偶然乗り合わせていた、西さんの所の利見さんに、モロ君、そしてあの悪僧、月照寺に崖から落っことされた、吉太郎さんもいますよ」
「なんだって、利見君も?それは良い!弟の明太君や西さんもこの『信濃』にいるんだよ、早速にも会いに行けると良いねえ!」神山が言う。
 そして、特に拝み倒すような言い方で、村上にこう言った。
「あのねえ、村上先生・・。実は私もご覧の通り、軽い眩暈が続くのでここで一昨日から療養中なんですが、救助隊を率いてくれる様に頼まれています。それで先生に診て頂いてそのう・・。私の病状には問題は無いと、先生から太鼓判を押していただけないものでしょうか?そうすれば差s苦戦行動に差しさわりが出ずに済むので、如何でしょう、村上先生?」

「はい。私が診察をして差し上げるのは一向に構わないんですよ。今すぐに診て差し上げます。それで、神山先生にはどんなお具合ですか?」
 村上言葉は言葉通りに、すぐ診察に移る。
「痛みはありますか?それはなさそうだな・・」
「では軽い眩暈とおっしゃいますが、どの程度のものなんですか?今は眩暈を感じますか?」
 村上は慎重に神山の顔色を見ながら、ゆっくりと、一つずつ質問して行った。
 それに対して神山は「ええ。眩暈は時たまありますが、極くたまにです。急に動いたりしなければ全然・・。」と答える。
「動くと眩暈が出るんですか?いまさっき、救出作戦の隊長さんをなさるとおっしゃいましたが、そのう・・、一体どこへ、誰を救出にお出でになるんですか?激しく動いたりすると、眩暈だけでは済まなくなり兼ねませんし、第一危険ですから、私は止めざるを得なくなりますが・・」

「いえいえ、村上先生。どうという事もありませんので、ご覧ください!あの『赤城』に、ちょっとした閉じ込めが出てしまって、その連中ですよ。閉じ込められてる部屋から連れ出して来るだけなので、どうかご心配にはならずに」

 神山はこの『信濃』からも、大きな姿が見えている空母『赤城』を指して言った。
 その表の姿だけ見れば『赤城』はいつになく静かで、むしろそれは優雅にすら見えた。

「今は『赤城』の乗員たちも大方が休暇なので、あんなに静かなんですがね、間違いがあって、閉じ込められてしまったクルーが、どうにも出て来られなくなってしまいましてねえ。それで私どもに助けに行けと言う命令なんです・・。大したことではありませんから、すぐに戻れますし。お願いできませんか、先生?村上先生さえ、うんと頷いて下さったら、すぐにも彼らを助けに行けるんですよ」

 神山は事実にほんの少しだけ手を加えて、嘘にならないように、彼の任務をこのように説明した。
 他の医師たちに診せたら、絶対にダメだと言ったに違いない。

 村上医師は内心(やれやれ、まあ、仕方が無いか・・!)と、諦めムードで神山に、医師としてその作戦への参加を許可した。村上医師は、神山の言う事が、必ずしも事実ばかりでは無いと知ったが、神山の性格では作戦を止めさせたとしたら、そのショックからむしろまた、別な病や症状を起こし兼ねない。神山にも、言い出すと聞かない所があって、その、匙加減もあって村上医師は、自分も同行する事を前提で、その救助隊への参加を許したのだった。 

 眩暈の収まらない人を、程度の分からぬ救助活動に無条件で出て行かせては問題だ。村上の同行も、万が一の場合を考えての措置である。

 神山は橘にもこれを確認してもらい、内心では子供が冒険探検に出る時の様に、胸をワクワク・ウキウキさせながら、自ら隊の編成に掛かった。高野井画伯に意見を聞きながら、自分たちには認識出来無いところの「もの」の様子按配への留意と用意は、十分積んだつもりだ。
 高野井が言わば神山と二人で隊の露払いを務め、海野や山本、小沢に宇垣、ハルゼイらを救出の上、あの『赤城』を退去する事とした。

 この段階で神山はまだ、ノックス海軍大佐が悪魔への「祓いの式」を執り行っている事などは、全然知らずにいるのだ。

 艦長の橘は恐縮した。
 上官である神山海将補に、救助隊を編成してくれなどと依頼せず、本来自分が一線へと出ていかなければならなかった。それを敢えて神山へ依頼したのも、以前の神山が積んだ、似たような経験があったからだ。
 その時の神山は、半ば特攻隊としての覚悟を決めての救出劇へ向かったのだった。
 だが、存外それは、滑稽な勘違い、計算違いによって救われたのだ。今度も上手く事が運んでくれれば良いんだが、と橘は、運に賭けて見る事にしたのだ。もちろんそこには、僅かの懸念は感じられた。
 これは勝つしか他に答えの無い救出劇なのである。山本五十六や小沢治三郎と言う名将、ウイリアム・ハルゼイと言う猛将の命運がかかっているのだから。

                        ※

 この門を潜りし者、汝ら。すべての希望を棄て去りて、後顧に退路の途絶えしを見よ。
 汝ら、自らで招きたるそを憂いこそすれ、事ここに至りて嘆きの一句をも出す事を得じ。
 弱きを以てその罪と為し、汝ら、いま我が餌食となりしとも、そを悔やむ能わず。
 全て汝ら、望みてここに至りき。

 怒りだった・・。ハルゼイの強い怒りの衝動が、彼をしてただで置くはずは無かった。床を踏み鳴らし、辺りを所かまわず拳で殴りつけて、暴れに暴れたのは命取りであった。それが例え、口惜しさの為さしめた事とは言え、それこそが魔の望む餌なのである。ハルゼイと言う獲物がいままさに、魔の手中に落ちて、彼の初めの血と肉とを魔、クアタガラに供するところなのだ。
 魔クアタガラも、悪の堕天使に祈り、この久しぶりの餌食に巡り合えたことを感謝した。
 もうだれも、神の聖なる言葉を唱え祷る者とて無く、全員が極度の疲労の為に、ぐったりとその場に臥していた。事はあっけなく敗れたのである。怒りはそれこそが、悪魔の貪るところなのだ。
 それは、魔にとって最高の美食なのだ!

 空間論はトンチキなことばっかししやがる!
 ごろごろとした固い地面に臥しながらも海野は、いつもと同じように感じていた。大きな金属が地べたへ当たり、かっち~ん!!と極めて耳に付く音を立ててそこへ転がったのである・・。
 魔は堕天使への感謝と食前の祈りを止めて、反射的にそちらを見た。何かの立てる嫌な金属音のした方を探してみるが、何も落ちているものは無かった。ん~?変だぞお・・。と、魔がハルゼイをそのまま食膳に載せて椅子を立ち、丁寧にテーブルの下の、灰色の地面を探していた。魔人クアタガラの顔がその向かい側を覗き見た瞬間、海野は拾っておいた、真鍮で出来ているその大きな鍵を、右の手に握って投げた。「ほら!これだろ!くれてヤル!」と、言いながら海野は鍵を、その方向へと投げつけた。
 回転しながら飛んで行ったその大きなカギは、こちらに顔をのぞかせている魔人クアタガラの額を直撃して跳ね返り、そのまま出入り口のドアーの鍵穴に突き刺さった。

 同時に古めかしい木造のドアーはギーイーッ!!と、音を立てて大きく開くと、その先に黒い人影が幾つか見えている。
「海野さん!山本さん!」

 その声には聞き覚えがあったどころではない。聞き慣れた神山の声だ!

「海野さん!!ここですよ!!こっち!!」
 サーア―ッ!!と声のする方向を、強い明かりが照らした。海野だけでは無く全員がごろごろと、汚れた地べたに倒れたまま、気を失っているではないか!
 救助隊員の一人一人が駆け寄って、全員の安全を確保し、先頭に立っていた神山がハルゼイのところに走って来た。
 ハルゼイは、銀の大皿に寝かせられた上に、太いこん棒状の串が、しっかりとタコ糸で縛り付けられている。これではまるで、肉料理だ!
 恐怖のうめき声を上げながらハルゼイは、海野が自分を串から解放してくれるのを見ていた。

 「何てえ事、しやがるんだっ!!」

 腹に据えかねた神山は、クアタガラへ向けて、遠慮無しにこう怒鳴った。

「!いーいひっひっひ~いい!!」魔が、こんどは金切り声で笑い、自分の思うツボにはまった人間どもを見ては狂喜し、勝利を確信したらしく笑いが止まらない。
「い~いーっひっひっひーいいい!!」
 悪魔クアタガラの大きな笑い声が響いている中を、海野も立ちると神山の手を硬く握って救助の感謝を伝え、他の皆もクアタガラがあざ笑っている中で、それには構わずそれぞれに救助された喜びを、救助隊員らと分かち合っている。

 神山たち救助に向かった者たちは、もうそれ以上クアタガラには構わずに、疲れ切っている山本たちと海野を先に表へ出してから、隊員たちがそのドアを金具で硬く固定した。
 固定されたそのドアは、開けっ放しの状態だ。クアタガラがそれを見て、再度自分の勝利に酔いながら歓喜の笑いを発し、開放されているドアーに向かって歩み始めたその時、魔物は、何ものかの大きな力によって、地べたへとひねり倒され、圧されてプレスされたのと同じ状態になった。魔はそれでもまだ、ふにゃらふにゃらと蠢いていた。

 高野井は、クアタガラの命運がこの時尽きた事を悟って、それを神山に耳打ちした。
「これが前にお話しした、目に見えぬ大きな力ですよっ・・!!」(おそらくは神の・・)と、高野井の言葉がそこまで出掛かったが、彼は敢えてそこまでは言わずに止めた。
 然しもうすぐ、クアタガラを焼き尽くす神の蒼い炎が、まさにその頭に点じられる事になるだろう。
 背中を真ん中から抑え込まれて、虫けら同様のあがきを見せているクアタガラは、それでも顔だけを上げて、これから皆が去って行こうとする方向を見た。やがて、恨みの念に曇ったクアタガラの眼が、こちらに向いた。特に海野や神山を睨んでいるクアタガラの両の眼は充血し、眼球はいまにも飛び出して来そうな勢いだ。
 神山や海野たち助け出された全員は、取り囲む守護の光で護られていた。もうなんの心配もいらない、彼らの出て行こうとするドアの向こうには、シヴァ神の姿があった。



 シヴァ神の守護の雲が、絨毯のように薄く足元に広がって、皆を守護しながらドアーの方へと移動して行く。魔はそれを、血走らせた眼で追いかけていたが、皆と入れ違いに、抑え込まれたままの魔物の頭には、終に蒼い炎が点じられた。
 これからクアタガラをじっくりと、最期の脂ひとつ残さずにその冷たく蒼い光が焼き尽くそうとしている。しかし魔物は尚、あがきを止めなかった。
 高野井は無論、海野にも神山にも、その光景は見るに堪えないものである。
 クアタガラが神の蒼い炎に包まれてしまう前に、先の出入り口の、大きなドアーを完全に閉じてしまいたくて、高野井がそれをさっと!閉めようとしたその瞬間、部屋の中が急に、ジャングルの獣たちが一斉に声を上げているのと変わらぬ騒がしさでいっぱいになった。
 獣や鳥たちの鳴き声がしている。やがて、何が何だか分からぬその騒がしい鳴き声をつん裂いて、ギャーア~あ!!ーっ!・・!っと、叫ぶ者がいる。思わず顔を上げてそちらを見た海野と神山は、焼き尽くされて消滅して行くクアタガラの潰れかけた顔を見た。潰れた悪魔の顔の肉が焼かれている。顔の皮だけが残されて、もはや形骸となっている眼窩だけが、まだこちらを向いている。そこからも炎が出ていたが、やがてそれもしぼんで消える。最後の最後に残されるのは溶けた身体の脂だけだが、それさえもが更に焼かれて消えて行くのだ・・。
 灰色の地面には、燃え残った魔の死骸の溶け残った脂が今なお、めらめらと燃え続けている・・。
 神山も高野井も結局最後まで、生きながら焼かれる悪魔が、やがて溶け残った脂になってしまうまでの一部始終を、その場に立って見入る事になった。

「・・・。終りましたねえ、クアタガラも」
「ええ!やれやれと言ったところです、神山先生!高野井さん!来て下さってありがとう・・」
 海野は神山や高野井と並んで、尚もめらめらと気味悪く燃え残っている脂を見詰めていたが、神山ににこう言った。そして神山と高野井の肩をひとつ叩き、謝意を示した。

 空母『赤城』の艦内は魔に支配され、その艦体の一部は破損した。一番気の毒なのはこれで犠牲にされていた大勢の兵と下士官たちだ。クアタガラは貪欲にも山本を襲う前に、すでに彼ら兵と下士官たちを大勢殺していたのだった。悪魔に喰われた魂たちもまた二度とこの世界に転生しない。彼らの魂は、魔と共に消滅して消えたのである。

「輪廻に対して二つの見解があるんですよ。この兵隊たちのように、もう物質的な世界へは二度と返ってこないぞと、決意の上で滅してしまう方を選ぶ浄行者と、逆に輪廻を繰り返しながら幾度もこの世界に生まれて来たいと言う人が。高野井画伯ならどっちを選びますか?」
 神山は、この血みどろの戦いに辛勝した安堵感からふと、こんな事を聞いて見たくなっただけだった。が、高野井はこの質問を真面目に考え込んで、やがて「さあ・・。どうでしょうねえ?こういう凄まじいのを見てしまいましたからねえ。さすがにここまで物凄いのは初めて見ました・・」と、この場の感想だけを答えるのが、精いっぱいのようだった。
(無理は無い。誰だって同じだ・・。自分だってそんな気分なんだから・・)と、神山も思っていた。

 魔の身体が断末魔の叫びの後に、破裂してしぼみ、眼球と皮膚だけが地べたにへばり付いたまま残っている。その脂は最後まで溶け残り、こうしていま尚燃え続けている・・。自分も初めてだったが、あの高野井画伯も、さっきほどの生々しい魔の死骸は初めて見たらしく、向こうで一人ぼっちになりたがっているのが分かった。
 高野井は、いま見てしまったあの光景を、何とか心の中で落ち着かせ、こころの中を整理整頓したいのに違いなかった。皆が各々にあの戦いの後を思ったり振り返ったりして過ごしているところを、少し離れた所から眺めていたシヴァ神も、にこにこと笑顔であった。神山は自分に連れられて行った神域で、神々と一緒に茶を飲んでいた事など、すっかりと忘れている。それで良いんだ。神山に、神域は未だ速すぎだと、シヴァ神は思った。シヴァ神は、神山につきまとう「あいつ」の存在が気になったのだ。「あいつ」と呼ばれている者は、神山に対して全く良い気を持っていない。遭えばまた反発し合い傷つけあうだろう。ああ言う者は互いに離して置くに限るのだ。
 
 山本五十六は担架のまま、すぐさま救助ヘリで『信濃』へと搬送されて行き、小沢は宇垣と一緒に手擦りを背にしながら、こちらを向いて煙草を吸っている。

「ああ、凄かったな・・。」
「ええ、凄いものでした」
「ラテン語は教わらなくとも分かったよ」
「そうですね、私も忘れやあしません」

 小沢も宇垣も、海野や神山とヘリで『信濃』へ戻る。ともかく魔の一人目、クアタガラという者は間違いなく神の「蒼い炎」によって焼かれ、滅んだ。あのクアタガラが死滅した影響が、今後の時空間に何らかの影響もたらすのだろうか?考えてから神山は、この考えとその魔の名前を、丁寧にメモしておいた。成敗した魔の名を、一つ一つメモに取っておきさえすれば、今後の役にも立つだろう・・。そんな神山を海野と高野井が横から見ていた。
 大きなローターの音がしている。そうこうするうち迎えのヘリが彼らの真上でホバリングしていた。
 彼らにもヘリの迎えがやって来たのだ。


 村上医師は一足早く『信濃』に帰着して、山本と一緒にその医務室にいた。
 臼杵で知己になっている山本五十六の診療は、そのまま村上の担当に決まったのだ。
 (やれやれ、時空を移動した途端、またすぐこれか。)村上は運命と言うものが次から次と持って来る、様々の困難に対して、もう何も感じないようにしたかった。今はむしろ、こんな生活も楽しいものだと、それが気に入り始めていたのだった。

「さあ、山本さん!落ち着いて下さいねえ!臼杵でもお世話になりました村上です!!山本さん、またよろしく!!」
 こうして村上も、ひたすら山本の診療に当たるだけだった。
 クアタガラが去り、皆の日常は、少しだけ戻りつつあった。
 
 (続く)
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Last updated  2025/09/27 09:00:10 PM



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