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2025/10/24
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カテゴリ:その他
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 こんな風に好き勝手な事をここに書いて置きながら、今さらこんな事を言うのも実におかしな話だが、僕には物を書いて、それを世間様へ公表しようと言う気は、さらさら無いのである。
 どうしてか?

 まさに今、ここにあるこの様な行為自体が、全く世も憚らずに自分の内面にある恥を晒している事に外ならず、それが全く以って「みっともない」事だからである。だから私は日記と言う形式は全く好まない。
 日記と言うこの形式は、他人に見せる文章を書くのではない。自分の胸の中にずうっと秘めておくべき事をのみ記するものだ。
 だからこそ日記と言うこの表現形式は、誰もが自由に何でも書く事が出来るものとなり得ているのではないか?
 故に私は日記にある事など、決して他者には見せてはならないものなのだと考えている。

 思えばエッセイと言う形式もまた、限りなく日記に近いものだ。
 だが『随想録』を読むとそれがよく分かるが、さすがにその当時はまだ、モンテーニュも自分の「日記」を他人に晒すと言う事は絶対に憚っていた事が窺える。

 あの膨大な『随想録』に、モンテーニュは個人的な事項を記してはいないからだ。
 それがモンテーニュの「けじめ」であったのだろう。
 これは、歴史や社会的な事象に対する自己の考察をのみそこに記して、個人的な事項については決して書かないのだと言う、モンテーニュの決意にも似たものだ。
 当時はおそらく個人的な出来事、プライバシーを書くなど常識の外にあった事だったのだろうと推察される。

 モンテーニュの生きた時代、いまの何倍もの「掟」が取り囲み、自分の心の内奥を覗き見させるが如きは絶対に避けるべきタブーだったのだ。
 彼の生きた当時は、個人的な出来事を記してそれを他者の眼に晒す事が『随想』なのでは無かった。
 それが目指したのは日記のような、個人に焦点を当てて描き出すところのものでは無く、歴史的、社会的な事象を客観的な考察によって書き留める事だけが目的で、広く世の中へ向けられていたものなのだろう。
 そんな目的の為に『随想録』が書かれたのであろうことは、上のような当時あったであろう様々な「掟」の存在や、現代とは比較にならない狭くて閉じた欧州社会にあって、そこに保とうとしたモンテーニュ自身の矜持も見え隠れしはしまいか?

 従って、あの『随想録』と言う名が付された作品は「日記では無く『随想』という、もっと日記に比して、より当時の社会事象へとその焦点を広げたものとなって構成された」のだろうと私は推測している。

 さて、今度は一挙に現代へと話しは飛ぶが今日の、日記に記される個の内奥に隠されて置くべきものを、広く社会へと吐き出して、それが一体エッセイと呼べるものなのだろうか?
 エッセイというからには、そこに上述のような、ひとつの矜持を以てそれが書かれていなければ、これがエッセイです等とは決して言えないものなのでは無かろうか?
 若しもそれを言うなら、高校の国語では無いが「日記文学」とでも呼ぶべきところであろう。 

 この点でも、欧米と日本とでは、個人に関する概念が如何に異なるものなのかを物語る。
 欧米において、個人の内面は飽くまでそれを、まして社会へ向けてなどは殊更に「語らざるべきもの」「隠しておくべきもの」だった。いわゆるプライバシーの概念である。それが日本では、いわゆる日記文学とごちゃまぜにされてエッセイが、日記文学のような扱われ方をしたのではないだろうか。
 そこにはただ赤裸々な人間模様が描き出されるが、個の内奥にある嗜好や興味、ものの良し悪しと言うそれまでが、同時に広く世の中へ向けて吐き出されるものになっている。

 モンテーニュと雖も個人的な事項は決して他者には見せず、秘匿していたはずだ。
 それは、例え家族でさえも容易に覗き見る事が出来ない抽斗の奥へとしまい込まれ、他者の眼には絶対に晒されるような事が無かった、当時はそう言う文化だったのだ。それが「けじめ」であったのだ。
 だからこそ私は上にも書いたように、この様な私の内面にまで入り込んだ個人の雑事を殊更に、くだくだしく書き晒すと言う行為が、決して褒められた事では無く寧ろ「恥ずかしい」事なのだと書いたのだ。



 私はあるとき、日記と言うものを書くのをすっぱりと止めた。
 高校生から大学の研究所時代まで、ずっと書き記していた日記と言う「行為」を通じて、当時の私は何かそれが、気高くて高尚な事をしているみたいな気分に浸っていたものだ。
 心の内奥を安直に世間へ晒す「日記と言う行為」が、ちっとも高尚であろうはずが無いのも知らずにである。
 そしてある時「待てよ」と考えた。
 若し万が一私が死んだ時、私が書いたこの日記と言うものを発見に及んだ私の親族たちは、興味本位にこれを覗き見て、大いにせせら笑うに相違ない。私がもうこの世に無いのを良い事に、私の書いたこれを見て殊更にバカにし、また軽蔑のタネ、物笑いのタネにするだろう・・、と。
 そう思った時私は居たたまれずに、全ての日記帳、高校生からずっと書き続けたそれらを全て、当時住んでいた家の庭で焼き捨てたのである。
 そして高尚だと思って続けていた日記と言う行為が、どんなに安直な考えで為されたものであったのかを心の底から思い知った。

 以来私は二度と決して、日記なる「恥ずかしい行為」を繰り返すまい、と決意したのである。

 これはだから、その当時の私が決めた禁を破って書かれるところのものなのだが然し、これなら他者から笑われるような事はあるまい。
 何故ならば、私はこの雑記の存在を、親族には全く知らせてもおらず、関係者の内の誰一人として、これを知らないはずだからだ。
 第一、私個人の名前さえもが記されてはいないでは無いか。だから「ざまあみやがれ」と思うのである。
 大方の親族などとは、ほぼ無関係にある今の私は、この雑記の存在だけはこれからも絶対に知らせない。
 これはだから、全く匿名の雑記帳の故にこそできる技なのである。

 この雑記帳をもまた、私が死ぬ前にはいや、私が死を予感するような事になった時には、全てを即座に破棄する心算でいる。
 日記と言うこの私の恥ずべき「行為」を世間の目に晒す時、私はそう言う覚悟でいるのである。

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Last updated  2025/10/25 03:05:39 AM



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