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THE Zuisouroku

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2025/10/25
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カテゴリ:その他
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「せっかくのあの良い頭がありながら、お前の親父は馬鹿だよなーあ・・」

 骨箱に入った父の遺骨を抱いている私に、父方の親類の一人が言った。

 その箱の底は、まだ火葬されたばかりの遺骨から伝わる熱により、持っているのが熱かった。

「嘘ばかり吐くからだよ。お前の親父はなあ・・、あれで海軍に行く前は、まともで優しい人だったんだよ。それが、海軍から帰って来たら、ガラッと性格が変わってしまったんだ・・」

 私の右脇を、ともに歩いてくれていたその親類は、最後にこう付け加えた。

「お前にも、あの親父の血が流れているんだから、気を付けるんだぞ。嘘ばかり吐くと親父の様になってしまうからな・・」

 せめてもの情けにと思って言ってくれたその親類の、別れ際の一言のつもりなのだろうが、私にはそれが殊に痛く突き刺さった。父と息子の私との間の血のつながりの事までを持ち出され、それをこのように言われては、突き刺さった冷たい言葉の毒矢の痛みは、いや増すばかりだ。それは今も私に刺さったまま、呪いの如く私からいま尚離れぬままなのだ。

 たしかに私にはあの父と、同じ血がこの体内を循っている。当たり前に過ぎるこの事実は然し、私にどれほど辛く惨めな呪いとなっているか、それを知ってか知らずか親族たちは、未だに「血は水よりも濃いって言うからねえ・・」「あんたは、あのお父さんの子供なんだよ」「やっぱり血は争えないって言うからね~え!」などなど、今なお顔さえ合わせれば、私に向かって一度はこれらの毒矢を吐かねば気が済まぬと言った具合に、無造作且つ思うがままに、この点だけを取り立てて私に言うのだ。

 そんな事を言って、私の顔が曇るのを見ながら私を苦しめたがるのも、過去と言う深い穴から、わざわざそれを引っ張り出してそれを言う、それら親族たちが余程、鈍感なのかそれともあからさまな悪意、いじめの類の心算で言うのかは知らぬ。
 ただ、そんなどうにもならぬ、どうにも出来ない血のつながりを理由に、今なお私を苛む理由がどっかにあるか?と問いたくなるのだ、私が父の息子であると言う、たったそれだけの故に。

 その後も繰り返し、親類とさえ顔を合わせれば誰からと、繰り返し言われた、心無いこんな一言一言の、毒をたっぷりと含む過去の残滓が、なお私の心にこびり付いて、決して離れる事が無いのを彼らには分からないのだろうか?

 そう言われるたびに、その都度同じ痛みを味わわねばならない、この種の心無い言葉の数々を、恨んでも然し父の子である事実は曲がらないのだと、自分を納得させようとして生きて来た。

 親族に会うほんの一時さえやり過ごせば、それからはもう、長く会う必要も無くなるだろうその親族たち・・。 
 そうさ、ほんの一時の辛抱・・さ。

 私はだから長い事、法要墓参で両親の里へ行くのはどうしても嫌だった。いつになっても、どちらかが死にでもしなければ、それを言わねば絶対に気が済まぬ、あの田舎者たちの悪意が正直、憎かった。
 ただの半日でさえ、彼ら悪意の田舎者たちと同じ空気を吸う事さえもが、堪らなく嫌だった。
 
 こういうのを「親の因果が子に祟り」と言うのだろう。
 私もやがては詐欺師になるか、それとも今からもうすでに、あの父と言う大嘘吐きの子どもだから、それも同じ血が流れているのだから、私の言う事などは信用しないのだと、レッテルを張られている事を、イヤでも想起せずにはおかないこの冷たくて毒のある言葉には、幾ら私が彼らと実直、謙虚に接しても所詮、何の効果もない事を思い知らされる。

 如何にも私が彼らに対し、何かよほどな悪事でも為したが故の、その復讐かのように浴びせかけられる、その理不尽な偏見マシンガンの弾。
 私をいたぶりまた、故意の虐めのように言われるそれらはどうしても、私に会いさえすればそれを言わずにはいられない、それを言いたさにたえられない、人というものが持つひとつの「性」と言うものだろうか?

 父の葬式が終わって尚、以来私の生きて来た間中、ずっと浴びせかけられる、こんな毒に満ちた言葉の仕打ちには、それに対して幾らそれが偏見であって事実はそれと、全く違うのだと如何に努力を重ねても無駄だ。父と言う弱みのある私を、狭い田舎者の価値観で、どうしても悪人悪役に仕立てたいと言う訳である。毒のある弾丸を浴びる時にはいつも、胸をえぐられる様な痛みに胸のあたりを貫かれ、痛みだけでは無い屈辱と、それ以上はもう耐えられぬ、嘘吐きの息子として勝手に割り振られた配役に甘んじていなければならなかった。
 両親の里にいるそれらの親類らは、そんな私の胸の痛みを百も二百も承知の上で、尚重ねてこれを私に言いたくなる衝動を、どうしても抑えられぬわけだ。弱みのある私をなぶりものにするのが彼らにとって、さぞかし満足の行く憂さ晴らしなのだろう。所詮人とは、そんな生き物なのだから・・。


 その日、父は火葬され、遺骨となって、姿を無機的なカルシウムの塊へと変えて私の前に現れたのだ。
 言うまでも無い、父は死んだのだ。

 私が高校へ入学したばかりの、秋の入り口のある日の事だった。
 悲しみなんかはまるで無かった。そして何も感じなかった、私の頭の中は空文字通りの空白だった。

 私の父は、以前にもこのブログに書いたように、詐欺師であった。
 そんな詐欺師だった父の晩年は、なべて惨めさと言うものを絵に描いたようなものだった。
 それもまた、詐欺師などになって散々多くの人を騙し、さらに大きな嘘を立て並べてては、偽の信用を得て、出資者と言う名の大勢の生贄たちをその真っ赤な嘘で餌食にしたのだから、そんな父の末路がそうなるのは必然と言うものだろう。ここにこの、父に関する私の恥をこうして世間の眼に晒すのも、私がどうしてわざわざ、寄りにもよって坊主になんかなったのか?
 その理由をしっかりと説明するにはどうしても、この父の、世にも「見苦しき」それらの行状を、全てありのまま書いて置いてからでなければ、話が始まらないからなのである。

 これは身内の恥をこうして晒す「みっともない事」なのだから、先だって別項でも述べた私の考えにおいては『随想』では無い。
 全く以って「みっともなく」また、恥ずかしい雑記なのですよと、予めお断をりしてから、話を進めたいと思う。


 出資者を募ってその公約の通りに、確かに会社は作るが、それをあっという間に潰すのが父のいつもの手口であった。
 そ会社設立は、飽くまで演技、芝居の一つだと言ってよい。
 父の頭には半年後には、これを計画倒産させてのち、資金は全て持ったまま、我々家族もおっぽり出して夜逃げ、雲隠れと言うて手順で行われた。私の父は「こう言うのを詐欺師と言うのである」と言う、見本、標本みたいな男であったのだ。
 
 そうなる以前には、そこだけは唯一まともな会社の専務取締役を務めていたのだが、その会社を潰したのは実の所、全て父の責任であったと聞いている。
 要すれば父は当時、自分が役員を務めていたその会社を父が故意に潰し、その会社の社長の一家からは大変な恨みも買っていたのだ、それは当然だろう。私でも、その社長の U さんと言う人に味方をしたいほど、圧倒的に父が悪いのだと分かっているのだから。
 父が元いたその、倒産の必要もない会社を故意に潰した理由は、ご多分に漏れず、カネが目当てで為されたものだったのである。

 その会社の出資者へは、業界用語でお分かりいただける方々にはご理解いただける、会社倒産時の分配金の優先順位だ。
 つまり「今日こそ日曜日」の順番で、会社の残金を分配しなければならぬところを、出資してくれた方々へは全くと言ってよいほど、その残額を分配せぬぬままに、倒産させたその会社の残金を横領の上、それを資金にある小さなクリーニング店を開業させた。



 これが父の、詐欺師としてのデビューである。
 先に父は戦時中、海軍に行っていたと書いたが、その配属先は海軍時代に乗務した合計三隻の軍艦の主計将校だから、帳簿付けにも無論精通していた。
 会社の金を誤魔化した上で、その帳簿の上では規定通りの財務整理の手続きを取ってあるように見せかける事など、当時の父には朝飯前の何の苦も無き技だったのだ。

 要するに、当時の父はその第二の新たな人生を、こうして詐欺師としてスタートさせたと言う事である。 
 前の会社を専務の立場で倒産させるとき、父は業務上横領と言う、言わば「蜜の味」を知ったと言うわけだ。

 倒産なんかさせずとも、十分やっていけたはずのその会社を無理に倒産「させ」た上、そこからクリーニング店の開業資金を得た父は、社長さん一家から恨まれて当然過ぎる事をしたのである。
 その会 社の社長だった人はその後、ほどなくして病に倒れ、亡くなった。

 父はこの時点から、一度味を占めた業務上横領罪と言う「禁じ手」を、逆手に取る事を「覚えた」いや「学習した」のだ。
 それは最も愚かで、最も質の悪い「学習者」だとしか言いようのないものだった。

 クリーニング店の開業後、ほぼ半年が経過した頃、その「禁じ手」は再び使われた。
 今度は、同じ手口で配分するべきその金を、出資者へはびた一文、返金配当せずに次の会社を素早く設立してしまう。

 横浜の一等地、元町に重たい大きなガラスの引き戸のある、当時としては立派やかな事務所を借りて、金融業を始めたのである。無論この時だって開業に足りない分は、幾人かの人を詐欺の餌食にしての事だ。
 座敷に畏まってお茶を飲んで待っていてくれている出資者の、父は故意に「あとから」入るのである。
 出資してもらう父よりも、その出資者の方が緊張して畏まっている。そんな出資者を前に父は、より自分を大きく見せるために、今風に言えばマウントを取り、偉そうにその態度を大きくしたところで、私は座敷から出た。
 それまでの間、私がその出資者の退屈しのぎにさせられていたと言う事を、今さらながらにして理解する者なのである・・。

 そんな風に、僅か数年の間に三つの会社を作っては倒産させて、次の事業資金の足しに、会社の残額と配当金とを全て持って父は何処へかと姿を暗ます。そんな事を繰り返して、我が家がいつまでも普通に暮らせる道理が無く、父を恨んだ出資者達は留守の間に上がり込んで、家じゅうをかき乱して行った。
 また、別の出資者は夕方から酔っぱらって家に上がり込み、夜の夜中まで家に粘ってかんかんに怒り、金を返すように督促するが、父は話を逸らしながら巧みに逃げ回ると言う風に、我が家はもはや、その容貌も性格も、鬼のそれへと変貌させたさせた出資者達が入れ替わり立ち代わり、その出入りは尚、激しくなるばかり。
 終に夜逃げ同然に家を引き払い、他へ引っ越しをせねばならなくなった。ご近所の「手前」と言うものがあるからだ。

 少なくとも、この方の外にも、あとお二方が父の騙しの技術によって生贄にされたのだが、その全ての方々のお名前はもちろんここに記することなど出来無い。

 こんな経緯でとうとう我が家は、一家で鬼の出資者達がやって来られないようにと密やかに逃げ出したた訳だが、出資者たちだって大変な執念である。ほどなく見つけ出された引っ越し先へ、出資はたちはやって来た。その内のお一人は、お金の事は諦めたが残りのお二方は、また以前と同じく入れ替わり、立ち代って我が家に出入りを繰り返す。

 終には叔母や、叔母が勤める会社の方々にまでご出座を願い、その父をかばうための「援護隊」を編成してくれたのもその頃の事だった。
 結局最終的には、話が出資した大金を諦めるという方向でまとまり、父と言う愚かな詐欺師の起こした一件で、多大な損害と影響とを受けた方々も、取りあえず静かになった。

 さて、今度は叔母がその餌食とされる事になるのだが、これもまた叔母の計らいで、父は当時有名なチェーン店として人気上昇中だったラーメン店の店長と言う立場に代わるのである。
 こんど出資してくれたのは今度はその叔母である。
 叔母は、当時としては大金の、100万円と言うお金を出資してくれたのだ。
 今の価値に換算すれば、ゆうにその10倍を超えるほどの大金を・・。

 その頃には未だ未来が見えていたような気がしていた。と言うのも、その叔母のお陰で店長にして貰った父の働くラーメン店が、いよいよ海外進出を検討しているとの事で、父は叔母に御膳立てをして貰ったその店で、幾年かの経験を積んだら、海外店へ行くことだってできると言う話が来たのだから。

 母もこれには大喜びだった。
「お父さんが頑張れば、いつかサンフランシスコかロサンゼルス、パリかも知れないんだって!」と、ようやくその表情を明るくし、子供だった私も無邪気にその夢に期待した。いや、真に受けたのだ。
 たしか、クラスの友達にもこれを話して羨ましがられた覚えがあるから・・。

「こんどいつかロサンゼルスかサンフランシスコへ引っ越すんだって!」

 子どもだった私は、それを信じて疑う事を知らないのだから無理はあるまい。

 ところが、である。

 いつもの父の横領癖が、ここでも鎌首を持ち上げたのだ。回転お祝いから経過する事わずか半年。
 その店は突然、閉じられた。
 理由はいまもその詳細は、私には知れない。

 叔母は当時の詳細を、いまも私にだけは隠してくれているのだから。それでも叔母は、自分を騙して金を失くした父を、恨むでも無く淡々と、この件に関わる輪郭だけを話して聞かせてくれたのはまだ、コロナ禍が始まる前の、いまから六・七年ほど以前の事である。
 
 どういう経緯かは知らされないが、ある日父は、突如として叔母が勤務していた会社の、何故か副社長さんの前に現れて、こう言ったのだと言う。

「私にはカネを動かして大金を作る才覚がありますから、お金を出資してもらいたい」のだと・・。

 副社長さんは内心、呆れ返ったが「貴方にも奥さんと、お子さんがいらっしゃるんだから、そう言う夢物語を言わずに真面目に店長を務めなさい」と、なお父を諭し、そしてやんわりと出資を断ったと言う。
 父はその時すでに、また同じ手口を使おうと心の中で計画を練っていたらしい。
 父がそのラーメン店を、何の断わりも無く勝手に売り払った事が、あの開店から僅か半年後の、突然の閉店の理由だったのだと言うのである。
 売り払ったそのお金を持って父は、おおよそ3カ月の間、また姿を暗ますのである。

 金を全て失くした父が、酒に酔い「ぐでんぐでん」の状態で帰宅したのは、深夜も0時を回った頃だった。

「大方どっかで、博打でも打っていたんじゃあ無いのかしらねえ・・」と、叔母は語ってくれた。
今の価値に換算して都合概ね1000万円ほどのお金を、父が若し本当に博打で失ったのだとしたら、私は叔母に合わせる顔が無いのである。面目次第も何も、自分の父親が、叔母から都合してもらって出来たお店を相談も何も無く、勝手に売り払ってしまった事自体がすでに、犯罪でなのであって本来ならば、私が叔母に、幾ら詫びても詫びきれない大罪の責めを取らねばならないところだ。話を聞いた私はその時、目の前が真っ白になったのを覚えている。父による叔母へのそんな大罪をまるで初めて聞いた私は、余りの衝撃で目の前が眩んだ、とでも言えば分かってもらえるだろう。
 叔母は、昔語りをする様に淡々と話し終えると、そこから先は何も語らなかった。何という事をシテくれたのだ!!と私は混乱していたが、「お金の事はもう良いのよ。」と言うだけだ。父親がまさかそんな事をしていたなんて、それまで少しも知る由が無かったのだ・・。

 私がつい先だって抱いた心楽しき海外への御引越し・・。ロサンゼルスもサンフランシスコも、そしてパリへの夢もが、全て消え失せたのはこの時、この晩の事であった。

 (続く)



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Last updated  2025/10/26 01:53:53 PM



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