136435 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

THE Zuisouroku

THE Zuisouroku

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
全て | カテゴリ未分類 | 雑記・覚書 | その他 | 心霊について | 戦争・近現代史 | 魂の不思議さ | 人権 | 憲法・政治 | 追憶 | 創作 | 憲法・社会変革 | 論考 | エッセイ | 小説 | 家電 | 食品 | 焼き物 | | お手ごろな宝石類 | 茶器 | お菓子 | 骨董 江戸期 | 水晶細工 | 海産物 | 珍味 | スタミナ食 | 銘菓 | 銘菓・銘酒・その他 | 生活雑貨・衣類 | 食品・飲料・お酒・ジュース!! | 食品・飲み物 | 茶杓 骨董 茶道具 | パスタ・蕎麦・そうめん | パン | じゃがいも | ワイン | 食品・お酒・ワイン | 軍国主義 | 食品と雑貨 | 食当たり | 諸改革 | 人工授精 | 人工子宮 | 生命倫理 | 宗教観・世界観 | 一般道徳 | 倫理観 | 差別事象
2025/10/26
XML
カテゴリ:その他
​​​​​​​​​​​

​​​






PVアクセスランキング にほんブログ村
にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
人気ブログランキングでフォロー
小説ランキング
小説ランキング

©

 父が叔母にお膳立てをしてもらったお陰で開く事の出来た店を、不当に売り払って得たお金を全て持って雲隠れしていた間に、その父が持って逃げていたそのお金も、父の逃げ回っていたのであろう、その三カ月足らずの間に、全て失くした上で帰って来たのだから、我々一家は将来への夢どころか明日の暮らしにもすぐ困ると言う状態だ。
 最早ロサンゼルスやサンフランシスコ、パリと言った洒落た海外の街で暮らせると言う、果敢無くも、然し私や母が、縋る様に抱いていた大きな希望も夢も、何もかもが一挙に潰えてしまい、災難だけが次々と襲い掛かって来ると言う状況に陥る事になる訳だ。

 もし神様と言うのがあるとしたら、その神の残酷さは相当なものである。
 神なるものの、襟首でもひっ捕まえて「幾ら何でもあんた、残忍にもほどと言うものがあろう!」と、なじり倒してやりたい程の残忍さである・・。

 それでも尚、叔母は母や私の事をいつも気にかけてくれた。
 自分が信用してお金を用立て、また準備までしてくれたそのお店を勝手に売り払った父が、そのお金と共に姿を暗ましたような愚かな男でも、そんな事は気に賭けず、さらに暮らしに入用のお金の面倒までを見てくれていたのは子供の私でも薄々知っていた。そこには父も含まれていると言うのに・・。

 父は生涯をこんな風にして過ごしたのである。
 それでもまさか、その人生の全てを詐欺師と言う犯罪に賭けていた、と言う訳でも無くその後は警察沙汰にされても決しておかしくは無かった、これまでの己の来し方を顧みて、ようやくまともに職を探し始めた。
「民事裁判をしたって返金出来やあしない大金」を、すべて失ったのだ。
 もう叔母はそのお金をドブに捨てたと思う事にしてくれたのだ。その他、元の出資者の方々も同じだった。そこまで話を持って行くのは大変だったようだが、取り立て騒ぎも無くなった。

 但し今度は税金が追いかけて来たのである。
 それまでの何年間も父は狡い人生を生きていた。考えて見ればまともに支払うべき、会社に掛かった税金を、少しも支払っても来なかった事が分かったのであった。
 引っ越しをしたと言ってもそれは、態の良い「夜逃げ」だったのだ。今さら税金の督促をされても、我が家にはもうそのお金を一挙に納付出来るお金どころか、そのお金自体があるはずもない。

 そうして税金の督促が幾度も繰り返されていたのを、子どもの私が何も知るはずがない。
 ある日のこと、学校から帰った私の家に、幾人かの男の人たちが来ていた。彼らが何者か知らないが、碌な物では無いらしい。彼らが家の中で、立ったままあちらこちらと見まわしているのが、ちらと見えた。
 男たちは、家の中のタンスその他の、主な家具類に何か、今で言うタッグシールのようなものを張り付けている。彼らは差し押さえにやって来た税務署の人たちなのであった。とうとう我が家に強制執行と言う災難が降りか掛かって来たのだ。

 この時期は、私たち一家を囲んだ環境が、何から何までがこんな調子であった。
 全ては父の蒔いた種から起きている。
 若しもこの時、叔母がいてくれなければ、私たちはそれこそ一家で心中でもしなければいけない様な事になっていたのだと思う。私たちの一家はもう、そこまで追い詰められていたのだった。

 支払える訳もないこれまでため込んでしまったこの、未納付分の税金が積もり積もってまた大きな金額になっていたのだろう。

 この日も父はいなかった。大方職を探すとでも言って、家には帰らずにいたのだと思う。
 父はこのように、いざという時になると必ず何処ぞへ出てしまって、帰って来なくなるのだ。
 だから、もうすでに差し押さえが実行されてしまう直前だと言うのに、どうにも出来るものではなかった。結局家の主な家財道具の類も、このとき大方持ち出され、その日も暮れて冷蔵庫までを持ち去られた母や私には何も食べるものが無く、灯すべき明かりさえも無くした私たちを不審に思ったのだろう、お隣の奥さんが様子を見がてら、大きなサラダボウルにポテトサラダを山盛りにして来てやって来てくれたのだ。
 真っ暗な中でしょんぼりしていた母と私にとってこのサラダは、今でも、生涯忘れてはいけない、大きな想い出となって残っている。
 このサラダを戴いた母と私は、その夜早くに寝んだのだと思う。
 この時も、母や私を助けてくれたのは神や仏では無く、叔母であった。

 翌日の午後、学校から戻った私の家には、昨日持ち出された家財道具が乱雑に並べられていた。
 カバーは掛かったままで、まだその搬入が続いていた。訳は聞かなかったが、ただとにかく嬉しかった。それにその日は、おまけがあったのだ。

 叔母の近所に大きな店を構えている電気店が、何かを持って突然訪ねて来たのだ。
 訳も分からずに母が応対に出ると、電気屋から来た男はその大きな箱を置いて去った。

 強制執行で持ち去られた家財道具が戻された上に、テレビまで新しいのが来るとは考えてもいなかった私にも、それが何と嬉しかった事か!
 母はまだ、家財道具の運び入れが済んでいない中で、遠慮なくテレビの箱を開くと、それをセットし始めた。これもまた叔母のお陰なのであった。叔母の家の近所にある大型店から届けられたテレビだったのだ。
 叔母は母へ、当座必要なお金やこのテレビまでを、贈ってくれただけでなく、差し押さえで父が滞納した金額を肩代わりして全て支払ってくれたのだ、
 私はお隣りへ、お借りしていた昨夜のサラダボウルを返しに行った。美味しかった!と、感謝の気持ちを込めて。
 子供にはそんな大人の色々な事情が、全く分かっていないから救いがあるものだ。
 強制執行だろうが何だろうが、珍しくって面白いのだ。
 家財道具の搬入作業を終えた税務署の人たちが去て行った。税務署の人たちは親切にも、昨日持って行った家財道具を、全て元あった位置にきちんとセットして行ってくれたのであった。



 何もかもが帰って来て、何だか家じゅうが明るい。然も、新しいテレビまでがあるではないか!

「うわあ!きれいだね~え!」

 思うわず叫んだほど、新しいテレビの画像は鮮明だった。

「おばちゃんが買ってくれたのよ」

 何でもこういう時には叔母のお陰なのだ。


 我が家に次から次とやって来る困難、災難。その全ては「お父さんが招いた事」なのだった。

 詐欺罪に問われるところを、一歩手前でみなんなのお陰様もあり刑事告訴から免れ、本当なら出資法違反や、業務上横領罪にさえ問われ兼ねなかったところを、そこからさえ免責されて「助かった」と、一番思っていたのは父一人であったろうと思う。

 だが、その周囲にいる僕たち家族は堪らない。こんどの次には、一体どんな事をしでかすのかとハラハラしながら私たちは父の帰りを待つのだが、その晩も父はまた帰らなかった。

 税務署は、そのまた別な日にも、私の学校へ行っている時間に着て、それでもまだ収めていない個人の、つまりは我が家の税金についてや年金保険料の事までを今度はアドバイスに来たのだ。
「税務署のおじちゃん」と、私が後に読ぶようになった優しくて親切な人がいた。その人が様々な今後為すべき所を母に伝えて帰ったのだ。
 父の行状を見てどんな人柄なのかくらいは、分かるのだろう。その税務署職員は「奥さんやお子さんが可哀そうだ」とも言っていたと言うから、当時の税務署職員は随分と親切で、情もあったんだと思う。

 こんな風で都合の悪い時、或いは「都合が悪くなりそうに感じた時」にはいつも、父は何処かへと消えていた。おそらくは税務署が来る事も察しが付いていたか、すでに知っていて、職探しに事寄せていなくなっていたのだろう。いつもの事だから、今こうして見ればそれがよく分かるのだ。

 母と私は、叔母と叔母の関係する会社の人たちの色々な影響力のお陰で助けられていた。
 若し本当に叔母やその関係する会社のお仲間たちがいなかったら、私たち一家は、生きていられなかったのかも知れないな、と思うと身がすくむ。
 今にしてわかるのだが、こうした感謝と共にあの当時は、本当だったらかなり怖い思いをしていたのだなあと思う。

 後に「税務署のおじちゃん」と、呼ぶようになった人はその後、僕が母か父と一緒に税務署へ出掛けるとニコニコと笑顔で、夏場だったから、大きな薬缶で淹れた、濃い麦茶をコップの半分に、砂糖をたっぷりと入れて、氷と水を足した上で按配良くしてくれた。母には、氷を入れただけの濃い麦茶を持って来て、それから難しい話を始める。
 その間、どっかで遊んで来ると言うわけにも行かないから、私にもその内容は所々聞こえて来る。
 税務署のその「おじちゃん」は、私たち一家の事をかなり心配をして下さっていたの事が、私にもだからよく伝わっていた。

「あの税務署のおじちゃん、良い人だね!」その帰り道、私が言うと母もそれに静かに頷いていた。

 今度の騒動のお陰で逆に、母や父の年金分の保険料までが未納だったと言う事が分かったのである。
 それも結婚後一回も支払われていないのだと・・。
 
 今回の大騒動では、何も知らされてもいない母になど、当然何一つ分かるはずがない、父の狡い脱税や年金保険の未納までが明るみにはなったのだが・・。

 当時は何でも今の様に分かりやすくは出来ていなかったから、それまで母には、何一つ分からなかったのだ。
 この事件のせいもありその後、いっときは父母の間で、離婚騒ぎまでが持ち上がったのだが、当時の社会は離婚した者に、とても冷たい社会であった。
 まるでもう、あの頃は何かにつけて社会も酷かった。今の様に「結婚後にすぐ離婚して、またすぐ結婚しまた分かれて・・。」を、繰り返すなどは、到底考えられなかった世の中だから。

 離婚したら今度は「離婚した親の子供だ」と言う訳で、当然私だって差別をされるだろう。
 離婚した当人だけでなく、その子にも大きな烙印が圧され、冷たく差別されながら生きる事を覚悟しなければならない、そんな社会だったのだ。
 職も無くお金も全て失い、今度は年金保険料の未納に、会社に掛かった未納の税金・・。会社関係の税金分は、上記の様に今回も、叔母に立て替えてもらった。が、自分たちの一家に掛かる税金が、幾ばくかは知らないが支払わずに未納のまま放置されている。
 母だってそれは、離婚を考えたくもなったのだろう。

 叔母は、今にしてそれも教えてくれた。

 あの頃は、それぐらいの事で「離婚なんて出来る時代じゃあ無かったでしょう・・」
 まったくその通り。言われてみれば、である・・。

 そんな経緯であの時の、父母の離婚は、叔母が引き留めてくれていたのが分かった。

「あんた一人でラーメン屋でアルバイトしながら子供を養うって言うけど、本当にそれで生きていけると思っているの?」叔母の陰ながらのこんな説得もあったらしいのだ。
 そうやってその後、離婚騒ぎは収まった。しばらくして父の仕事も何とか決まった。
 残る問題は、未納の家族分の税金や父母の年金保険料だけであった。

(続く)

 
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025/10/26 02:14:55 PM



© Rakuten Group, Inc.
X