石破氏の無責任さから考えざるを得なくて・・。
にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村Web小説ランキング 最近は世の中が変てこになって、私がここに連載している小説『般若』を書く手が止まったままだ。 冒険ものの連載を書くには、集中力だって必要だ。なのに、自民党と石破氏が盛んに「日本破壊」をしている中、落ち着いて小説のアイディアを考えている、心と頭の余裕が無い。 何せ与党で保守政党のはずの(多くの国民は、自民党が保守政党であると信じ切っていた)自民党が、実際には平和憲法の破壊と、あの『日本国憲法改正草案』なる改憲案を見れば分かるように、国家体制の変更に加えて、その破壊を企てていたのだと知らされて、今にして記憶を遡れば、確か第一次安倍政権から自民党が相当に「きな臭い」なあと、当時から薄々感じ始めていた事を思い出すのである。 これは国民に対する自民党の裏切り、もっと言えば政党による国民に対するテロだとさえ言っても過言では無いだろう。 特に、元は自民党の幹事長まで務めた、元衆議院議員の亀井静香氏が国会の場でそれを、安部氏本人の前で堂々!!暴いて見せていたのをはっきりと記憶しているのである。 この憲法破壊や国体の変更とそれによる日本破壊は、第一次安倍政権からすでに企まれていた事なのだと、私は今にしてよくよく分かって来た訳なのである。 ところで私が考えていた改憲のイメージは、古き因習や法律、特に国家公務員法の改正にも繋がる様な憲法の改正や、この憲法が出来た時には想像もつかなかった様々な社会状況の変化に合わせた中身にするものであって、憲法九条二項の削除や「国防軍」の保持を言い出すなど、私から言わせれば全く以って論外である。若しこれを許せば今度は、参政党などの極右政党の力を利用して、国民に対する兵役を義務付けしてしまおうと言う、自民党の目論見だって透けて見えて来るでは無いか。 また、自民党の「改正草案」に書かれている前文だってそうである。 現行憲法の前文に格調高く、且つ詳細に記されている、日本国民の「国民主権によって、政府の誤りを監視し平和国家を目指すのだ」と、言う強い決意は、改正草案の中ではすっかり消されてしまったのみならず、川端康成の『美しい日本の私』などを引き合いに「日本は美しい国なのだ」とか「相互に助け合い、家族を大事にしなさい」などと要らぬ事を言う、あの「改正草案」を読むにつけ、そんな事をわざわざ憲法で言われなくとも、幼児でもわかりそうなものだと感じざるを得ない。 国の形や、日本と言う国の国家像を象徴的に描き出して見せるべき憲法の前文に、こんな誰でも分かりそうな、言わずもがなの事を掲載したがっている国は、日本の外にはおそらく皆無だと思う。 若しもどこかの国に、こんな憲法の草案があったとしたら、その国民がそんな憲法を草案の段階ですでに一笑に付すだけだとさえ思う。 あの自民党による「憲法改正草案」の前文は、憲法の前文として見た場合、全く以って情けないにもほどがある前文なのである。 未だあれを読んでいないと言う方がいたら是非一度あの『日本国憲法改正草案』(以下「改正草案」と言う)を、お読みになって、心の底から呆れ返ってご覧になっていただきたいと思う。 呆れた余り、皆さんの顎が外れてしまったとしてもそれは私の責めでは無い。自民党の責任である。 日本国民の目指そうとしている平和国家の姿とは、現行憲法の前文にある要旨に習って、敢えてこう書くが「戦争の禁止」を始めとして、今風の言葉を使えば「世界の同志国」と力を合わせて、また国連を中心とした外交の舞台で、国連至上主義と言う理念のもと、軍隊は愚か自衛隊をさえも保持せず、国家間の話し合いにより、戦争を絶対に回避し得る国家を作るのだと言う、日本国民全員の高邁な決意を「改正草案」は、全く削除しようと企んでいるのである。 それどころか「国防軍」と言う名目で軍隊を保持し「国家と郷土とを、気概を持って守らなければならない」のだとまで言っている。ご都合主義も、ここに極まれりと言わざるを得ない「改正草案」なのだ。 ここで私が自民党内の、これを作成したメンバーに最も尋ねたいのは「国民が気概を持って守れ」と、まるで我々国民に命令でもするような口調で言われるその「気概」についてである。 国民にはその「気概」が無いだろうと言う前提が無ければ、こう言う口調自体が出て来る事はないだろう。この「国民にはその気概が無いだろう」と言う自民党の大前提こそは、国民を余りに侮辱した口調で為される命令では無いか。一体自民党は、国民をどこまでバカにすれば気が済むのだろう? これまでにも国民の年金を全て、旧厚生省の職員らが使い込んでしまったり、そればかりかなんと、それを投機的な言わば「博打」に使って失ってしまったりと、我々国民が呆れてその空いた口がふさがらない様な事をしておきながら、旧厚生省はそれを弁済さえもしなかったと言う事件があった。 また、以前民主党政権が成立する契機にもなった「無駄な公共事業」を重ねた揚げ句に、その無駄遣いの「ツケ」は全て、我々国民に回してしまえば良いのだと言う、自民党のあの甘ったれて、だらしの無い姿を自分らで、顧みもせで一体国民に向けて言う、どんな「気概」であるか!! 良い加減にしろと言いたいのである。 国民は国家によって使い込まれたお金を必死で補填させられたばかりでは無く、増税に次ぐ増税、高すぎて支払い困難なほどの金額になった年金、その年金や社会保険料が高すぎて、それ自体に加入すらしない、若しくは出来ない各種の小さな事業所が、未だ山ほど存在していると言うのに、この問題に関しても、今なお改善されぬままに、放置されていると言うのが現状なのである。 この様に、国民の汗と苦労を顧みもせず、言わば政治災害とも言える年金問題を放置して置きながら「国民は気概を持て」などと言うセリフがよくもまあ、言えたものであると、国民はすでに呆れ果て、政府も国会自体をも、既に全く信用してはいないのだと言う事に、自民党は気付こうとする気配も見えないではないか。 国家が命じている様なそんな「気概」なら、我々国民は言われるまでも無く、無論誰もが有している。それよりも、本当に「気概」が必要なのは、今の「甘ったれた」政府、世襲が当たり前になっている政治家や、与党である自民党自身では無いのか? こんな事の連続で、さすがに国民も政府に対して「バカも休み休み言え」と言いたいだろう。 石破氏は大企業に対する増税に関しても、それを実行しようと言う「気概」が無いではないか。 それどころか石破氏は「大企業増税をすれば、安定的な資金の獲得に関する保証がなくなるから、景気に左右されない税源は、矢張りこれまで通り国民と中小零細企業から取るのが最も良いのだ」と、言う趣旨の発言を、ついこの前していたばっかりだったのを、私も知っている。 大企業は結果として優遇され、個人と中小零細の企業や事業所ばっかり犠牲にされ続けるこんな仕組みを、さっさと変えてしまう、それこそ「気概」が、政府与党には無いのか? 加えて石破氏は、この様な問題を解決するどころか、なお一層この日本を滅茶苦茶にした上に、無責任にも首相の責務を「おっぽり出した」のだ。 それで一体どんな「気概」があったと言えるのか? 私のイメージしていた改憲は、こう言うまるで「お上」と「素町人」みたいな関係性を、改憲の実現と実行によって改革し、国民の権利を強化する仕組み作りが出来得る法改正への道を、幾つも切り開く事である。 国民にばかり、それも漸く運営できている様な中小零細企業と個人事業主や個人ばかりをターゲットに増税に次ぐ増税を企てるこの日本国の政府は、これもまた、別項に幾度か書いたように「国民の為に非ず、政府の為なり」なのだと、とっくに分かる理屈ではないか。 改憲とはこう言う、まるで「江戸みたいな」国家と国民との関係性からこれを、圧倒的に国民の権利を強化する方向に向くように、その仕組みを変えようとする努力であり、民主主義国家として「足らざるを補い、因習を廃する」事だと私は思っている。 ところが実際には現状、我が日本国は民主主義さえ、未だに実現できているとは言い難い。 確かに選挙こそ民主的に実施されているかに見える。然しその仕組みさえもが、様々なところから見て「怪しいものだ」と疑われて当然の仕組みになっている。これは決して陰謀論などでは無く、まっとうに考えた上で得られた社会共通の見解なのである。その他にも、上述の如き税制は「国民虐め」としか言えぬ様な仕掛けになっており、これはまさに「国家の為の国家」であり「国民の為の国家」では無い。 国民の為にするところの改革は、未だほとんど何も実現出来てはおらず、その仕組み自体が未だに「まるで江戸みたいだ」と言われるものでは無いか。 海外で働き帰国した様な、長期に海外に在住、若しくは滞在し、その国にもきちっと税金を支払って来た多くの人たちは全て、日本と言う国家の為に海外で働いたと言えもするし、また全く文化的、科学的各分野の上で、我が国とその赴任地の発展とを図り、私利私欲から離れて日本を守る為の仕事や、日本と各国の懸け橋となる仕事をしている人たちが、実際大変に多いのだと言う事実とその努力とをさえも、政府や外務省、そして現地の在外公館の職員らは「小バカ」にしているとしか言えない態度では無いか。 彼ら外交関係の公務員らのあの姿勢とその在り方を通じて、海外赴任経験者の多くは日本国と言うものが「国民をほとんど守らない国なのだ」と言う事をすでにたっぷりと実感させられているだけに、日本国に対するその不信感は相当なものなのである。 日本国とは実際問題いざとなったら、大使館職員やその他の在外公館の職員たちらから、まっ先に逃げ出す国であり、その様子は嘗ての旧日本軍隊の参謀など、司令部で威張っていた者たちから真っ先に逃げ出してしまうその様子を、現代になってなお、見せ付けられているが如きものだ。 国民の為には、いざ!その時が来たとしても、政府専用機ひとつ派遣しようとはしない国、それどころか空自の輸送機さえも理屈をつけて派遣をしようともしない国なのだ。 橋本内閣時代を思い出すと、そんな在外邦人の非常時、即ちイラクによるクエートへの軍事進攻時、橋本の政府は日本の主なエアラインには勿論、どの国のエアラインにも、その地域への飛行要請を拒否され続け、その危険地域に置き去りにされている日本国民の救出が出来なかった。それどころか、自衛隊の輸送機さえも、またあの二機もある、自慢の政府専用機の内の一機さえも派遣出来ずにいたのだ。 自衛隊法が妨げとなって、いざ!その時が来ても政府は、在外邦人の為に、何一つ出来なかったと言う事なのだ。 そんな在外邦人たちが、今まさに危機を迎えているそのさ中に、世界でただ一か国だけが、クエートに取り残されたままの在留邦人たちの救出、脱出の為にと、自国のエアラインを出してくれた事があった。 その国こそが、我々日本人の古くからの友好国である、トルコ共和国であった事を我々日本国民は決して忘れてはならない。石に刻み付けてもその事実だけは、覚えておかなければならない。 多くの日本国民は、イラクのフセイン政権が、その軍隊に命じたクエートへの軍事進攻と言うあの非常時に際し、クエートに在住する日本の在外邦人救出と言う英断を下したトルコ政府と、実際に航空機を派遣してくれたトルコ航空職員への感謝の念で忘れもしないあの日、胸が一杯になった事を今なお記憶しているのではなかろうか。 いざとなったら、そんな危機に臨んだ時こそ、その危険な地域に派遣できるようにとの名目で、多額の国税を以て購入された二機の政府専用機、当時のボーイング747も全くの役立たずだった。また、それのみならず、航空自衛隊の輸送機さえも、自衛隊法による出動制限が邪魔をしたために無力だったのだ。 日本航空や全日本空輸と言った、我が国のエアラインでさえもが、そんな危険なクエート地域への飛行を拒否したにも関わらず、あの危機のさ中、トルコ政府は自国の航空機派遣を決断してくれたのである。大人数の在クエート在留邦人は、日本の政府に寄ってでは無く、こうしたトルコ政府とトルコ航空の下した英断によって救われた。 ここに幾度感謝の念を書き留めても、全然足りないほどの大きな決断のお陰であった。 また時代は降って小泉純一郎の内閣は、言わば日本国民を代表した形で中東の各国に派遣され、その一人一人がそれぞれに重要な任務と職責を担っているNGO職員を、タリバンが好き放題に暴れているその危険な地域に置き去りにしたのみならず、彼らが赴任した国で、その各々が危険な任務に就いている、まさにその時、外務省も在外公館職員も、危機に臨んでいる彼ら日本の在留邦人の為には働かず、自分らだけがなんと在外公館の中にあって、高級ワイン集めばっかりに腐心していたが故に、いざとなった時には何の役にも立たなかったのだ。 そんな無能な外交官なんかよりも100倍は頼りに出来るNGO職員たちに対して、大使館員らが日ごろから、色々と危険な任務や困難な仕事を要請していたにもかかわらず、そうやって日本の為にと懸命に働いたNGO職員を救出しようとさえせずに、彼らがタリバンの殺人鬼によって殺害されている(ナイフで首を切り落とされたのだ)その様子を、モニターを通して恰もそれを、他人事の如くに見物し「あー。やられちゃったよ~お」と、その側近らと面白半分に話していた小泉首相のあの様子もまた、私の決して忘れる事が出来ない記憶となって、心に沁みついてしまったままだ。「国民の生命財産を守るのは政府の重要な役目である」と、常日頃からテレビの画面で語っていたあの、小泉純一郎氏がである。 そうである。小泉氏は在外邦人を確か二人だったと記憶しているが、言うに事欠いて「勝手に危険地域に行った自己責任だから」と、言って彼らを見殺しにした。 二人目に殺害されたその人は、確か檻に閉じこめられたまま、残忍にもその檻の中で焼き殺されたのである。 小泉氏に言わせると、それはなんと、日本国とその赴任先の地域の為に必死で働き、その結果非道に焼き殺された人と、首を切り落とされて殺された人たちの「自己責任」なのだそうである。 日本政府とは、そう言うものなのだと、我々他国で働いている者、若しくはその経験がある者は全員がそれを心に刻んで忘れはしないと思う。 繰り返すがその時、当時の小泉首相はモニターでその様子を見ながら、側近と笑いながら話しをしていたのだ!! そして揚げ句の果てには、それを「自己責任だ」と語った。 これもまた繰り返しになるが、私はあの時の小泉氏らの態度とあの言い草を、生涯忘れはしないだろう。 だからという訳では必ずしもないが、私にはその息子の小泉進次郎氏をも、どうしても信じられはしないのである。如何に努力して彼を贔屓目に見ようとしてもだ・・。 しつこい様だが、あの在外邦人を見殺しにした小泉純一郎氏と同じ血が流れているのかと思うと、如何にどうしてもその子息、進次郎氏を信じられっこ無いでは無いか・・。 結局、日本と言う国は「自己責任」の名目で、いざとなれば国民を守らない国なのである。 その証拠には、すでに御承知の通りだが、北朝鮮工作員によって拉致された人たちもまた、未だに何十年間も北朝鮮に置き去りのままでは無いか。 これでは到底この国において、民主主義が実現されているとは考えられず、嘗て海外で働いていた者の一人として、私もまたその経験を以てこう実感せざるを得ないのである。 率直な話、日本国と言うこの国の民主化の度合いは、恰も中国か北朝鮮並みのレベルにあるのではないかと私は思っている。 一体どこに、自国民が残忍に殺される様子を、モニター画面で見ながら談笑する首相があるのだろうか? これがUKやUSAならば、意地でも自国民を助けに政府高官が駆け付けるだろう。事実、元、米国大統領のジミー・カーター氏の様な国家の要人さえもが、特使として幾度も北朝鮮と直談判に出かけているでは無いか。そうして立派に、拉致された自国民を幾人も救出した。これこそが、真に国民を大切にする「一人も置き去りにはしない民主主義国家」の姿であり、その国家像だと考える。 海外赴任経験者の多くが、その任期を終えて日本へ帰国した後に、日本と言うこの国の陰湿さを改めて実感させられるからこそ、私を含めた海外勤務の経験者たちは、この日本と言う国を称して「まるで江戸みたいだ」と言いたくもなり、またその様に感じもするのだ。これは寧ろ人として、当然の事なのだと、私もその経験上から思う。 この国の一体、どこが民主国家なのだろうか?とてもじゃあ無いが、この有様で「日本が民主主義国家です」などと、言える道理はあるまい。 殺されたり拉致されたりした人たちの身になって考えて見た、これが私の実感である。 日本と言う国に帰った途端に、上記の如きそんな体験をさせられるからこそ、その人たちの多くが本当に進んだ民主国家の姿とその国家像とを経験し、またそれをよく理解したが故に、それと較べて日本と言う国の実態は、中国やロシア、北朝鮮の様な全体主義国家とさして変わらないではないか、とさえ言いたくなる、そんな風に感じてしまうのでは無いか!! いまさら日本と言うこの国に対して「進化せよ」とまでは言わないが、この日本と言う国は一体、いつまで、他の真に先進的な国々の人たちが言う様に「150年間、何の進歩もしないまま」でいる心算なのだろうか? 私のこうした考えは然し、他の同じ海外勤務を経験をした人たちと較べれば、ずっと日本に対して「甘く」また「優しい」と言われる事さえあるのだ、と言う事も同時に書き添えておきたい。 私のここに書く事は、これでも十分に日本に対して「甘く優しい」見解なのだ。 政府関係者や、今の首相志願者たちにはそれがどうして分からないのだろうか?それとも見て見ぬ振りを続けているのだろうか? 私から見るなら今、名前の挙がっている幾人かの首相志願者らの内の、誰一人として次期首相に相応しい人物はいないと見えてならないのである。 若しもいま、自民党員の中に心ある人があるのならば、彼ら首相志願者らの中にそれに相応の「該当者なし」として、全く新たに首相候補の選び方、候補者の決め方から抜本的に改め、党の中でじっくりと候補者の選択を繰り返しながら、新たな候補を幾人か選び、本当にこの国の首相に相応しい人を一人選ぼうと思う人が、存在していても良さそうなものなのだが・・。 また、若しも改憲を実現したいと言うのならば、例えばその「改正案」に、首相公選制度に関する条項を盛り込むなどの案をこそ提案するなどしてこの国を、軍隊を持った戦争好きな国に戻してしまうのでは無く、逆に真に民主化を実現すべく、そこへ向けた努力を重ねられる様な制度を、新たに打ち出せないものだろうか? 諸々の、真に先進的な国の国民から「150年間進歩しない国」と言われるこの国の改憲は、そのためにこそするものなのだと、私は考えている。「平和国家日本」の首相が、どうしてトランプ氏の様な見解を持てないのか? 彼のドナルド・トランプ米国大統領は、大の戦争嫌いで「戦争ほど非生産的で無駄なものは無い」との見解を幾度も国民に向けて語っている。平和主義を自称する日本の首相が「国防軍を保持」したがったり、その「改正草案」で国民に対し「国を守る気概を持て」などと、不躾も甚だしき事を言う政党の総裁で、本当に良いのだろうか? また、この期に及んで「改正草案」に中に聖徳太子がどうこうではあるまい!! あの「改正草案」をお読みになれば分かる事だが、今は決してそんな古代の独裁者を引き合いに出している場合では全く無いのだ。「和を以て尊しと為し」「逆らう事無きを以て旨とせよ」 上記に私が書いて来た事の中味を、よく理解してもらいたいので、わざと分けた形で書いたのだが、これはまさしく、独裁者が言うセリフだろう。古代の独裁者が語ったとされる、こんな言葉をわざわざ額縁などに入れて、机や壁に飾っている時では無いのである。 仮に、二十一世紀の現在只今から聖徳太子の時代へと、私がこのブログ上に書いている連載小説『般若』では無いが、タイムスリップでもしてみれば良い。 そして、聖徳太子が言う、この言葉の真意が果たしてどんな事であったのかを、その時代へ行って体感してみれば、絶対に後悔するに決まってはいるが、だ。 何せ当時の庶民たちは、全くの無報酬の上に、自分も含めた家族らの食い扶持さえも収穫出来ずに「帝」の命令によってタダ働きをさせられ、また強制労働に加えて「防人の役目」などに駆り出されていた事ぐらい、小学校で教わったであろうに・・。 私は聖徳太子の何処をそんなに尊敬出来るのかが、全く理解できない者の一人だ。それどころか聖徳太子や、恰も「帝」の如き独裁政権によって(左記は決して、現在の天皇制や皇室制度の批判を意図したものでは無い)この島の住民は古代から今に至るまで常に「政治災害」に悩まされ続けているのだと思う。 GHQが、米本国へと帰還して行ってからまだ十年もしないうちに、日本人は民主化に向けた努力を放棄したり軽んじたりを繰り返した。それは当時の日本映画の中などにも反映され、描かれている事からも理解されると思う。 こうした民主化軽視と自由度の狭まりは、現在に至って増々強くなる傾向にあると、私は危機感を抱いているのである。 話しは変わるが上記に加えていま、私如きが誠に僭越な事ながら、現代の日本人が是非にも読むべきだと思う本を挙げるとすれば『拝啓天皇陛下様』と『マッカーサー元帥への手紙』の二冊を挙げて置きたいと思うのだ。 これら二冊はともに、当時の日本国民が書いた生の書簡集である。確か岩波文庫の青帯本だったと記憶している。 この二冊には、日本人の当時抱いていた民主主義に対する驚きや感激、自由を獲得した喜びや今後の日本社会への憧れや期待と、同じくGHQに対して当時日本人が抱いていた期待感や、アメリカ合衆国に対して日本人が新たに感じ始めた、進歩した国への敬意などがよく表現されており、この二冊を通じて改めて学び、また憲法と自由とについても再認識出来るところが多いと思う。「天皇陛下様」がもはや神では無いのだからと、同じ人としての目線から訴えかける社会の不公正や政治の混乱に対する悩みが描かれ、またそれとは逆に、未だ神格化された天皇のイメージから抜け切れていない人には「天皇陛下様」が何でもできる万能な人、喩えて言えば「スーパーマン」ででもあるかのような、神と人間との間に存在している者としての天皇に対する、願掛けにも似たその手紙の主たちの「お願い事」などが折り重ねられている。 そこには人間である天皇に対する遠慮の無い物言いと、先だってまでは神様だった人に対して自分の手紙をどう書くべきかなど、それらの戸惑いが折り重なっていて面白い。 また、マッカーサーに当てた手紙の中には、是非とも戦犯として天皇を罰して欲しいと言う頼みから、日本をアメリカにしてほしいと言った、権力者マッカーサーへの訴え、寛大で偉大な軍政家としてのマッカーサーに対する色々な日本国民の尊敬や親しみの念、自由を与えてくれた元帥への御礼まで、当時の日本人が抱いていた生の声がありありと、そして生き生きと描き出されている。 いずれにせよそこから分かる事は、日本国民が現行の憲法を押し付けられたのでは決して無く、国民が新しい『日本国憲法』を歓迎し、またそれを日本人自らが受け容れたのだと言う事がよく分かる。 特にマッカーサーへ宛てた国民の数々の手紙の中にも、日本国民が最早「臣民」では無く、一人の自由な国民として、その自己決定によって少なくとも自分たちが、戦争の脅威から自由にして貰えた事への感謝の気持ちは決して見逃す事の出来ない日本国民の真の気持ちであろう。 これは現代に生きる我々とて同じ事だ。 戦争をしてはいけない、日本と言う国には戦争をするだけの力が無いのだと言う、偽りのないこれらの声を絶対に忘れてはならないのだぞと、これら二冊の本が伝え、また訴え掛けて来るとうだ。 自由の大切さを改めて認識し、同時にこの自由というものは、ほんの少しでも油断をすれば、たちまちにして「政府による誤った権力の行使と国家の誤り」によって主権者たる我々国民の手から奪われてしまうのだと言う事を再認識するには、最も適した二冊であると思う。 戦争や、隣人に対する微妙な文化の差異から生じた憎しみを、恰も叫ばぬばかりに主張して止まない政党が三つも存在する事になった今、我々にはこの再認識が、最も必要な「時」なのだと思う。にほんブログ村にほんブログ村名菓ひよ子 28個入 大正元年創生 福岡・飯塚生まれ 変わらぬ姿 変わらぬ味 お取り寄せ ご贈答に価格:4,299円(税込、送料別) (2025/9/11時点)楽天で購入