小説を読みながら考えた
小説を読みながら考えた養老孟司の本は読んだことがなかった。初めて読んだ本である。凄いな、と思った。読書量がである。頭が良くて、興味が多方面にある人と言うのはこういう本の読み方をするのかと思った。この本の中で村上春樹の海辺のカフカ(上)についても書いてあり、この本を読み返した。走ることについて語るときに僕の語ること権威に興味がない。ということは二人の共通項かもしれない。村上春樹について考えた。私が高校生の時4才上のギターの上手な大学生のいとこが「この本はいい」『ノルウェイの森』の村上春樹と熱く語ったのが、初めて村上春樹の本を見た時だと思う。そしてw村上ブームがやって来た。しかし、売れてることに興味を持つのが恥ずかしかったハイティーンの私はその時は読まなかった。大学に入って一つ年上の男友達が「コレすげぇ」と言ったのは愛と幻想のファシズム(上)だったので、龍の本を読んだ。なにがきっかけだったかわからないが、大学卒業後、東京で電車に乗るようになって、本を読む量が増えて、やっと春樹の本に手がでたのだと思う。私はわりと良く本を読む方だと思うけれど、脈略がない。賞を取った本も読むし、「文藝春秋」購読期間1年なんかも読んで見ることもあるが、きっちりチェックしているわけでもない。活字中毒なので、そこにあれば読んでしまうだけだ。そこには文学の話があり、村上の話はない。龍は芥川賞をとっているけれど、もはや文学者という感じではない。なんの人なのかな、あの人は現代に興味があるのだろうな、でもそれはヨーロッパの詩人みたいだなぁ。春樹は黙殺されているような感じか、そう言えばキャッチャー・イン・ザ・ライこれ以来村上春樹の訳した本がたくさん出版されたので、作家というより翻訳者とも言えるのかもしれない。っま、村上春樹論はすでに多くあるので、今更私が語る事でもないし、知識がなくて恥ずかしいだけだから止めたいところだが、村上春樹が走ることについて語るなら、私が語る村上春樹から私の仕事論というのもあるのかもしれないと思ったりもするのだ。・・・・・・・・・人と競わないで来たことについて、共感しているのだと思う、私は。さて、仕事をしよう。