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○人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ 南原繁
○開戦のニュース短くをはりたり大地きびしく霜おりにけり 松田常憲 1941年12月8日、太平洋戦争が始まった。 『断腸亭日乗』の中で、永井荷風は、8日の日記の中では「日米開戦の号外出づ」としか触れていない。 12日に、彼は以下のように書きつけている。 「開戦布告と共に街上電車その他到処に掲示せられし広告文を見るに、屠れ英米我らの敵だ進め一億火の玉だとあり。或る人戯にこれをもじりむかし英米我らの師困る億兆火の車とかきて路傍の共同便処内に貼りしといふ。 現代人のつくる広告文には鉄だ力だ国力だ何だかだとダの字にて調子を取るくせあり。まことにこれ駄句駄字といふべし」 落書き、流言蜚語は戦局が不利となるにつれて増加していく。特高はその取締りにやっきとなる。 1942年正月元旦の項には以下のような一文が見える。 「郵便受付箱に新年の賀状一枚もなきは法令のためなるべし。人民の従順驚くべし悲しむべし」 日本の場合、政府のやる事に異を唱えないような国民が戦争を支えた。 教育、法曹、言論・出版、あらゆる分野がそのような国民を作り出す事に動員された。 日中戦争、太平洋戦争は、大日本帝国憲法も、陸軍刑法も踏みにじらねば始める事も出来なかった事を忘れてはならない。 日本、ドイツと組んだイタリアは、ムッソリーニ打倒を叫ぶパルチザンのおかげで、かろうじて「自由のために戦ったイタリア」という栄光を手に入れる事が出来た。 ドイツと日本にはごくわずかの例外を除いて、政府・軍部に異を唱えた例はない。 自分が働く分野で、「いやだ!」「おかしいぞ!」という声を挙げることはまだできる事だし、今やらねばならないと思う。でないと後悔する事になる。 図書館に、『もう戦争は止めて 憲法を守る手紙を出そう』上目黒九条の会 らくだ出版 という本があった。借りて読んでいる。 自分の思いをこうやって日記に書きつけ、知人に手紙を書く。 憲法を守り、豊かにするための「不断の努力」、私はここから始めたい。 昨日、「父親たちの星条旗」を観て来た。初めて知った事が多かった。重い映画だった。少し時間を置いて感想を書いてみようと思う。 朽ち葉となった紅葉です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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