漫望のなんでもかんでも

2008/11/02(日)20:47

田母神幕僚長更迭

 田母神俊雄航空幕僚長の論文「日本は侵略国家であったのか」の要旨は次の通り。  日本は朝鮮半島や中国大陸に一方的に軍を進めたことはない。日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために軍を配置した。  我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者だ。  日本政府と日本軍の努力で(満州や朝鮮半島の)現地の人々は圧政から解放され、生活水準も格段に向上した。  日本はルーズベルトの仕掛けたわなにはまり真珠湾攻撃を決行した。  大東亜戦争後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放された。日露戦争、大東亜戦争を戦った日本の力によるものだ。  東京裁判は戦争責任をすべて日本に押しつけようとした。そのマインドコントロールが今なお日本人を惑わせている。自衛隊は領域の警備もできない、集団的自衛権も行使できない、武器の使用も制約が多い、攻撃的兵器の保有も禁止されている。がんじがらめで身動きできない。このマインドコントロールから解放されない限り、我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。  多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識する必要がある。我が国が侵略国家だったなどというのはぬれぎぬである。 朝日11月1日  ☆アパグループのHPで、「論文」を見てみた。以下、感想を述べる。  第一に、張作霖爆殺も、日中戦争も、日米開戦もすべて「コミンテルンの陰謀の一環」であったと説明がなされている事。いやー、コミンテルンって世界最強の組織だったんですね。 しかし、「張作霖爆殺もコミンテルンの仕業」なんてガセネタにいつまでしがみついているのか。櫻井良子も罪なことをするもんだ。  第二に、強弁するとはこういう言い方をするのだなという実物教育のような「論文」である事だ。少し引用してみよう。  「現在の中国政府から『日本の侵略』を執拗に追求されるが、わが国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在した事がない。」 ☆「追求」は、正しくは「追及」。「輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない」と大見得を切る前に、正しい日本語を学びなおす事が必要であり、この程度の事も訂正できなかった審査委員長・渡辺昇一の「国語力」も疑われねばならない。  もう一箇所は、「韓国の実行支配」。正しくは「実効支配」。話にならない。誤植なのか、変換ミスなのかしらないけれど、(1)よくもこんな「論文」を麗々しく掲載したものである。 そして、「多少の圧力」。韓国が併合される過程でふるわれたのは「多少の圧力」であったのか?  「もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。」 ☆ここは、「列強と同じように、日本も侵略国家であった」と認めているようなものではないか?「列強は侵略国家ではなかった」という理解は、歴史学の世界では一般的ではない。語るに落ちるとはこのことだ。  第三に、時代錯誤としか思えない歴史認識が開陳されている事。 「わが国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は『支那軍の暴戻をヨウチョウし以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる』という声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。」 ☆「度重なる挑発」を企画し実行したのが日本軍であったことは、戦後の歴史研究の中で明らかになっている事である。あくまで日本は「被害者」であると言いたいようだ。 今探していて見つからないのだが、国定教科書に、上に引用した文章とほぼ同じ文章があったことを思い出した。探し当てたら紹介したい。  第四、これが最大の問題だと思うのだが、「日本は中国、朝鮮に対していい事をしてやった。日本人と同じように扱い、日本人にしてやろうとした」という意識である。他民族の民族性を剥ぎ取って、「日本人にしてやる」と言うことを何の疑問も持たずに「いい事」であると思い込むこのノーテンキさは、化石としか言いようがない。 で、末尾で、東京裁判の呪縛から逃れねばならない、日本人としての誇りを取り戻せ、と主張し始める事との矛盾も気がついていない。整合性を持たせようと思えば、「日本人はアメリカによって占領されたのだから、ますますアメリカ人化し、名前もアメリカ風にし、言葉も英語にしたらどうだ」と説くべきであろう。  「朝鮮の政治は代々の総督がひたすら一視同仁のおぼしめしをひろめることに力をつくしたので、わずか30年ほどの間に、たいそう進みました。したがって世の中はおだやかになって産業は開発され、中でも農業や鉱業の進みが著しく、近年は工業の発達も目覚しく、海陸の交通機関はそなはり、商業がにぎはひ、貿易は年ごとに発展してゆきました。また教育がひろまり文化がすすむにつれて、風俗やならはしなどもしだいに内地とかはりないようになり、制度もつぎつぎと改められて、内鮮一体のすがたがそなはってゆきます。地方の政治には自治がひろまり、教育も内地と同じきまりになりました。とりわけ陸軍では特別志願兵の制度ができて、朝鮮の人々も国防のつとめをになひ、すでに戦争に出て勇ましい戦士をとげ、靖国神社にまつられて、護国の神となったものもあり、氏を称へることがゆるされて、内地と同じに家の名前をつけるやうになりました。今日では朝鮮地方2300万の住民は国民総力朝鮮連盟を組織し、一斉に皇国臣民の誓詞をとなへて信愛協力し、内鮮一体のまごころをあらはし、忠君愛国の志気にもえて、みなひとすぢに皇国の目あてに向かって進んでいます。」(「初等国史」第六学年第二十五課「東亜のかなめ」 『15年戦争学習資料』(上)p184安達喜彦 汐文社)   上に引いた『初等国史』は1941年のものである。田母神の頭の中は、1941年のこの本の認識から一歩も前進していない。「頭は戦前、身体は戦後」とでも言ったらいいのかな。  「戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。」 ☆強制連行のことは一言も触れられていない。創氏改名も、日本語教育の強制もすべて「内鮮一体」として肯定されるようだ。 戦後の日本は、アメリカ軍とアメリカ政府のおかげで「それまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである」と書き直したらどうだ?それでこそ米軍との共同作戦を進め、アメリカ政府の要求にそって自衛隊員の命を差し出そうとしている国の軍隊の指導者にふさわしい。    「多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。」 というに至っては、噴飯ものを通り越して、哀れにさえ感じる。特に、「日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している」という部分については、各国語に翻訳してその当否を各国の体験者の方々に聞きたいものである。  「大東亜共栄圏」構想を文字通りに受け取って、現地の人々と日本軍との間の架け橋になろうとした人物がいたことは事実である。 私の父は海軍の軍属として台湾に渡った。戦後、台湾から、「あの時はお世話になりました」と来日された方があって、両親は台湾旅行に招待された。私はそんな父を誇りに思う。しかし、それを以って、「日本の台湾統治は成功した」とも、「日本人は台湾のためにいい事をした」とも言いたくはない。他国を植民地にして支配するというのは、その国の人たちの中に消す事ができない痛みを残す事になる、そんなこともわからずに田母神は戦後を生きてきたのかと思うと、一教師として恥ずかしくなる。  最後に大岡昇平の『レイテ戦記』を引く。  「レイテ島の戦闘の歴史は、健忘症の日米国民に、他人の土地で儲けようとする時、どういう目に遭うかを示している。それだけではなく、どんな害をその土地に及ぼすものであるかも示している。その害が結局自分の身に撥ね返って来ることを示している。死者の証言は多面的である。レイテ島の土はその声を聞こうとする者には聞こえる声で、語り続けている。」(『レイテ戦記』大岡昇平 中公文庫(下)p323)  田母神の耳の中には、「戦前」という埃がしこたま詰まっているようだ。 注(1)このようなやり方、つまり、誤植、写真のミスなどをあげつらって論文全体を否定する論法は渡辺がよくやる手法である。

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