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まろ0301さんへ いつも、このブログからは、たくさんの刺激をいただいています。 改憲、ということですが、人々が無関心に見えることが不思議です。あの戦争でたくさんの痛みを知ったはずなのに、またがyく戻りしようとしている。 私なりに考えてみると、いま、人々は理想に飽きたのでしょう。理想を追ってやせ我慢の暮らしをするより、日々を安楽に生きることが、何より大切になったのでしょう。 ヨーロッパでのネオナチの出現、アメリカの自国第一主義、アフリカの混乱、すべてが、人類の共通の理想から遠くなっていきます。そもそもなションsリズムを超えた理想があったかどうかも、わからなくなりました。 理想の憲法を守り抜く毅然とした生き方より、もっと贅沢したいのですね。理想なんか言ったら、鼻で笑われるご時世です。 釈迦の言葉「真理を捕まえても、とたんにそれは変容する。安心してはいけない」が心に響きます。 個人と社会の関係は、どうあるべきなのか。吉本隆明が死ぬ間際に「民主主義の終わり」と言ったそうです。みんなで知恵を出して、新しい政治系の在り方を追及しなくては。制度疲労を起こしていますね。 また、参考にさせていただきます。 (2017.11.12 11:46:50)
ゆうかさんへ 私が私信を出してよかったと思ったのは、以前の職場の先輩が、退職されて後に、靖国を拒否して独自に遺族会活動をなさっていて、そのニュースを送って頂いたことです。時々語られる言葉のはしばしに凛としたものを感じてはいたのですが、まさかそこまでなさっているとは予想外でした。 私が今回の選挙を通じて得た感触は二つの相反する事柄でした。一つは、目の前の事象に振り回され、政治に絶望しか感じない人たちの多さでした。 民主党の失敗ののちに有権者は一斉に自・公へと回帰しました。今回は、都議選での自民党の壊滅的な敗北に希望を見出した人々は、衆院選直前の前原氏の民進党解党・希望の党合流に驚き、小池氏の「全員受け入れる気などさらさらありません」、そして「排除いたします」宣言に愕然としました。結局彼女は都知事の椅子を捨て去ることなく、「首班指名にはだれに投票するのか」という問いに答えられず、失速しました。 ただ、そのカオスの中で、枝野氏が「立憲民主」を立ち上げ、共産が独自候補を取り下げた結果、立憲民主が躍進しました。共産は議席を減らしましたが、「野党共闘」の芽は残りました。 ここには、眼前のカオスの中で、それでもぶれずに物事の本質を探って行こうとする人たちの良識を感じました。 「立憲」という名前は時宜に適したものであったと感じています。しかし、棄権という何とも愚かな選択(「棄権」も一つの選択である、という考え方に私は組しません)をした多くの有権者、またもう一歩進んで共産党へ一票投じるという選択を行えなかった有権者への失望もあります。共産党という政党についてあまりにも知られていないことが多いこと、「次善の選択」の中に共産党が入っていないことが残念でなりません。 ここまで右寄りの「野党」(維新、希望など)が出てきますと、「立憲」「自由」「社民」「共産」についての知識を深める事(それは共感であっても反感であっても)が大切であると思っています。 あと、憲法についての問題なのですが、我々の生活に身近な法律は上位法である憲法に基づいているものであると思います。「憲法裁判」といわれた「朝日訴訟」も25条の「生存権」が争われた裁判であり、その中で生活保護法もより充実してきた経過があります。「憲法を暮しの中に」「憲法を物差しにして考える」ということばは、憲法を現実に合うように切り詰め、改定するのではなく、現実を憲法に合わせて豊かなものにしていく過程と運動を現していると理解しています。 「子どもの権利条約」と「憲法」「教育基本法」、そして生徒と教職員が置かれている実態、それを照らし合わせ、さらに、教育学の知見とを組み合わせて自分の実践を続けていきたいと思っています(さて、あと何年持つかではありますが)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
「憲法」の存在意義は、国家の基本理念であり、それを変える前に、諸法を改変することで現代社会の抱える問題を解消する。その通りだと思います。それをやらずにのっけから憲法をいじるのは、本末転倒でしょう。
憲法を変えても、貧富の格差も高齢化も変わりませんから、目くらましでしょう。 まず、それを、周囲の人に訴えていくことが、行動の第一歩と思いました。 いろいろ考えさせていただきました。 ありがとうございます。 まずは、もっと勉強します。 そして、できる範囲で行動します。 貴重なブログを割いていたこと、感謝します。、、 (2017.11.13 08:37:10) |
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